「クオーター制は逆差別」「あの子、結婚もせず仕事ばっかりしてかわいそう」――。こんなセリフは、いまだにしばしば聞かれます。日常生活に根深く入り込んでいるジェンダーに、私たちはどうやって対抗していけばいいのでしょうか。作家・アルテイシアさんの解説をご紹介します。
※本記事は、2024年6月29日に東京・水道橋で行われた「失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック」(小学館)発刊2年記念シンポ「ジェンダー表現たのしんでいますか~アルテイシアさんを囲んで〜」の内容から構成しています。
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日本で暮らすあなたがこんなに苦しいのは、自分のせいじゃない
パーソナル・イズ・ポリティカル、訳すると「個人的なことは政治的なこと」。これは、フェミニズムの大事なスローガンです。日本には「自己責任教」が蔓延していて、何につけても「うまくいかないのは自分のせい、失敗したら努力不足」という考えが刷り込まれています。奨学金を苦に自死する若者がいるのは「お金がないのに大学にいった自分が悪い」「お金を稼げない自分のせいだ」と、自分を責めちゃうのが一因といわれます。
でも、一度海外に目を向ければ、義務教育はもちろん高等教育まで学費がすべて無料の国もあるとわかります。日本で生まれ暮らしている若者がこんなに苦しいのは、自分のせいじゃなく、政治や社会のせいなんだ。そう気づければ、罪悪感や自責から解放されて楽になるし、政治や社会に対しても自然と興味がわきますよね。
今の高校生や大学生でも「性差別なんて感じたことがない」という人がいます。エリート層の女子ほど、よく「えっ、日本にもまだ性差別があるんですか?」と聞いてきます。そういう方に「あなたの地元の国会議員は女性? 就職先の会社の役員に、女性は何人いる?」と問いかけると初めて「あ、意思決定層は男性ばかりなんだ」と気づくわけです。
性差別的な環境に染まっている人ほど、その事実に気づきにくいんですよね。
マイノリティは一括りで叩かれがち
企業の経営層や国会議員は男性ばかり。この偏りを正すのに有効なのは、やっぱり「クオーター制」です。マイノリティの意見を反映するためには、マイノリティが全体の約3割を占める必要があるといわれます(クリティカル・マスの法則)。
「女性に下駄をはかせるな」「性別じゃなくて実力で選ぶべきだ」と言う人もいますが、では経営者や国会議員は、みんな実力だけで選ばれているでしょうか。企業にも、仕事のできないおじさん管理職は腐るほどいますよね。でも、たまたま女性管理職が仕事ができないと「やっぱり女はダメだ」と言われてしまう。マイノリティは一括りで叩かれ、さらに属性を代表して「女性目線の」「女性ならではの」意見や役割を求められます。
偏りでいえば、東大には女子学生が約2割しかいません。世界のトップ大学と比べても非常に女子率が低い。カリフォルニア大学バークレー校は54.8%、マサチューセッツ工科大学でも46%が女子です。18歳の男女の偏差値分布はほぼ一緒なのに、なぜ女子が少ないのでしょうか。
それは「女子が東大を受験しないから」。これには、親の教育投資が影響しています。男子と女子の子どもがいたら、男子のほうにより教育投資をするんです。今の40代以上では、親から「お兄ちゃんはどこの大学に行ってもいいけど、あなたは地元の大学にしてね」と言われた女性も多いと思います。「期待されない」という、強力な呪いです。
とくに地方ではそれが顕著。女子には、難関大学に入るモチベーションが働かないんです。女性が東京で就職して活躍しても、たまに地元に帰れば「結婚も出産もせず仕事ばっかりしてかわいそう」とか、「結婚はまだ?」「早く子どもを産まないとね」なんて言われてばかり。さらに「地元を捨てて東京に行った、裏切り者」なんて扱いを受けることすらあります。そんな世界で生きてきたら、なかなかモチベーションは育ちません。
マジョリティは差別に気づきにくい、だからこそ学ぶ必要がある
差別は、優しさや思いやりではなくなりません。知識を身につけないと減りません。「自分の言動や行動によって、相手を深く傷つけるかもしれない」という想像力を持つことすらできないからです。だから、マジョリティは特権に気付きにくいものです。私は女性という点ではマイノリティですが、異性愛者という立場ではマジョリティ。だから、自分が持っている特権になかなか気づけませんでした。
以前、東京でイベントに呼ばれてゲスト出演したとき、後から読者の方からDMで「会場が2階で、エレベーターがないと聞いたので行けませんでした」と言われて。そのとき初めて、バリアフリーでない会場だったこと、自分がマジョリティ側にいたことに気づきました。
