年功序列制度やジェンダーバイアス問題など、古き因習を打ち破ろうとするときによく聞こえてくるのが、「実力主義・成果主義を導入しよう」という声。そんなネオリベ思想の是非を考えながら、貧困家庭出身のライター・ヒオカさんによる初エッセイ『死にそうだけど生きてます』をレビューします。
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「実力主義が、社会を平等にするのでは?」人気女性芸人の一言
2023年始めに放映され話題になった、NHKの「100分deフェミニズム」。上野千鶴子さん、加藤陽子さん、鴻巣友季子さん、上間陽子さんの4人が登壇し、ジェンダー平等を叶えるためのヒントを授けてくれる1冊をそれぞれ紹介してくれました。
4冊の名著が興味深いのはもちろんのこと、引き込まれたのは4人の語らい。社会学者、歴史学者、翻訳家、教育学者というそれぞれの立場から、まったく違う表現と見地から言葉を交わし知恵を紡ぐ……。4人の知性と静かな連帯に圧倒され、身体の内側から力がわいてくるようでした。
多くの気づきと刺激を得ました100分でしたが、いちばんアンテナが反応したのはゲストの女性芸人さんの一言です。
「しっかり能力主義で見てもらえたら……」
組織への忠誠心や忖度で評価される社会では、女も男も苦しい。特に、年齢や性別・労働時間で測られてしまうと、どうしても女性は不利になります。そんな現実に対する憤りから、「純粋に実力や成果で評価されれば、弱者や組織のルールになじまない人間が不平等な取り扱いをされずに済むはず」という正義感にあふれた言葉だったと思います。
これを聞いたとき、私はある一冊の本のことを思い出していました。
貧困・文化的資本格差・虚弱…「見えない弱者」とは?
1995年生まれのライター・ヒオカさん。中国地方の貧困家庭に育ち、上京。25歳のときにnoteで公開した「私が“普通“と違った50のこと〜貧困とは、選択肢が持てないということ〜」がバズり、ライターの道へ。複数のメディアに寄稿し、貧困と学歴の自己責任論に疑問を投げかけ、「見えない弱者」を可視化しようとされています。
初エッセイとなる本書でつづられるのは、ヒオカさんの壮絶半生。
精神疾患を抱え定職につけない父、そんな父に日常的に暴力をふるわれる母、不登校の姉、筋金入りの虚弱体質の自分……。学校でも「団地の子」としてあからさまに差別され、教師も黙認、もしくは積極的にいじめに加わるような環境。不登校になりながらも勉強に励み、進学校に入学するヒオカさんでしたが、お金がないので部活も習い事もできず、制服も買えない。「とりあえず大学に行けって親が言うから~」とのほほんと語る級友に、「自分とは違う世界の話だ」とカルチャーショックを受けます。
「お金がなければ、自分にどんな可能性があるのかもわからない」そんな現実が、ヒオカさんの胸を鋭く刺すのです。
考えてみれば、貧困や文化的資本格差・虚弱というのは、なんと「見えにくい弱さ」なのでしょうか。性別や国籍のように説明なしにある程度「見ればわかる」差異と違って、外見からは伝わりにくい。「そんなチャラチャラした格好をしている時点で貧困ではない」というような「貧困警察」もネットで散見されます。しかしそもそもお金の使い方からして、家庭で親から教えられるもの。きちんとした教育を受けられる環境にいなければ、学力だけではない「生きる力」を身に着けることもできないのです。
スタートラインは平等ではない。「実力主義」が見落とす現実
「実力で人を評価するようになれば、社会は平等になるのではないか」
そんなネオリベラリズム思想に危機感を覚えるのは、「スタートラインにすら立てない人」を無意識に排除しているように感じるからです。実力を磨くことに集中できる環境、何を目指すべきか考えることができる知性と余裕、導いてくれる周囲の人々。そういったものを当然に持っている人だけが、「実力」をつけることができるのではないでしょうか。
しかし、私は思うのだ。“一部”の逆転ストーリーを持ち出して、「そこにある格差」を無効化するのは間違っている。――『死にそうだけど生きてます』より
貧困を理由とした格差が語られるとき、必ずといっていいほど出てくるのが「自己責任論」です。貧しい生まれでも、努力でなんとかできる。お金がなくともその人自身の努力でそこから抜け出した人はいくらでもいる……。それは事実かもしれないが、そういった「例外の成功者」をよりどころに問題を矮小化するのは乱暴だとヒオカさんは指摘します。
貧困や家族の問題・虚弱体質など、生まれながらに抱えたハードルをすべて「個人の努力でなんとかできる」とまとめてしまうのは、「生存者バイアス」と言ってもいいかもしれません。
生存者バイアスとは、「生き残ることができた人」を基準として判断すること。生き残れなかった人=死んでしまった人からは話を聞けないので、自然と彼らは「無かったもの」とされてしまう。この考え方の行く先にあるのは、「生まれながらに恵まれた、または特別にラッキーな人」ばかりが優遇される社会。年齢や性別による差別が多少減ったとしても、結局「生まれながらの違い」によって勝ち負けが決まってしまうというのは、不幸なことではないでしょうか。本来このような問題は、システムの問題として社会全体で考えなければならないのに……。
「実力主義」や「成果主義」、それら自体が悪いものだとは思いません。しかしその言葉の持つ暴力性や、また別の何かを排除してしまう可能性に、私たちは敏感でなければならない。そんな多角的な視点が必要な時代に現れたヒオカさんは、いわば新時代の論客。「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーとする彼女が今後どんな発信をしていくのか、注目しています。