2023年2月、週刊文春が社会学者・上野千鶴子さんの極秘入籍をスクープ。日本を代表するフェミニストにして、日本の結婚制度に長年疑問を呈してきた上野さん。そんな彼女が、実は婚姻関係を結んでいた……。過去には「結婚は奴隷契約」とも発言してきた上野さんだけに、ネットニュースには様々な反応が。婦人公論に緊急寄稿された上野さんの「反論」と合わせて解説します。
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日本を代表するフェミニストに撃ち込まれた「文春砲」
「おひとりさまの教祖」社会学者の上野千鶴子さんが、歴史家・色川大吉さんと入籍していた!
週刊文春がそう報じたのは2月のこと。色川さんは日本の近代における民衆史を専門としており、「自分史」という言葉を広めた研究者として知られます。山梨県の八ヶ岳で晩年を過ごし、2021年9月に96歳で死去されました。
上野さんは、色川さんのご自宅と同じ敷地内に仕事場を持ち、東京の家と行ったり来たりする生活を長年送っていたそうです。2019年に放映されたTV番組「情熱大陸」でも「山の家」と呼ぶ八ヶ岳の仕事場で過ごす姿を公開。コロナ禍に入ってからは八ヶ岳で過ごす時間が多くなっていると、いくつかの媒体で語っていました。
結婚せず、一人で自立して生きる……。そんな「おひとりさま」の生き方を提唱し、「おひとりさまの教祖」のような存在になっていた上野さん。彼女が実は男性と婚姻関係を持っていたというのは、多くの読者にとってセンセーショナルに受け止められたようです。
「結婚制度なんて信じていないと言っていたフェミニストのくせに」
「おひとりさまネタで散々売ってきたくせに」
そんなコメントが、ネットニュースにものすごい勢いでついていきました。
婦人公論で展開された反論3つのポイント
そして3月。上野さんは婦人公論にて、『「文春砲」なるものへの反論 15時間の花嫁』というタイトルで緊急寄稿を発表します。
「文春砲」なる下劣な報道が出た。ふりかかった火の粉は払わなければならない。反論を3月15日発売の『婦人公論』に書いた。興味があれば読めばよい。――上野さんのTwitterより
上野さんからの「反論」のポイントは大きく3点。
- 上野千鶴子は「おひとりさまの教祖」などではない。
- 婚姻届を出したのは2021年9月6日。色川さんが亡くなったのは9月7日午前3時のこと。
- 婚姻届を出した目的は、色川さんが亡くなった後の手続を円滑に進めるため。
色川さんが転倒事故により要介護状態になってから3年半、縁遠くなっていた家族の代わりに上野さんが介護を取り仕切っていました。その末の、たった15時間の婚姻関係。「家族ではない」の一点により、役所や病院、銀行での手続きに散々煩わしい目に遭っていた上野さんと色川さんは、死後の膨大な手続のことを散々話し合ったそうです。
これは家族主義の日本の法律を逆手にとるしかないと思い至った。――婦人公論『「文春砲」なるものへの反論 15時間の花嫁』より
日本ではまだ夫婦別姓が許されていないため、残される上野さんを尊重して色川さんが改姓。「上野大吉」という名で出された死亡届を見て、やるせない気持ちになったという上野さん。上野さんが長年疑問を呈してきた家族主義・家父長制という大きな壁を、我が身のこととして改めて実感する出来事だっただろうと想像します。
研究者・上野千鶴子の、理論と実践
この反論記事を読んで、「上野さんは、自身の理論を実践して生きる人なのだな」と再確認しました。
研究者や思想家がすべて、自身の理論を実践して生きるべきとは私は思いません。それを強いてしまうと、特に哲学や社会学の分野においては「今の現実の範疇を超えた」理想を描くことが阻害されてしまうはずだからです。彼らがある意味一段高い見地から、「今の現実においては難しいかもしれないけれど、人や社会のあるべき姿はこれ」と提示してくれることは、社会の進歩に必要不可欠なことなのです。
一方で、上野さんは「徹底して実践の人」。
自身の問題意識から、それまで誰も学問になると思っていなかった「女性学」を意義ある研究分野として育ててきた経歴からもそのことがうかがえます。
ベストセラーになった「おひとりさま」シリーズで書いていたのは、未婚・既婚問わず将来やってくる「おひとりさま生活」に向けてどんな準備をしておくべきかということ。具体的には、住まいや年金、介護保険のような「おひとりさま資源」と、ひとりでいたいときはひとりでいられる・ひとりでいたくないときに一緒にいてくれる人を調達できる「おひとりさま力」。
東京と八ヶ岳を行き来し、自身の仕事と介護をやりくりする日々。経済的・社会的自立による「ひとりでいる自由」と「心許した誰かといる幸せ」を両立できるというのは、まさに「おひとりさま力」によるものではないでしょうか。
そして、10年以上主たる研究テーマとしてきたのが「ケア・介護問題」。2011年に発表した『ケアの社会学』(太田出版)では、家族による無料奉仕・低賃金のケアワーカーによって担われてきた日本の介護問題に光を当て、「ケア当事者は誰か」「今後の超高齢化社会において必要な制度とは」を現場での調査を下敷きに綴っています。
介護保険を十分に活用し、地元の介護事業者やクリニックとの協力体制を敷いて色川さんの在宅介護にあたっていた上野さん。色川さんは、「上野さんは、いま、理論を実践している最中です」と人に語っていたといいます。
上野さんと色川さんが婚姻届を出したのは、日本の社会的制度が柔軟性に欠けるが故の消極的選択だったといえます。「文春砲」の是非をここで議論することは避けますが、今回の報道により、「個人や人間関係のあり方に多様化が進む中で、どんな制度設計が求められるのか」を、上野さんの実体験を材料として(図らずも)世論に問う形になったのではないかと思います。