「共感することが多すぎて、ドラマで描けるのかな?」4月にスタートしたTBSドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』が話題です。主演の多部未華子さんが原作小説を読んだ率直な感想は、まさに「家事」というものの本質をとらえたもの。先日発表された2025年本屋大賞受賞作『カフネ』と共に、家事が脚光を浴びる2025年の文芸界。2作まとめてレビューします。
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「家事」が脚光を浴びる2025年春
この春、家事が話題です。
掃除・洗濯・料理・育児、その他にも山とある、「家の仕事」。自分で家事をしたことがある人であれば、「ただ生活する」ために思いがけない重労働が必要であることはよくご存じでしょう。
献立を決めてスーパーに行き、料理をして配膳をしてやっと食べられると思ったら、待っているのは洗い物。気力を振り絞ってシンクに向かい、いつの間にか切れていた洗剤に気づくときの絶望。あっという間に溜まるゴミ、気づけばなくなっているゴミ袋。洗面台も鏡もお風呂もいつの間にか汚れで曇り、排水溝が詰まって水はけが悪くなっている……。
フルタイムで働きながらある程度きちんと生活したいのであれば、休日の1日弱を家事に回さないといけません。更に、これに家族が増えた場合、作業量は倍々ゲームのように増えていきます。
家事の現場にあるのは、圧倒的な現実。
どんな人も家事無しでは生きていけないけれど、家事にファンタジーやときめきの要素は皆無。だから、家事単体ではドラマや小説のようなエンターテインメントにはなりにくい。エンタメにしたいなら、例えば恋愛の要素を入れないと……。それが、世の多くの人の認識だったと思います。
『対岸の家事』(朱野帰子/講談社)と『カフネ』(阿部暁子/講談社)。どちらも家事をテーマにした2作。
しかし2025年春。文芸界で脚光を浴びているのは、まさかの「家事」がメインテーマになっている2冊です。
多部未華子さん主演でドラマ化!『対岸の家事』
4月にスタートしたTBS火曜ドラマ、『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』。原作は、『わたし、定時で帰ります。』の著者である朱野帰子さんによる小説『対岸の家事』(講談社文庫)です。
『対岸の家事』(朱野帰子/講談社)
「家族のために家事をすることを=専業主婦」を職業として選び、居酒屋店主として働く夫と娘と暮らす主人公・詩穂。不器用で同時に2つ以上のことができない詩穂は、亡き母にかけられた「ゆっくり、ゆっくり」を自分に言い聞かせながら、こつこつ丁寧に家事をして暮らしています。
しかし詩穂が直面するのは、専業主婦はもはや社会のマイノリティである現実。
自分の選んだ道は正しかったのかと悩みながら、ワーキングマザーの礼子や育休をとって専業主夫になった官僚の中谷など、同じ街で家事に悩みながら暮らすさまざまな境遇の人たちと交流していきます。
すみません、と頭を下げるたびに自分が縮んでいく。子供なんて産んですみませんと、口の中でつぶやく。でも、これからの社会は誰の世話もしないでいい人たちを中心に回っていくのですか、という言葉も喉まで出ている。――『対岸の家事』より
幼児を2人抱え、激務の夫には頼れず、日々ギリギリで生きているワーキングマザーの礼子。あっちもこっちも必死で調整し、迷惑をかけないように24時間気を張っているのに、子どもが熱を出したらすべてが終わり。合理主義の権化のようなクールキャラ・育休中の専業主夫の中谷も、詩穂に「専業主夫なんて時代遅れだ」と言いながら実は大きなモヤモヤを抱えています。
ドラマの主演をつとめる多部未華子さんは、原作を読んで「共感することが多すぎて、ドラマで描けるのかな?」と感じたそうです。あまりにリアルすぎて、日常のディテールにあふれていて、「これが連続ドラマというエンタメとして成立するのか?」と心配になってしまったということかと思います。
原作を読んでいても、描きこまれている細かい家事の描写に驚かされます。あらゆることを同時進行で考え、先を見通してリスクマネジメントし、突発事象に対応する。家事には、とても高度なマルチタスク能力が必要なのだと実感しました。
