1年の延期を経て開催された東京オリンピック。58個ものメダルを獲得し、熱狂の中で幕を閉じました。そんな注目の大会に出場していたフェンシングの徳南堅太選手は、デロイトトーマツコンサルティング(以下、デロイト)所属。アスリートとしては珍しい“転職”を経て、デロイトに所属しています。徳南さんは一体どんな経緯で転職をするに至ったのか? 「オリンピック2大会連続出場」を叶えるまでのストーリーと合わせて、お話を聞きました。
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フェンシングとの出会いは「たまたま」だった
――リオ、東京と2大会連続でオリンピックに出場された徳南さん。まずは、これまでのキャリアを教えてください。
フェンシングとの出会いは高校時代。実は中学校の3年間で剣道に打ち込んでいて、高校でも当然続けるつもりだったんです。でも、いざ高校進学してみたら、剣道部はあるものの部員が0で、活動休止状態であることを知りました(笑)。悩んだ挙句、その高校がたまたまフェンシングの強豪校だったのと、同じ剣を持つ競技という共通点を考えて、フェンシング部に入部することにしました。東京オリンピックの男子エペ団体という競技で初めて金メダルを獲った見延和靖選手は、当時一緒に剣を取った同級生です。
――オリンピック選手を輩出しているなんて、本当に強豪校なんですね。
そうですね。チームとして、つねに全国制覇を目指しているような環境だったので、朝練、昼練、放課後の練習とかなりハードな練習をしていました。練習漬けで親に迷惑をかけてしまった部分もあるのですが、高校時代に全国制覇はできず、2度の「全国3位」止まり。今度こそ夢を叶えるぞという思いで、大学入学に合わせて上京してきたんです。
――全国3位も十分輝かしい結果だと思いますが、それでは満足いかないものなんですね。ちなみに、大学では何を目指していたんですか?
体育の教員免許を取ることを目指していました。日本体育大学に進学し、実際に中学・高校の教諭一種免許状を取得しました。でも、そこから教員にはならなかったんです。
――え、どうしてですか?
大学4年生の時に、2008年の北京オリンピックに出ていた先輩方とようやくいい勝負ができるようになってきたんです。卒業して体育教師として就職するというキャリア選択もありましたが、アスリートとしてフェンシングを続けていくという選択は、一生のうちで今しかできないことだと思って、スカウトしてくださった実業団チームに入ることを決断しました。
オリンピック2大会連続出場のカギは、環境を変えたこと
――そこからは、順風満帆な競技人生を?
そういうわけでもなく、3年弱ほどで転職をしました。理由としては、フェンシングは非常に海外遠征が多いスポーツで、渡航費や宿泊費などでかなり出費がかさむんです。僕が所属していた実業団チームも最初はものすごくいい形で循環していたのですが、選手が増えていくにしたがって、本当に勝てる選手だけが生き残っていく“バトルロワイヤル状態”になっていきました。僕は結果こそ出していましたが、2012年のロンドンオリンピックの選考に落ちてしまったことで、少しずつ考え方に変化が出てきました。
――どういった変化ですか?
もともとはどうやったらオリンピックに出られるのか見当もつかない中で戦っていたのに、気付けば「あと一歩!」というところまできていたんです。それまで漠然とした目標として思い描いていたものに、あとほんの少しで手が届きそうだったという事実が、本当に悔しくて。でも、自分の今の環境を変えければまた同じ失敗をしてしまうんじゃないかと思って、環境を変えようと決意したんです。
――環境を変えるって、具体的にはどんなことをされたんですか?
転職です! そのころ、僕が出られなかったロンドンオリンピックで、韓国が金メダルを獲ったんです。同じアジア人、背丈やフィジカルも僕とそれほど変わらない中、僕は出られず、お隣の韓国は世界の舞台で金メダルを獲っている……。この差は何なんだろう? と思い、単身で韓国に行って武者修行をしてきました。そこで、やはり練習環境を変える必要があると感じ、転職しようという考えに至りました。
――アスリートの転職って、どうやってするんですか?