差別を気にせずに済む、考えずに済む、そのこと自体が特権なんです。「差別なんてない」「私たちには関係ない」と言えるのは、自分が差別された経験がないから。だからこそ、マジョリティは積極的に学ぶ必要があります。
誰でも、マイノリティ性とマジョリティ性の両方を持っています。「私は気にならないな」で思考停止しないで、「気にならない自分は、まずいのかも?」と気づけるかどうか。その何がどう差別的なのか調べたり考えたりするのが大事だし、それが差別を考えるきっかけになります。
誰だって、マイノリティとマジョリティの両方に属している
アンコンシャス・バイアスは本当に根深いです。アメリカで行われた「ジョンとジェニファーの実験」をご存知でしょうか。まったく同じ履歴書で、名前だけをJohn(男性名)かJennifer(女性名)に変えると、圧倒的にジョンの方が企業から採用されるし、能力も高く評価されたという実験です。
日本で、翔太と綾香でも同じことです。翔太に「性別なんて関係なくて、本人のやる気と実力次第だよ」なんて言われたら、綾香は「それは、あなたが性別を理由に差別されずに済むからだ」と感じますよね。
たまに、マジョリティが持っている特権の話をすると怒る人がいます。「俺だって苦労してきたんだ、特権なんてない!」って。決してその人の苦労や努力を否定しているわけじゃないし、特権=人生イージーモードという意味でもありません。
ただ、マジョリティは、属性を理由に差別されることが少ないのは事実です。人は、自分が超えたことがないハードルは、低く見積もってしまうもの。だから「性差別なんてて、大したことないでしょう」と考えてしまいます。
「フェミニズムは男性が責められているように感じて、なんだか怖い」という人もいます。現実に苦しめられている女性が、さらに男性を「男性のことを責めてないよ、フェミニズムは怖くないよ」ってフォローしなければいけないのでしょうか? 「性加害をするような男と一緒にしないでほしい」というセリフはごもっともですが、それは被害者じゃなくて加害者に言うべきです。
「男性社会に都合のいい女」になることが、サバイバルの手段だった
男社会で成功した女性は同性にきつく当たることがある――。これを「女王蜂症候群(クインビーシンドローム)」といいます。例えば、女性が同性に向かって「セクハラされて騒ぐなんてプロじゃないわ」「ジェンダー発言なんて、うまくいなしなさいよ」みたいな発言ですね。
私自身も20代のころは、セクハラを笑顔で軽くいなすのが強い女だと勘違いしていました。というか、そう洗脳されていたんです。これは、あの時代の女性たちにとってサバイバルの手段でもありました。セクハラとパワハラにまみれた社会では、いちいち全部を訴えていられません。気にしないフリをしていないと、生きてこられなかったんです。
でも今思えば、それは強い女じゃなく、「男社会にとって都合のいい女」にさせられていたにすぎません。最近になって、「私たちの世代がもっと声をあげていれば、下の世代の被害は止められたんじゃないか」と反省する女性がたくさん出てきました。男性から、そういう声はあまり聞かないのですが……。
見てみぬふりをしない、アクティブバイスタンダーになろう
性犯罪の加害者は、大多数が男性です。そして加害者男性には、男性の声の方が届きやすいのも事実です。ミソジニーの染みついた男性は、女性の話をろくに聞きません。男性が男性に「その発言はセクハラですよ」「痴漢をするな!」と言うことで、ようやく届くわけです。
だから、男性にこそジェンダーを考えてほしい、性暴力に対して声を上げてほしいなと思って、動画「#ActiveBystander(アクティブバイスタンダー)=行動する傍観者」を作りました。私が脚本を書いて、シオリーヌさん(助産師/性教育YouTuber)が監督で。アクティブバイスタンダーとは、日常生活で性暴力の現場に居合わせたときに、積極的に動いたり声をあげたりする人のことを指します。忖度して笑ったりせず、それは暴力だと指摘することで、加害者はハラスメントを続けられなくなります。
介入方法はいくつかありますが、有効なのは「Direct(直接介入)、Distract(注意をそらす)、Delegate(第三者に助けを求める)、Document(証拠を残す)、Delay(あとでフォローする)」の5つです。これを「第三者介入の5D」といいます。
直接介入以外にもできることはいっぱいあるし、状況に応じて、取るべき手段を選ぶことができると伝えたい。ミソジニーに染まっている年配の方の考えを変えるのは、相当難しいです。だからこそ、周りにいる人が見てみぬふりをしないでアクティブスタンダーになる。例えばセクハラ発言があれば一切笑わずにドン引きする。これが、加害を止める第一歩だと思います。