2024年1月にスタートした大河ドラマ『光る君へ』。舞台は平安時代、源氏物語を執筆した紫式部と時の権力者・藤原道長を描いた作品です。史実とフィクションを大胆に織り交ぜたストーリー展開が話題ですが、令和を生きる私たちにとって、原作の源氏物語にはたくさんの違和感が……。その正体と「源氏物語の読み方」を、作家の山崎ナオコーラさんが探ります。
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超レア!「平安時代の女性を描く」大河ドラマ
毎週日曜日の夜、大河ドラマ『光る君へ』の放映が終わるとすぐ、SNS上では「衝撃展開!」「ショック過ぎる……」と活発に感想が飛び交います。
「大河ドラマで紫式部を取りあげる」と発表されたときは、平安時代を舞台とすること・女性主人公が非常に珍しいということ※もあり、大きな話題となりました。
大河ドラマというと、血脈や政治に深謀遠慮を働かせる男たちが、武器を持って戦う……みたいなイメージが強いですよね。数少ない「平安時代もの」も、これまで取りあげられてきたのは平清盛や源義経など、源平合戦に繋がる人々が中心。多くの人々にとって、「戦をしてこそ大河ドラマ」という思いがあるのも当然でしょう。
また当たり前のことですが、時代を遡れば遡るほど、当時のことを記録した文献は少なくなります。残っていたとしても、書かれていることの正確性が怪しかったり……。事実、『光る君へ』の脚本を執筆する大石静さんも、かなり大胆に・自由にストーリーを作り上げていることをインタビューで語っています。
「驚くようなセックス&バイオレンスを描きたい」
『光る君へ』制作発表会見での、大石さんのコメント。「恋愛ばかりしている」「和歌を詠んだり毬を蹴ったり遊んでばかりいる」……そんな人々のイメージを裏切る、平安時代の姿を描き出す意欲作であることが伝わってきます。実際、初回放送後にSNSにあふれたのは「なにこの衝撃展開!」「残酷過ぎる!」という阿鼻叫喚。大石さん、してやったりではないでしょうか。
※これまで制作された63作の内、平安時代が舞台なのは7作、女性が主人公となる作品は15作(『光る君へ』含む)。
「古典文学の傑作」源氏物語に現代人が抱くモヤモヤ
装束をまとった吉高由里子さん(紫式部役)・柄本佑さん(藤原道長役)は、2人の個性とドラマの世界観が溶け合うようで、まさに平安時代から飛び出してきたみたい! そんなハマり役で芸達者の俳優たち・メリハリの利いた脚本、「さすがNHK」といった素晴らしいセットの力も相まって、ドラマは視聴者の心を鷲づかみにしながら進んでいます。
一方、その紫式部が書いた源氏物語は……?
多くの人が、学生時代に多かれ少なかれ源氏物語には触れているでしょう。全巻読破したという猛者は少ないかもしれませんが、美貌の貴公子・光源氏が義母(藤壺)の面影を追い求め、多くの女性と逢瀬を繰り返したあげく、美少女・紫の上と出会う……というあらすじは知っているはず。経験豊富な男性が若い女性を自分好みに育てることを「光源氏みたい」、恋人の浮気に嫉妬する年長の女性を「六条御息所みたい」と揶揄することがあるように、現代人にとっても、源氏物語は無意識のレベルでなじんだ物語だと思います。
一方、令和を生きる私たちにとってこれほど「つっこみどころ」が多い作品も、なかなかありません。
ロリータ・コンプレックス(ロリコン)、ルッキズム、近親相姦、不倫、レイプ、性差別……。
倫理委員会が設けられたら、アラームが鳴りやまなそうなアウトっぷり。それを全部「時代の違いだ」と無理やり飲み込んだ上で、雅な人々の恋愛模様・大和言葉の美しさを味わおうというのが、私たちが学んできた「源氏物語」ではないでしょうか。
しかし、日本を代表する古典と向き合う姿勢として、本当にこれでいいのか。現代人としての問題意識を持ったままで、古典作品と対峙し、楽しむことはできないのか。
そんなテーマに向き合うのが、ジェンダー・フェミニズムにまつわる著作ももつ作家・山崎ナオコーラさん。昨年刊行され、第33回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した『ミライの源氏物語』にて、「未来に続いていく、現代ならではの源氏物語の楽しみ方」を紹介しています。
「複雑な思いを抱えてする読書」は“豊かな読書”
源氏物語の研究が盛んな大学で学び、卒業論文のテーマは「『源氏物語』浮舟論」だったという山崎さん。研究者という視点で源氏物語を見ていた経験から、「当時の人になりきって源氏物語を楽しむことは難しい」と山崎さんは言います。
現代を生きる私たちは、連れ去られるヒロインを見て、「これって犯罪だよね?」と憤り、浮気を怒るヒロインの態度を諫める光源氏に対し「怒って当たり前だろ!」とため息をついてページをめくります。平安時代の読者にはできなかったことです。現代ならではの楽しみ方です。――『ミライの源氏物語』より
古典の読書には、「言葉の違い」「社会規範の違い」という2つの壁があります。
言葉の違いを現代語への翻訳で乗り越えられたとしても、まだ立ちふさがるのが「社会規範の違い」という壁。物語を素直に・簡単に楽しむためには、「当時と今とでは社会が違うから」と割り切ってしまうのが楽な解決法でしょう。しかし、古典をもう一段深く味わうことができるのが、「私たちの内面と響き合うような読書」です。
登場人物たちの言葉・ふるまいが、現代人の自分たちの目にどう映るのか。そこで感じる驚き、怒り、哀切、共感をしっかり見つめること。はっきりと描かれてはいないけれど、そこに隠れているように感じる「思い」を想像すること。
「本は読者のもの」といった言葉があるように、時代を越えて同じ本が読み継がれ、そのときどきの違った「読まれ方」があるのが読書の面白さだと思います。約千年前に書かれた源氏物語を私たちが驚きや違和感を抱きながら読むように、今書店に並ぶ新刊本も、未来の読者たちは私たちとは違う、まったく新しい読み方をするのではないでしょうか。
平安時代の読者のように、素直にはこのシーンを読めません。現代の読者は、複雑な思いを抱かずには読書ができません。でも、この複雑な読書は、豊かです。――『ミライの源氏物語』より
『光る君へ』は、私たちが「古典」と向き合う素晴らしいきっかけとなりそうです。山崎さんが教えてくれる「古典の楽しみ方」を参考に、ぜひ平安時代の人々の心に触れてみて下さい。