スポーツに関心と興味があったり、JOC(日本オリンピック委員会)をスポンサードしていたりする企業を30社ほどピックアップして、履歴書を書いて、代表取締役社長宛に速達で送りました。もちろんアスリートとしての戦績や新聞記事、写真なども添えて。社長宛ての速達ですから、かなりのインパクトを出せたはずなんです。ほとんど無視されるか断られましたが、唯一「一度お話を聞かせてください」と言ってくれた会社があって。それが現在所属しているデロイトです。
――なんというか、さすが、すごい行動力ですね……!
自分の力で動いて、「移籍」ではなく転職という形で所属先を検討・確保できたことは僕にとってかなりのプラスになりました。自信もつきましたね。デロイトからの厚いサポートを受けて、2016年のリオオリンピック、さらには2021年の東京オリンピックに出場することが叶いました。もちろん、メダルを獲ってデロイトに恩返しをしたかったという本音はありますが……2大会連続出場できたのは本当にありがたいことですね。
――オリンピックに出場されたときの気持ちは、いかがでしたか?
日本代表として、ずっと憧れてきた世界の舞台で「日の丸を背負う」ということを感じて、誇り高い気持ちになりました! 初めて日本代表の仲間入りをしたのは2010年のことでしたが、現役でい続ける限り、ずっと最大限のパフォーマンスをしていきたいと思います。
フェンシングで養った「駆け引き力」が人生に与えた好影響
――ご自身の状況などを俯瞰的に見て、状況を切り拓いてこられたんですね。なんとなく、隙をついていくところがフェンシングという競技とリンクしているように感じたのですが、フェンシングの経験が生きたなと感じたことはありますか?
フェンシングの魅力を一言で表現するときによく言うのが“駆け引き”です。フェンシングは格闘技の部類に入るのですが、相手の弱い部分を見抜き、自分の強みを生かしてゲーム感覚で組み立てることが競技の面白さ。左利き・右利きも要素の1つですね。そういう判断を含めて、その場その場でいかに早く対応できるかっていうところが大事になってきます。振り返ってみると、こういうフェンシングの考え方が、僕のキャリアにも生きているのかもと思います。
――状況を見極めながらの軌道修正ということですね。
冒頭でお話した通り、体育の教員になりたくて上京したものの、今しかできないことを追い求めて実業団に入ったり、環境の変化を求めて実業団チームを抜けたりというのは、まさに軌道修正でした。
――運やタイミングも、すごく味方につけていらっしゃるように感じます。
運はあると思いますね。それこそデロイトに転職できたのも、当時フェンシングがまだまだマイナー競技で、僕もオリンピックに出ていない選手だったから、応援のし甲斐があると思ってもらえたこともあるようです。めぐりあわせや運って本当に大事なんだなって思いましたね。それに、やはりスポーツの世界なので、ものすごい運動能力を持っていたり、血のにじむような努力をしていたり、そういう人もたくさん見てきましたが、だからといって必ず試合で勝てるわけじゃないんです。勝負事には、運やタイミングがすごく大事ですよ。
――アスリートは、子どもたちにとってのお手本でもありますよね。
はい! アスリートは、自分が好きな競技を楽しくやるということだけじゃなくて、社会的な責任、立ち位置も考えなくちゃいけない職業です。とくに日本代表ともなれば、日本を背負って海外に行き、試合するわけです。規律正しさや周囲への感謝の気持ち、立ち振る舞い一つひとつを見られているなあという意識はありますね。
――では最後に、徳南さんのように夢をつかむために必要なこととは何でしょうか?
世の中にチャンスはたくさん転がってるよ! という人もたくさんいますが、僕は逆だと思います。ただし、チャンスが来るタイミングはかならずあります。そのチャンスを掴めるかどうかは、普段の仕事っぷりやトレーニング次第。だから、いざチャンスが来たときにちゃんと掴めるように準備をしておくのが大事なことなんじゃないかと思います。
徳南堅太(とくなんけんた)●フェンシング・サーブル日本代表。デロイトトーマツコンサルティング所属。1987年生まれ。福井県武生商業高校、日本体育大学でフェン