「あなたはフェミニストですか?」MeToo運動が話題になり、多くのメディアがジェンダー問題をとりあげるようになってもなお、フェミニストを名乗ることに抵抗を感じるのはなぜでしょうか。そんな「近くて遠い」フェミニズムにもっともっと触れるために、関連本やニュースを紹介していきます。
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女友達の前ではフェミ・男友達の前ではアンチフェミ……
セクハラされた女友達の前では、「許せない! 男なんて最低!」と怒れるフェミニストに。「俺たちの世代はもうとっくに男女平等だよね?」と断言する男友達には「うん。私たち、勉強も就職もなにも差はなかったもんね」とクールな顔を向ける。「女性向けの制度が増えてきて、これはもう逆差別だな!」と笑う上司には、ほほ笑んで時が過ぎるのを待つ。
フェミニズムは、政治や宗教の話題と同じくらいセンシティブだと思われています。ネット上では日々活発な議論が交わされているようですが、私たちのリアルな会話ではどうでしょう? なんとなく避けて、見ないふりをしている人も多いのではないでしょうか。
でももしかすると、女性たちのこんなカメレオン的ふるまいが、社会を混乱させている一因かもしれません。
女性であることを理由とした不平等な取扱いは、これまで長らく実際に存在したことです。そしてそれは今でも続いています。ずっと常識とされてきた価値観をひっくりかえすには、中途半端に空気を読んで、あっちにもこっちにもいい顔していても仕方がない。そう思いませんか?
「どうせわかってもらえない」このあきらめ癖、どこからきた?
「君が好きだから、だから、僕なりに努力してるのに、君は少しも変ってくれない」
「変わんなきゃいけないの? それにあんたが何の努力をしてるわけ?」-『僕の狂ったフェミ彼女』(ミン・ジヒョン著・加藤慧訳/イースト・プレス)より
2018年の『82年生まれ、キム・ジヨン』のヒットも記憶に新しいですが、韓国では今フェミニズム小説が勢いに乗っています。『僕の狂ったフェミ彼女』(ミン・ジヒョン著・加藤慧訳/イースト・プレス)も、韓国で大きな共感を呼び、日本でも2022年3月に翻訳版が刊行され、瞬く間に話題となりました。
この物語の語り手は、いい大学を出て優良企業に就職、現在アラサーのキム・スンジュン君。周囲から結婚プレッシャーを感じつつ、誰とデートしてもピンとこない。そんなときに偶然再会したのが、学生時代に付き合っていた元彼女。「運命だ!」と盛り上がるスンジュンでしたが、実は彼女は「メガル(フェミニストを揶揄する呼称)」になっていて……。
変わり果てた彼女にドン引きのスンジュンですが、ときめく心は止められません。「ハンナム(ミソジニー的な男性を批判する呼称)のあんたとは付き合えない」とバッサリ切り捨てようとする彼女に追いすがり、「君もメガルなら、僕を変えてみろよ!」と持ちかけます。
この小説の面白いところは、「わかり合おうぜ!」と持ち掛けるのが男性側であることです。彼の意図は「自分が変わること」ではなくて「彼女を更生させること」なのですが、それでも「僕たちは分かり合える」と無邪気に信じています。
一方で彼女は、「どうせわからないよ」と突き放す。街頭でデモ活動することには抵抗がなくても、学生時代をともにした男性とは会話を拒否する。社会を変えたいと熱望し行動しているのに、身近な男性を説得することにはハナからあきらめているのです。
これは、女性にとってフェミニズムがとても複雑な存在であることをよく示していると思います。
自分たちが日々感じているモヤモヤを家族・友人・パートナーの男性が理解しないということに、実体験を通じて傷つけられてきた。その無力感をなだめながら生きてきたから、顔が見える相手の方がむしろ「変えられない存在」と感じてしまうのではないでしょうか。
「どちらの言い分が正しい?」白黒つけることをあえて目指さない
「だけど僕は男だろ。そういう話聞いてると、男はみんな加害者予備軍って言われてるみたいで、責められてるみたいに聞こえて辛いんだよ」-『僕の狂ったフェミ彼女』(ミン・ジヒョン著・加藤慧訳/イースト・プレス)より
「男あるある」な地雷をひたすら踏むスンジュンと、1つも流さずに「それはおかしい」と詰め寄る彼女。2人の会話はずっと平行線で、一見不毛にも思えます。しかし、フェミニズムを考える上ではこの「お互いあきらめずに、とにかく会話する」が何より大事な気がしてなりません。
男性からすれば、「問題が見えていない」ことが最大の問題。空気を読んだ女性たちが、「その問題には気づかなくていいですよ(どうせあなたには分からないでしょうから)」と会話を回避する行動をとることが、男性の「見えてなさ」に拍車をかけているのではないでしょうか。
1時間1本勝負のディベート大会のように、「どちらが正しいかココで決める」と意気込むような問題ではないのです。「どうせ話すなら決着をつけないと」と思うから、フェミニズムに触れるハードルがどんどん上がってしまう。
「だけどほんと、正直さ、考えると怖くならない? 将来、旦那も子どももいなかったら寂しいんじゃないの?」
「その代わり、私がいるはず。だぶんね」-『僕の狂ったフェミ彼女』(ミン・ジヒョン著・加藤慧訳/イースト・プレス)より
こんな踏み込んだ会話は、元恋人同士だからこそできるのかも。でも、フェミニズムって実はこれくらいフラットに話すべきテーマなのではないでしょうか。「私たちが何を考えているのか」をストレートに伝えないと、相手は議論の入り口にも立てないのです。
フェミニズムを考える上で障害になるのは、「センシティブな話題だから」と会話を避けること、「とにかく白黒つけてやるぞ」という姿勢でいること。
わかりやすいハッピーエンドに向かわない2人を見ていると、なんだか肩の力が抜けてきます。私たちは、フェミニズムを「取扱い注意」にし過ぎていたのかも。もっともっと、自分が感じていることを人に話して、反応を聞いてみたい。そんな気持ちがわいてきました。
皆さんは、「フェミ彼女」は苦手ですか?
これからこの連載では、フェミニズムを今よりもっと身近に感じ、考えるきっかけになるような本やニュースを紹介していきます。