Paranaviトップ お仕事 地方/海外 大手出版社を辞めて、タレント兼編集者へ。坪井安奈さん「自分の選択を正解にできるかどうかは自分次第」

大手出版社を辞めて、タレント兼編集者へ。坪井安奈さん「自分の選択を正解にできるかどうかは自分次第」

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今から6年も前の2013年当時に、会社員兼タレントという新しい働き方を実践し、数々のニュースにも登場していた坪井安奈さん。誰もが羨む大手出版社の道を捨てて選んだパラレルキャリアの先駆者である彼女がどういう決断を経て今に至ったのかを掘り下げました。

「複業複住」当たり前に縛られず、やりたいことは全部やったらいい!

――坪井さんはかなり早くからパラレルキャリアをしていましたが、社会人になってから、どういう経緯で、パラレルキャリアの道を歩んできたのでしょうか?

 大学を卒業して、小学館という出版社に入社しました。編集の仕事は奥が深く、多くを学ばせていただいたのですが、25歳のときに、ふと「職業が1つって誰が決めたんだっけ?」と素朴な疑問が浮かんだことをきっかけに、「やりたいこと、全部やっちゃえばいいじゃん!」と思い、そこからパラレルキャリアを始めました。

 もともと大学時代にタレント活動をしていたこともあり、自分が表現する側と作る側、両方に携わりたいという想いがずっとありました。でも、いつの間にか就職活動という世の中の流れに呑まれ、職業は1つに選ばなければいけない」と無意識に思い込んでしまっていたんです。なので、就職活動を終える頃には表現する側になることは諦める決断をしていました。でも、25歳のときのふとした疑問をきっかけに、タレント兼編集者としてのキャリアがはじまりました。

 そこから今に至るまでずっと、コンテンツを作る側と表現する側の両軸でお仕事をしています。そんななか、今度は29歳のときに「住む場所が1つって誰が決めたんだろう?」と思ったタイミングでシンガポールでのお仕事をいただいて、今ではシンガポールとの「複住」生活をしながら働いています。

取捨選択して“好き”の定義を見極める

――出版社というとかなり忙しいイメージですが、実際はどうでしたか?

 週刊誌の編集に携わっていたので、毎週が締め切りだったんです。あっという間に毎日が過ぎてしまって、自分が何をやりたいかを考える時間すらなかったんですよね。だからこそ、25歳で新しい働き方をはじめてからは、純粋に、自分は何が好きで、何が嫌いなのかという気持ちを大事にしています。好きなことだけをやっているので、ある意味すごくわがままになったかもしれません(笑)。

――好きなことだけをやるのはとても理想的ですが、そこに至るまで苦労もたくさんありそうですね。

そうですね。「好き」という定義をどこに置くかがすごく難しいところで……。何事も徐々に好きになったり、楽しい一面を見出すことってできると思うので。辛いことを乗り越えた先に、楽しいと感じられる瞬間があるかどうかを意識して、取捨選択してきました。

――出版社を辞める決断をしたときに、まず、どういう行動をとりましたか?

振り返ると、ご縁に恵まれていたなとは思います。25歳の誕生日に「自分は本当は何がしたいのか?」とふと思って、「私は作り手と表現者の両方をやりたい」と気づいた1週間後にグラニというIT企業の役員と知り合うきっかけがあったんです。特に転職を考えていたわけではなかったからこそ、雑談ベースで自分の想いややりたいことを率直に話していたら、すごく賛同してもらえて「それ、めちゃくちゃ面白いからうちでやりなよ!」と転職に繋がりました。

それから1週間後には、退職願を出していましたね。自ら仕事を探したり、ゼロからアクションを起こしたというより、目の前に訪れたご縁を信じて、動いてきたという感じでしたね。

ただ、当時、「誰にも相談しない」ということだけは決めていました。昔から母とすごく仲が良くて、いつも何でも相談してきたんです。でも、誰かに相談して決めると、どこかそこに甘えてしまう気がして。だからこそ、すべて自分の判断で決めて、母にも事後報告で伝えました。

誰かのせいにしたくない!「弱さからくる強さ」が初めの一歩

――1週間! 会社の人に驚かれなかったですか?

めちゃくちゃ驚かれましたね。小学館は、あらゆる分野においてやりがいに溢れている会社ですし、社員思いで、離職率も非常に低いんです。私自身、就活浪人して入社していたので、周りから見ると「せっかく入ったのにどうして?」と思いますよね。

でも、やりたいことも決まっていて、次の環境も決まっていて、私のやりたいことは副業が禁止の今の環境ではできないということを察してくれたのか、止められることは無かったです。「もったいないよ」とは言われましたけど。ただ、心は決まっていたものの、実際にあのタイミングで止められていたら、辞める決断をできなかったかもしれません。そうならないように、退職願を提出した日には上司、編集長、人事とすべての人に退職の意思を伝えて、自分自身が逃げられないような段取りを組みました。

素敵な会社だったので本当に感謝していますし、何かの形で恩返ししていきたいと思っています。社会人って、“3年経ったら一人前 ”ってよく言われるじゃないですか。だからこそ、3年経ってしまったら逆にもう辞められない!と思いましたね。

――坪井さんの “強い意志” を感じますね。

「弱さからくる強さ」だと思います。本当に強い人なら、人からのアドバイスを聞いたり、相談した上で決断できると思いますが、私は自分のどこか弱い部分を25年間ずっと感じてきたので。人に甘えることなく、逃げられないようにしようって決めました。そのおかげで、今は何かうまくいかないことがあっても、誰かのせいにする気持ちは1mmも芽生えません。あれから6年経ちましたが、今でも、当時取った行動は後悔していません。というか、「自分の選択をよかったと思えるように今を頑張るしかない」と思うんですよね。何事においても正解なんてなくて、正解にできるかどうかは自分次第だと思うので、今も正解にできるように頑張っている最中です!

坪井 安奈(つぼい あんな)●サンズエンタテインメント所属。慶應義塾大学を卒業後、小学館に入社。'12年12月に同社を退社し、編集長としてIT業界誌『Grand Style』を創刊。その後、動画メディア『HowTwo』の編集長を経て、2017年12月にはシンガポールに移住。現在は「複業複住」タレントとして、日本とシンガポールやN.Y.などの海外を拠点に活動中。シンガポールでの生活を記録したYouTube動画も人気。レギュラー番組に「news every.」「賢者の選択」などをもつ。パラレルキャリア支援オンラインサロン「ハイブリッドサラリーマンズクラブ」でリーダーも務める。

坪井さんのYouTubeはこちら

ハイブリッドサラリーマンズクラブはこちら

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杉森 有規
Writer 杉森 有規

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