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子どもの支援を続けるNPO法人ウィーズ代表・光本歩さん「運がいい人だけが幸せになれる世界ではダメ」

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家庭環境に悩む子どもたちを支援している、NPO法人ウィーズの代表・光本歩さん。JWLIが主催している「CCJA2022」で大賞を受賞し、その活動に注目が集まっています。聞くと、光本さん自身が機能不全の家庭で育ったのだとか。子ども時代から今まで続く光本さんの思いと合わせて、赤裸々なお話を聞きました。

義務教育からこぼれ落ちてしまう子たちがいる

――LINEからリアルな居場所まで、いろいろなツールを使って子どもたちの悩み解決に奔走しているウィーズ。光本さんご自身はどんなご家庭で育ったんですか?

普通の幸せな家庭に生まれましたが、私が小学校4年生のころから家庭不和が始まりました。原因はお金。母が父に内緒で借金していて、家の電気やガスが止まったり、学校の帰り道に怖いお兄さんに声をかけられたり……。そして私が中学2年生の時、父と6つ下の妹と3人で、熱海の親戚の家に逃げ込んだんです。

借金取りから身を隠すため住民票は移せず、学校にも通えなくなりました。正式に転校の手続きを取る暇もなかったので、私と妹は「居所不明児童生徒」(住民票はあるが義務教育などの記録がなく、自治体や教育委員会が連絡・接触できない子ども)になりました。義務教育という制度があっても、溢れてしまう子がいるんだと肌で知りました。この経験が、今の活動の原点になっています。

――小・中学生が学校に通えないなんて……。その状況は長く続いたのでしょうか。

その頃の私は、小学校の美術の先生になりたいという夢があったので、そのためになんとしても学校に行きたいと教育委員会に相談したところ、事情を知った近所の方々が学用品を援助してくれて。姉妹ともに義務教育に復帰できました。この時は本当に励まされて、「第三者が自分のために動いてくれる」ことのうれしさをつくづく感じました。

NPO法人ウィーズ

ウィーズの活動風景。みんなが食べるサラダを用意しています!

高校は、学費が安い公立校に行って、禁止されていたバイトも特例で許してもらって、なんとか通いました。住民票を移していなかったから、奨学金の申請もできなかったんです。

小学校の美術の先生になるには、教員免許に加えてコンクールの入賞成績が必要で。それをクリアしながら勉強とバイトを両立させるというとてもハードな生活でした。朝5時に起きて学校に行き、授業を受けて、絵を描いて、夕方からバイトに行って。家には寝に帰る生活でした。この生活を3年間やって、入学金も学費も免除の特待で、東京の大学に受かりました。

辛い選択も「自分で選んだから」納得感があった

――夢に向かって努力する光本さんはさすがですが、あまりにもハードな生活ですね。

親戚の家での居候生活は正直居心地が悪かったので(笑)、家にいる時間を最小限にできるのでむしろ楽でした。ただ、私が大学に入学した直後に父が胃潰瘍で倒れてしまいました。当時中学1年生だった妹にまで辛い思いはしてほしくなくて、大学を辞めて働くことにしました。

せっかく受かった大学をすぐに辞めるのは悲しかったですが、自分で選んだ道なので、納得感がありました。それまでの人生は、全部「これしか選べません」という状況が多かったので。

大学を辞めて、当時バイトしていたNTTのコールセンターの正社員になりました。待遇がよくて、月収60万円くらい稼いでいましたね。お金を貯めて、熱海市内で父と妹と3人で暮らし始めました。そして落ち着いたころに、私みたいに家庭環境に悩む子どもたちへの支援をしたいなと思って、家の一室で学習支援塾を始めました。

――それが、今のウィーズの活動につながるのでしょうか?

