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大手出版社を辞めて単身渡米、30代なかばで見つけた「自分らしい」仕事と結婚

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大学を卒業後、ファッション誌の編集部へ。最初の職場ではパリコレ取材にも行き、その後も人気雑誌の編集部でエディターとして活躍……という華やかな職歴の菅礼子さん。しかし、ある思いを抱いて、フリーランスで働こうと単身ニューヨークに渡ったのは30代もなかばのこと。これからの人生を考えてアメリカ行きを決断した理由とは? またそのために準備してきたことや海外でやりたいことを仕事にするためのステップを聞きました。

英語コンプレックス脱却のために休職し留学

――出版社時代にはパリコレの取材もしていたんですね! 退職後はフリーランスで渡米していますが、編集部にお勤めの時も一度、語学留学をされたとか。

新卒で入社したのがファッション業界紙「WWDジャパン」で、パリコレ取材にも行ったのですが、当時はまったく英語がしゃべれず、それがものすごくコンプレックスでした。その後に「主婦と生活社」に転職。ファッション分野でのキャリアを買われてLEON編集部に配属になりましたが、このコンプレックスを抱えたまま働くのが嫌で……。社内留学の制度はなかったんですが、人生後悔だけはしたくないタイプなので「1年間休んでアメリカに語学留学をしたい」と上司である当時の編集長に相談したら「席を空けて待ってるから行ってこい」と言ってくれたんです。フルではありませんが有給休暇にもしてくれて、社費留学のような感じでした。

菅礼子さん

日系企業のファッションカタログ撮影でフォトグラファーとモデルさんと一緒に。

――成長して戻って来てほしいと。お仕事ぶりが評価されていたんですね。英語が話せないところからアメリカに1年行ってどうでしたか?

語学学校の費用は自分で出していたということもあり、どこで学ぶのも自由だったので、サンフランシスコとNYで学びました。その時、自分にはNYがすごく合うなと感じたんです。いつかはここに戻って来たいなと思うようになりました。私は、小さい時からずっと周りに「変わっている」と言われ続けていて。日本では、みんな同じがいいという風潮がありますが、アメリカではそんな価値観はなくて、自分らしくいられるなと感じたんです。

会社から有休をいただいての留学だったので、一旦は会社に戻りました。個性が目立ってなんぼという編集部だったので、気持ちよく働けていたのですが、マンネリを感じていたのも事実です。また、両親を見ていて、自分も早くパートナーを見つけて結婚したいなと思っていたのも、この頃。30代なかばに差し掛かろうとしているなか、日本ではなかなかフィットする人と出会わず、海外の人と一緒にいる時の方が自分らしくいられるなとも感じていたので、海外で探すのもいいかなと思っていました。

そんな時に仲良しの子が寿退社をする時に「アメリカに行くなら、もう行った方がいいよ、タイミングは今だよ」と言われて、そのときちょうどLAに出張中だったので、つい「そうだね! 出張から帰ったら上司に言うよ」と宣言。まずは、戻ったら上司に言おうと、自分のお尻を叩きました。

正社員時代にワーキングビザのスポンサーを勤務先で確保

――アメリカで働くにはビザも必要ですね。生活していくアテはあったんでしょうか?

そうですね、アメリカのワーキングビザ取得は難しく、雇用してもらえるスポンサーが必要です。そこで、前職はアメリカを含む海外取材もありましたし、契約を結んで特派員的に働くことにしてスポンサーになってもらえないかと、これまた上司に相談して、サインをもらったんです。エディターとしてのキャリアは長かったおかげで、ビザは楽に取得できました。フリーランスの状態から渡米してスポンサーを見つけるのだと厳しかったかもしれません。とても感謝しています。

そして、NYに渡ったのが20188月ごろ。前職の仕事はアメリカでも続けることになってはいたのですが、その他の仕事の計画はまだなくて、生活もアパートを探すところからのスタートでした。NYは賃料が高いので、アパートはシェアで。以前、語学留学をしたときに住んでいたあたりで、日系の不動産会社に探してもらいました。

――メディアのお仕事だけでなく、アメリカに進出したい日系企業のコンサルタントなど、新しいお仕事にも取り組んでおられましたね。

コンサルタントは、今までの仕事と異なって、いろいろ学べたことがありました。例えば、編集者は意見を求められることが多いのですが、コンサルタントは聞く側になることが多いですね。また、日本とアメリカとでは文化も違うので、アメリカの肌感覚を、日本のクライアントにわかってもらうことがまず必要でした。

生活していくためにはお金のことも重要です。この時のビジネスパートナーは、コンサルタント料は1時間100ドルときっちり出してくれました。フリーランスで働くときは、仕事欲しさに安い見積もりを出してしまわないで、条件の合う人と仕事をすることの重要性を感じました。

お金を稼ぐという面から言うと、ライター業という小さいパッケージで稼ぐのではなく、企業の進出サポートという大きいパッケージの中に、ライターの仕事を入れこむようにするなどの工夫もできるようになってきました。

菅礼子さん

「SAKURA COLLECTION」初の北米開催はフィラデルフィアのペンシルベニア大学で
出典:SAKURA COLLECTION

――先日は、日本の伝統素材と世界の若手デザイナーをつなぐ「SAKURA COLLECTION 」のファッションショーのディレクターにも挑戦されていて驚きました!

