不妊治療について、成功談は聞くものの、失敗談というものはなかなか語られることはありません。今回、自らの体験談を語ってくれたのは、38歳から不妊治療を始め、子どもを持つことができなかったという経験を持つ影山由美子さん。彼女は、フリーのWebプランナーとして独立後、2005年にWeb制作会社を創業、その会社を合併させる形でトレンダーズの役員をつとめ、2017年にクックパッドに入社し、Japan執行役員にもなったというキャリアの持ち主です。まだまだ、女性が働き続けることが珍しかった時代に仕事を諦めなかった理由、理解あるパートナーとの結婚、さらに6年間もの不妊治療を続けたうえでの葛藤などについて聞きました。
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専業主婦から一転、「仕事をしていると生きている実感があった」
――影山さんは2度、ご結婚されているんですね。
私が大学を卒業した頃は、今とは時代のムードがまったく違いました。「女性はクリスマスケーキ(24歳までは飛ぶように売れるけど、25歳になったら売れなくなる)」という言葉が普通にあった時代。就職したとしても数年で寿退職するのが当たり前だったんです。私自身、約3年働いた後結婚して専業主婦になりました。なのに、1年で離婚してしまったんです。
――あっという間だったんですね。
「私、専業主婦に向いてないな」と後から気づいたんです。離婚後は無収入になってしまったのでいったん実家に身を寄せ、これからどうしようかと。実は離婚前からパソコン教室に通っていたのですが、インターネットって面白いなと思ったんですよね。なので、「ホームページ作れます」と営業をしてみることにしました。当時はインターネット黎明期だったので、まだそういう仕事をする人が少なかったんですね。少しずつ仕事が入ってくるようになりました。
フリーランスだから安定した生活ではないけれど、頑張れば頑張るほど仕事も収入も増えて、生きている実感がありました。
――専業主婦からインターネット業界でフリーランス、大転換ですね。
「女性は専業主婦になるもんだ」という先入観が離婚をきっかけにひっくり返って、自分の価値観をリセットした感覚です。人生を取り戻そうとするように夢中で働きましたね。結婚・離婚・フリーランスとして仕事を開始・起業・役員に就任……怒涛の20代後半〜40代でした。
今の夫と結婚したのは38歳のとき。出会った当時私は32歳で、夫は22歳の大学生でした。
38歳で10歳下の男性と再婚。思い出した苦い言葉
――だいぶ歳が離れているんですね。
「遊ばれてるんじゃないの?」なんて言われたこともありますが、年の差が逆によかったところもあるんですよ。当時の私は夢中で働いている最中だったので、「そんなペースで働いて、子どものこととかどう考えているの?」みたいにぶしつけに言われることがよくあったんです。
とある会社の設立パーティで、ある女性に「自分も法人化しようと考えている」と話したら「その年で会社なんて作って、子どもどうするの?」と言われたことがありました。同い年くらいの男性と飲み会などに行くと、「そのペースでいつまで働くの?子どもできたらどうするの?」とみな判で押したように言うんです。
経済的に自立して頑張って働いている女性に、リスペクトよりも先に子どもの心配? と思ってしまったんですよね。その点、夫は若くて世代が違いましたし、母親やお姉さんが働いている人だったので働く女性に理解がありました。
「子どもは好きでも嫌いでもない」それでも、不妊治療を6年続けたわけ
――再婚したとき、子どもを持つことについてはどんな考えだったんでしょうか?
実はもともと、子どもは好きでも嫌いでもなかったんです。小さい子を見て「かわいい!抱っこさせて!」とも特に思わない、興味があまりないというか。それでも、入籍するということは家族を持つこと・子どもを持つことという価値観が自分の中にありました。ただ相手と一緒にいたいだけだったら、入籍せず同棲すればいいと思っていたので。
再婚したとき、すでに高齢出産の年齢だったので、最初からクリニックに通いました。私は健康診断の結果もまったく問題なく、生理も不順じゃないし貧血でもないし、タイミング療法で問題ないと思っていました。でも妊娠できず、調べてみたら多嚢胞性卵胞症候群だとわかりました。卵子の量は多いけれど、質は良くないということだったんです。その後、人工授精を何サイクルかやって、体外受精に進みました。トータルで6年、費用は1000万円以上かかっています。
体力はあるから仕事となんとか両立していたんですけれど、同じく不妊治療していた妹は仕事を辞めたら妊娠したんですね。仕事をやめるべきか、かなり悩みました。
――役員をやられていた頃ですね。
はい。結局、「仕事を辞めても妊娠する保証はない」と考えたらどうしても怖くて、仕事は続けました。今振り返っても、私は同じ決断をすると思います。仕事と子どもを天秤にかけて、仕事の優先順位をぐっと下げることはしなかったと思う。でも、もっと早くから自分の体のことを知って将来設計をシミュレーションできていたら、もっと早く決断できていたかもしれません。不妊治療中の6年間はスケジュールは治療が最優先で海外旅行もできず、40歳を超えたあたりからクリニックの先生もだんだん匙を投げている感じで、私もノイローゼみたいになっていましたから。
夫は、治療の初期から私の意思を尊重してくれていました。もっと協力してほしいと思って不満をぶつけたりもしましたが、当時の彼の年齢を考えると頑張ってくれていたと思うんです。治療を辞めようかとなったときは、このまま結婚生活を続けるかどうか考えてほしいと彼に伝えました。結果、2人で生きていこうという結論になったんですけれど。
(聞き手/岡部のぞみ)
影山由美子(かげやま ゆみこ)●大学卒業後、営業職に3年従事したのち、WEBプランナー兼デザイナーとして独立。2005年1月、WEB制作会社株式会社クラリティ・アソシエイツ設立、代表取締役就任。東京・西麻布にタロットバーRosyオープン(2011年閉店)。2012年3月、トレンダーズと合併。2017年、クックパッド入社。2020年、Japan執行役員に就任。