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「ぬるま湯につかる奴らをヒヤリとさせろ」芥川賞受賞作『ハンチバック』が提示する「世間への切り込み方」

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「本に苦しむせむし(ハンチバック)の怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないのだろう」(『ハンチバック』より)重度障害者の小説家・市川沙央さんによる衝撃作、『ハンチバック』。169回芥川賞を受賞した「マイノリティの一撃」作をレビューします。

「女の指揮者なんていない」その思い込み、どこからきた?

「マジョリティをヒヤリとさせる」

 生きづらさを抱えるマイノリティが現状を打破する第一歩は、もしかしたらこれかもしれません。

2023年9月24日のサントリーホール。京都市交響楽団の演奏会を聴いた直後、拍手が鳴りやまない興奮状態の中で、ふと頭をよぎったひらめきでした。

1987年生まれ、青森出身の指揮者・沖澤のどかさんの京都市交響楽団常任指揮者就任披露コンサート。沖澤さんは2018年に、若手指揮者の登竜門と呼ばれる東京国際音楽コンクールで女性として初めて優勝を果たしました。翌年には、小澤征爾や佐渡裕らを輩出したブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。そして2023年、京都市交響楽団初の女性常任指揮者に就任されました。

個人的に、女性指揮者のオーケストラを聴いたのは初めての経験でした。小柄な身体に菩薩様のような穏やかな面持ち、まっすぐな視線、卑屈に曲がらない背筋。

 魔法のようにオーケストラを率いて聴衆を魅惑した沖澤さんの姿を見て、「なぜこれまで女性の指揮を見たことが無かったのだろう」という疑問が渦巻いたのは私だけなかったのでは……と思います。

「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」

「なんで私はこのことを疑問に感じたことがなかったのだろう」
「なぜ、『いないもの』と思い込んでいたのだろう」

そんな、鈍感な自分にヒヤリとする感覚。
これと似たようなものを、市川沙央さんの『ハンチバック』を読んだときにも感じました。

『ハンチバック』(市川沙央/文藝春秋)

『ハンチバック』(市川沙央/文藝春秋)

第128回文學界新人賞、および第169回芥川賞を受賞した話題作。筋疾患先天性ミオパチーという難病を抱え、横になるときには人工呼吸器が必要だという市川さんが、自分と同じ重度障害者を主人公に描いた物語です。

私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない、「本好き」たちの傲慢さを憎んでいた。――『ハンチバック』より

通信制大学にオンラインで通いながら、コタツ記事(取材せずに手に入る情報をもとに書く記事)や官能ライトノベルを書くライターでもある主人公、釈華(しゃか)。資産家の両親が遺したグループホームに住み、ままならない身体を機械やヘルパーに預け、ライターとしての稼ぎは全額寄付。そして、「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」「妊娠して堕胎してみたい」……といった不穏な呟きをSNSに吐露しています

そんなある日、ヘルパーの男性が「一個、訊いていいですか」と釈華に話しかけてきたことで、彼女の生活に小さな風穴が空きます。

シニカルさと、ほの暗いユーモア、冷たいほどの客観性。

健常者が漠然と思い描く、障害者の姿・内面とはまったく違うものがこの小説には書きつけられています。「知らなかった」「思っていたのと違った」の連打に、読者は本を持ったまま金縛りのようになるのではないでしょうか。

穏やかに見える水面に、小石を投げこむ

市川さんは芥川賞受賞後のインタビューで、「日本の読書バリアフリー環境の前進のなさ」への苛立ちが本作の執筆のモチベーションになったと語っています。

自分の存在を黙殺する、もしくは勝手なイメージをあてはめてくるマジョリティたち。

「あなたはどんな人なの?」
「あなたはどうしたいの?」

ただそう聞いてくれればいいだけなのに。

世間に「市川沙央がいること」「本を読みたい(かもしれない)障害者がいること」を気づかせるために、市川さんは純文学としてこの作品を書き、文芸界における大衆性の象徴のような賞を勝ち取りました。

「聞きに来ないなら、こちらから言いに行く」

100ページあまりなのに妙に重たい一冊から、そんな著者の声が聞こえてくるような気がします。そして、油断しているマジョリティたちは、その鮮烈な一撃をまともに食らうことになるでしょう。「なぜ、自分はこのことに気づかなかったんだろう」という冷や汗とともに。

同情を誘うような上目遣いも、相手を抱き込もうとするようなわざとらしい熱弁もなく、ただ粛々と自分の言葉を綴る。そんな方法で、社会に一石を投じた市川さん。考えてみれば、私たちの身近にも似たような人はいたかもしれません。

育休明けに、「時短勤務にするつもりはありません」と言い切るワーキングマザー。大企業で雑用を押しつけられている若者が、ある日のランチタイムに「転職活動をしている」をサラリと報告する。定年直前に、「ずっと準備してきた事業を立ち上げるから」と自主退職する昭和型サラリーマン(だと思われていた人)。

そんな人たちが全員、「相手をびっくりさせてやろう」という意思があったとは思いません。しかし少なくとも私たちは、正しくヒヤリとするべきなのではないでしょうか。自分が思うよりも無知で、色眼鏡をかけていることに気づくために。

 

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梅津奏
Writer 梅津奏

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