料理上手で体の弱いしとやか女子、元チアリーダーの頑張り屋女子、テンション低位安定の要領良し男子。同じ職場の3人が、食べ物を介して不穏なキャッチボールをかわしていく……。一見ハートウォーミングなお仕事小説? と思ったら大間違い。「おいしい食べ物は世界を救う!」そんな正義にシラけた顔で水を差す、第167回芥川賞受賞作をご紹介します。
Contents
「今の空気」を映す登場人物3人、あなたはどのタイプ?
かみ合わないコミュニケーションに食べ物が使われると、こんなにグロテスクなんだ。
高瀬隼子さんの芥川賞受賞作『おいしいごはんが食べられますように』を読んで最初に感じたのは「食べるということの気持ち悪さ」でした。
タイトルと優しそうな著者近影を見た人は、「おいしい食べ物に人々が救われるハートウォーミング小説かな?」と期待して手に取るかもしれません。でも、その期待は数ページ読めば「裏切られた」と感じてしまいそう。大きな事件や奇想天外なキャラクターが出てくるわけではないのですが、この本と、この本が芥川賞を受賞したことは最高にスキャンダラスです。
主な登場人物はアラサーの男女3人。3人は、同じ職場で働く同僚です。
1人目は、自己主張が薄く、職場ではそつなく働く独身男性・二谷。
そして、二谷と恋人関係になる芦川。身体が弱く、早退や欠勤の多いはかなげな女性で、料理上手。
最後に、2人よりも少し年下の押尾。大学時代はチアリーディングをやっていた、気が強い体育会系女性。
昨今の風潮もあって、体調が安定しない芦川にことさら配慮する職場の雰囲気。それに素直に感謝して、同僚たちに手作りスイーツをせっせと差し入れする芦川。本当は食べることに興味がないのに、事なかれ主義でやりすごす二谷。「なぜみんな芦川さんを優遇するのか」と苛立ちを隠せない押尾は、定期的に二谷を食事に誘い、思いのたけをぶつけます。
「食」とコミュニケーションは、食べ合わせが悪い?
芦川の手作りディナーの後に二谷がこっそり食べるカップラーメン、職場で一人ひとりに手渡される芦川の手作りスイーツ、押尾と二谷が食べる居酒屋での食事。
食事シーンのリアルさと、そこで交わされる空虚なコミュニケーション。その2つがあまりにも食べ合わせが悪くて、内臓が冷えるような寒々しさを感じます。
「おいしいご飯の力」を、私たちは信じすぎているのではないか。食べることに興味が無い人、食べ物でごまかされたくないと思っている人に対して、「ほらほら、おいしいものを食べて元気を出して」と暴力的にふるまっていることはないだろうか?
特に印象的だったのが、職場の懇親会の場で、芦川が先輩である中年男性をハグするシーン。
「藤さん酔っぱらって、ずっと、慰めてほしい、つらいつらいって言い続けてたからねえ。見かねて、ああしてあげてるんじゃないの? 芦川さんって優しいから」――『おいしいごはんが食べられますように』より
食事シーンでの性的なふるまい、背後にある仕事上の力関係・ジェンダーバイアス。たくさんの要素がぐしゃぐしゃになってページから迫ってきて、あまりのグロテスクさに吐き気を覚えました。
そして、みんなにおいしい料理をふるまう芦川さんは最後まで一切心理描写されません。このミステリアスな「わきまえ女性」は、自身の弱さへの配慮をバーターに、女性らしさを搾取されることを許していたのかもしれません。
「頭痛薬飲めよって、思いません?」「まあ、でも、そういう時代でしょう、今」――『おいしいごはんが食べられますように』より
本書は、二谷サイドと押尾サイド、2つの視点で交互に描かれる体裁をとっています。そこで浮き上がってくるのは、「自分の鬱屈を隠す」二谷と「隠せない」押尾の対比。
押尾は、仕事量の配分のアンバランスさや過度にフォローされる芦川、セクハラ行為を繰り返す男性陣に憤りを覚え、それを表情や言動にも出すタイプ。そこには、「チアリーダー」のイメージを押し付けてくる周囲への苛立ちや、自分なりの仕事への責任感・正義感などが背後にあるのでしょう。同時に、先輩である二谷を繰り返し誘うことから、「うまくやりたい」「私も良い目に遭いたい」というよこしまな願望も透けて見えます。
「自分は搾取されているんじゃないか」という強迫観念が、彼女の行動原理にあるような気がしてなりません。
一方の二谷サイドの章から伝わってくるのは、「全部わかっていて、何も言わない」かたくなさ。
ある意味では、現実的にいちばん苦労しているのは彼かもしれません。振られる仕事は多く、残業も当然と思われ、ハラスメント上司と後輩の間にはさまれる……。それでも、彼は不条理を訴えたり、行動を起こしたりすることはありません。次々に与えられる仕事をこなし、愚痴をぶつけられれば黙って聞く。それだけです。
与えられるタスクが多すぎて、「自分はどうしたいか」「正しいことをしているか」等を考える余裕がないのかもしれない。そしてそれは、余計なことは考えずともがむしゃらに働けば、その先にはちゃんとゴールが待っていると無邪気に思える立場であることの裏返しかもしれません。
三者三様のキャラクターは、「日本人の今」を見事に反映しています。自分に都合のいい事実だけ掬い取る弱者スタンスの人、問題意識は正しいのに怒りのぶつけ方を間違う人、すべてから距離をとる傍観者。そして彼らに、ものを食べさせながらコミュニケーションさせる高瀬隼子さんの恐るべきセンスと批評性。
こんな問題作が芥川賞という「舞台のど真ん中」に乗ったことに、拍手喝采です。