Paranaviトップ ライフスタイル 暮らし 実写映画公開中!『正欲』は、ダイバーシティ賛美に浮かれる私たちの“おめでたさ”に水を差す

実写映画公開中!『正欲』は、ダイバーシティ賛美に浮かれる私たちの“おめでたさ”に水を差す

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芥川賞作家・朝井リョウさんの小説『正欲』が、稲垣吾郎さん、新垣結衣さん出演で実写映画化。「多様性を認める」「みんな違ってみんないい」「人との繋がりを大切に」……多様性社会を肯定する新しい「正しさ」。それを声高に歌い上げる人々の「底の浅さ」を痛烈に刺してくる、この問題作をレビューします。

息を潜めて生きるマイノリティたち

「お前らが大好きな“多様性”って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ」

――『正欲』より

人間は、一人ひとり違っていい。男性が男性を好きでも、女性が女性を好きでもいい。学校に行くことやエリートになることが絶対の正解じゃない。価値観は多種多様なものだ。みんなもっと自分自身を正直に語り合おう。わかり合おう。繋がろう。「これぞダイバーシティ!」「多様性万歳!」

正欲

『正欲』(朝井リョウ/新潮社)

朝井リョウさんによる長編小説『正欲』は、そんなダイバーシティを礼賛する私たちの軽薄さに、冷や水をかけるような物語。

息子の登校拒否がきっかけで、妻との関係もギクシャクしはじめた検事・寺井啓喜。ショッピングモールで働く桐生夏月は中学時代の同級生・佐々木佳通と再会し、遠い記憶となっていた2人の秘密を思い出します。学祭のミスコンを廃止して「ダイバーシティフェス」を実現しようと奮闘する大学生・神戸八重子は、学祭の出演者でもあるダンスサークルの諸橋大也と出会い、惹かれていく気持ちを止めることができません。

重なり合うことはなかったはずの3つの世界が、啓喜の息子が開設したYouTube番組を媒介にしてひっそりと繋がりはじめ、驚くべきラストへと導かれていきます。

「自分の欲望は正しくない。人に認めてもらえるものではない」という絶望とともに生きてきた登場人物たちが、「明日を生きるために、誰かと繋がりたい」と願ったとき。欲望すること自体は罪ではないはずなのに、同志を探し、秘密を守るためのルールを決め、周囲の目を気にして取り繕って……。彼らの繋がりはまるで、人目を忍ぶ犯罪者の集団のよう。

芥川賞受賞作『桐島、部活やめるってよ』を皮切りに、現代人の本音と本性を残酷なほどのリアルな筆致で描いてきた朝井リョウさん。作家生活10周年を迎え筆力を増した朝井さんによって描かれる、一方的に罪悪感を押し付けられる登場人物たちの怒りと諦念。それは、自分を含むマジョリティたちの無知と暴力性をあぶりだします。

多様性ブームの功罪

特殊性癖を持つマイノリティとして生きる登場人物たちが、「お前は誰だ?」「あなたを分かってあげたい」「みんなと話して、繋がろう」と手を伸ばしてくるマジョリティたちに対して放つ切実な言葉一つひとつが、「多様性ブーム」に麻痺した私たちの目を少しずつ醒ましていくようです。

「自分が想像できる“多様性”だけ礼讃して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」

 

――『正欲』より

新しい価値観がトレンドになることは、社会を変える原動力になります。「女性は/男性はこうあるべき」「いい学校に進み、いい会社に入るべき」「家族とはこういう形であるべき」……。私たちにはあまりにも多くのアンコンシャス・バイアスがあり、だからこそ価値観のアップデートは難しい。しかし新しい価値観自体がトレンドワードになることで、メディアやSNS・人々の口からシャワーのように情報を浴びることになり、根深くしみついた古い価値観がじわじわと入れ替わっていく。「多様性」「ダイバーシティ」「LGBTQ」といった言葉が日常語になったのは、間違いなく多様性ブームのおかげでしょう。

一方で、「新しい価値観や言葉が、その意味が吟味されることなく使われるようになる」というデメリットも。

「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ」――『正欲』より

ある登場人物が、学祭を「ダイバーシティフェス」にしようと多様性について熱弁する八重子にぶつける言葉です。この物語の中で描かれるように、人間の欲望の多様さというのは底知れぬもの。「男性が好き・女性が好き」のような単純な2択ではなく、年齢やシチュエーション、更には人間以外のものに対する欲求など、「普通の」人には想像もできないような世界がそこには広がっています。

そんな「多様性」という言葉の意味と底知れなさを考慮に入れず、「マジョリティにとってわかりやすく、マジョリティを害さない範囲での“多様性”」を無邪気に祭り上げることは、逆に社会の分断を深めるのではないでしょうか。

『正欲』は、私たちが踏み込もうとしている新しい世界が、光り輝く「個の礼讃」だけではないことを教えてくれています。多様性を引き受けるということを極端に言うと、自分が「きれいだ」と感じるものだけではなく、不気味に思えるもの・腹立たしく感じるものの存在も否定できなくなるということ。私たちは一度足を止めて、このことを改めて自問自答してみるべきなのかもしれません。

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梅津奏
Writer 梅津奏

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