そうですね。もともとは先生になるのが夢でしたが、義務教育では救えない子がいると知っていたので、学校の外で学習支援をしたいと思ったんです。

中学生だった妹と、その友達に1時間500円の格安で勉強を教えていたら、口コミで噂が広まって。次の年には希望者が70人来たんです(笑)。これは片手間ではできないなと思って、コールセンターを辞めて、店舗を借りて、塾の仕事に全力投球するようになりました。

NPO法人ウィーズ代表・光本歩さん

毎日支援にあたっているウィーズのスタッフたち。おそろいのTシャツで明るいチームをつくっています!

――すぐに軌道に乗ったんですね。

安さに惹かれてか、ひとり親の子がたくさん来てくれました。私の家庭環境も公表していたので、だんだん生徒からいろんな相談を受けるようになりました。「最近、お母さんの彼氏が家に来て気まずい」とか「父親に会うのがめんどくさい」とか。もしかして、こういう悩み相談こそが必要なんじゃないかなと気づいたんです。

そのころたまたま、柏でシングルマザー支援の団体をやっている女性とつながって。2つの事業を合わせて一緒に運営していました。その女性が妊娠して現場を抜けた時は辞めようかなと考えましたが、周りのみんなが「私たちも手伝うから、辞めないで!」と言ってくれて、続けることに。子どもの支援にフォーカスした、ウィーズとして再出発しました。

周りが助けてくれた、私はラッキーだったから生きてこられた

――ウィーズの活動はだんだん広まってきて、今では高く評価されています。これからの目標はありますか?

そもそも私がここまで来られたのは、単にラッキーだっただけなんです。周りに助けを求めれば、当然のように支援してくれる人がたくさんいました。でも、運がいい人だけが生きていける社会ではダメです。すべての人が「味方がいる」って思えるような社会にするために、ウィーズが支援の輪を広げていきたいです。

高校に特待生として入学した時「家の問題を乗り越えて、なんとか夢に近づいた!」と思いました。でも、大人になってからも意外なタイミングで「あの時の私、辛かったな……」とふと思い出すんです。今6歳の息子がいますが、私が親にされて嫌だったこと、辛かったことを息子にやってしまうのでは? という不安が消えない気持ちはわかります。こうやって一生モヤモヤし続けなきゃいけないのって、すごく不健全ですよね。

今目の前にある問題に対処するのはもちろん大事ですが、過去にも同じように目を向けなければ根本的な解決にならないし、負の連鎖は止まりません。足りない部分は誰にでもあるので、それをお互いに認め合うこと、そのための環境をつくることが、生きる上で大事なんじゃないかなと思います。

ウィーズ 活動の様子

2022年12月に行われた「チャンピオン・オブ・チェンジ日本大賞2022」授賞式の様子。前列左から2人目が光本さん。みんなでウィーズの「W」ポーズ!

【ご案内】チャンピオン・オブ・チェンジ日本大賞2023 開催

社会課題の解決に挑戦する女性リーダーに光を当てる「チャンピオン・オブ・チェンジ日本大賞2023」開催決定! 2006年より日本の女性のエンパワメントに取り組んできた、米国ボストン拠点のフィッシュファミリー財団の主催する「チャンピオン・オブ・チェンジ日本大賞」(CCJA: Champion of Change Japan Award)は、女性のちからで誰もが安心して、平等に暮らせる豊かな社会をめざし、勇気を持って行動を起こす「草の根の女性リーダー」を讃える賞です。

新型コロナウイルスやロシアによる軍事侵攻など、刻々と変化する世界では、これまで以上に様々な社会課題が浮き彫りになっています。こうした危機を乗り越え、果敢に草の根で社会の課題に取り組む女性たちを、みなさんから寄せられた推薦をもとに選出し、その活動を称え、エールを送ります。

2023年12月には都内某所にて、「チャンピオン・オブ・チェンジ」日本大賞1名を発表し、対象者、およびファイナリスト入賞者を表彰する式を実施します。お楽しみに!

チャンピオン・オブ・チェンジ日本大賞Webページはこちら

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さくら もえ
Writer さくら もえ

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