有田焼をNYのレストランに導入してもらったり、焼酎のカクテルを広めたりなど、プロモーションの仕事はいろいろやってきましたが、ファッションショーの運営ディレクターは初挑戦でした。チームを率いる会社の社長さんにも「何度も取材はしていますが、自分で運営するのはまったく初めて」という今までのキャリアの説明もしていましたが、「やってみなよ」という社長の一言で取り組むことになったんです。SAKURA COLLECTION」のファウンダーの方のお手伝いをする形で運営ディレクターをさせていただきました。

現地の若手デザイナーが日本の伝統素材を活かすというテーマで、日本の産地のサポートが目的だったので、日本領事館の協力も得られました。アメリカの物価高やビジネスマインドの違いなど、日本のクライアントがアメリカに慣れていない点は、理解をしてもらうのに苦労しました。私としては初の運営ディレクターでしたが、スタッフはプロ。度胸だけはある怖いもの知らずの性格に加え、チームとしてみんなでプロジェクトに取り組めたのがよかったですね。今回のフィラデルフィアに続いて、10月8日にはNYでもファッションショーを開催し、物販も行う予定です。

結婚相手のアメリカ人男性とはアプリで出会う

――菅さんの大きなターニングポイントとしては、人生の伴侶を見つけられたこともありますね! アメリカで探そうと思っておられたとのことでしたが、それはなぜですか?

アメリカの男性は多様な個性を受け入れてくれて誉めてくれる人が多いんです私は人種にもこだわっていませんし、周りの目も気にしないところもよくて、アメリカに来たときからからこっちの男性のほうが合いそうだなと思っていました。

――と言っても、初めて住み始めて、パートナーと出会うのは難しくなかったですか?

私と彼はデートアプリで出会ったんですよ。デートアプリは、普通に生活していると会わない人でも、“今”お互いに相手を探しているという共通点だけで結びつくことができる現代っぽいツールだと思います。会う前に条件のマッチもできますし。それでも異文化で育ったアメリカ人とマッチするのはそれなりに苦労しましたよ。

彼は、約束の5分前には待っているとか、丁寧で周りの空気を読むようなところが日本人っぽくて親しみやすいんです。それでいて、お金や仕事のことなどなんでもオープン。私も出会った頃はコロナで仕事がなくて、「今は収入がないけど、これからがんばるからね」と正直に話していました。日本人は、パートーナーの職業をすごく気にしますよね。アメリカでは転職も多いし、終身雇用ではないので人を会社名で判断できない。お給料で人を判断するのではなく、その人の本質を見て選んでいる感じがします。

この年齢から付き合う人は結婚する人だと思っていて、彼とはお付き合いして1年で結婚しました。結婚を意識していたので、違和感があったらすぐにそれを伝え、コミットしてくれない相手なら次を探そう、ぐらいに割り切っていました。今思うと結構強気でしたね(笑)。30代なかばからの出会いはその点をコミットしてくれる人でないと!

菅礼子さん

パートナーの実家でウェディングフォトを撮影。日本から菅さんの母も駆けつけてくれたそう。

――なるほど、デートアプリは極めて現実的なツールでもあったんですね。今後やっていきたい夢は?

日米進出のサポートは引き続きやっていくとして、本職のジャーナリストの仕事拡大していきたいですね。自分を表現できる箱がほしいなと思っているので、その後に発展できそうなEC機能のあるウェブマガジンなどをつくりたいと考えています。アメリカに来て、いろいろなことに挑戦していいと気づいたので、自分の肩書きは限定しません。ジャーナリストもやりながら、日本とアメリカの架け橋になりたいです。

菅さんのインスタ

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 SAKURA COLLECTION

菅 礼子(すが れいこ)大学卒業後、INFASパブリケーションズに入社。ファッション週刊紙「WWDジャパン」編集部ではウィメンズファッションのパリコレクション取材などを担当。国内外のファッションデザイナーのインタビューなどを行なう。主婦と生活社の男性誌「LEON」編集部に移籍し、ライフスタイルをメインにタレント、パンツェッタ・ジローラモ氏の旅取材を担当し、F1やベネチア国際映画祭などをはじめ、世界30ヶ国以上の国やイベントをレポートする。2018年に渡米。ニューヨークを拠点にジャーナリストとして日系グローバル企業のカタログ撮影やライフスタイルやファッションデザイナーの取材・執筆を行うほか、日本ブランドの海外進出、海外ブランドの日本進出マーケティングやプロデュースを手がける。

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小野アムスデン道子
Writer 小野アムスデン道子

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