一発逆転の解決法も、華麗なヒーローの登場も、家事には期待できません。それをどう、「わかりやすさ」「爽快感」が求められてきたはずのテレビドラマの世界でエンタメとして成立させるのか。主演女優さえ不安に感じたこのドラマが、今非常に話題になっていることに、令和の時代性を感じざるを得ません。
家事代行サービスをとりあげた本屋大賞受賞作『カフネ』
4月9日に発表された、2025年本屋大賞。
話題作がずらりと並んだ候補作の中から、全国の書店員が大賞に選んだのが『カフネ』(阿部暁子/講談社)。得票数581.5票と、第2位との差が200票を超える圧勝でした。
『カフネ』(阿部暁子/講談社)
最愛の弟を亡くしたばかりの薫子と、弟の元恋人のせつな。弟の遺言通りに遺産を分ける手続をするためにせつなを呼びだした薫子ですが、「遺産なんていらない」とつっぱねるせつなの態度に怒りを隠せません。
「弟の最後の願いを踏みにじるなんて許せない。ぜったいに遺産を受け取らせる」
そう心に決めた薫子はせつなにつきまとい、ひょんなことから彼女の仕事を手伝うことに。
せつなが働くのは、家事代行サービス会社「カフネ」。薫子はボランティアスタッフとして家事代行チケットを贈られた家庭に赴き、いろいろな家庭の現実に直面します。料理を担当するせつなと、掃除を得意とする薫子。2人はいつしかナイスコンビとなり、日々の家事に溺れそうになっている人たちを救っていきます。
「お腹がすいていることと、寝起きする場所でくつろげないことは、だめです。子供も大人も関係なく、どんな人にとっても」――『カフネ』より
几帳面で意志が強い薫子ですが、実は彼女自身も離婚トラブルと弟を亡くしたショックでボロボロの状態でした。家は荒れ果て、仕事から帰ったらすぐアルコール度数の高い缶チューハイを空けてしまう毎日。せつなと出会い、家事代行のボランティアに参加するようになって、薫子は徐々に自分と生活を取り戻していきます。
「家事がつらい」「生きるのがつらい」「家族がつらい」
声なき声に耳をすませ、一人一人の思いをすくいあげる。どんな生き方も否定しない。家事代行サービスや行政機関によるセーフティネット、多様な生き方を支援する制度など、見えない選択肢を可視化する。
「この本を売りたい」と全国の書店員さんが願って投票したのは、きれいごとではないいたわりがたっぷり詰まった1冊でした。
「私の話を聞いて」家事に疲れた人たちの叫び
『対岸の家事』と『カフネ』。この2作に共通するのは、「これまでなかったことにされていた声に耳を澄ませる」作品であることです。
家事はあまりにも現実過ぎて、エンターテインメントにはなりにくいのは事実です。出版物としては小説よりも実用書として作るのが一般的ですし需要もあるでしょう。その証拠に、書店には料理や掃除をテーマにしたノウハウ本がずらりと並んでいます。
しかし、今は老若男女問わず家事をする必要がある時代。しかも、仕事や育児・介護などと両立しながらという条件付きです。『対岸の家事』に登場する礼子の同僚イマイの言葉を借りれば「それってクソゲーでは?」と言っても過言ではない。
少子高齢化で働き手が不足し、物価高の影響もあり専業主婦はむしろ贅沢な存在になりました。2つの物語にも、いろいろな属性・立場から家事をこなしている人たちが登場します。家事を自分でやるか、外注するか。節約を追求するか、高いクオリティを目指してお金を遣うか……。家事に対する悩みや目指すレベル、求めている解決法もさまざまです。家事へのかかわり方ややり方を巡って、新しい分断も生まれ始めています。
そんな多様化する家事の悩みに、社会はまだこれぞという対策を講じられていません。
そんな中で、家事に苦しむ私たちが今求めているのは、ノウハウに昇華される前の「モヤモヤ」「苦しさ」を誰かに聞いてもらうことなのではないでしょうか。だからこそ、物語としての「家事の話」を、多くの人が支持しているのだと思います。
「誰か」
胸が乾ききっていた。喉が渇いてしょうがなかった。なのに涙はでる。
「話を聞いて」
坂上家にはもう行けない。礼子は遠くに行ってしまう。中谷には会うなと言われた。
詩穂のもとにやってくるのはあの手紙だけだ、この世から消えてしまえ。
「私の話を誰か聞いて」――『対岸の家事』より
グレーな人たちも受け入れたほうがいい。そうすれば困っている人もグレーの中に溶け込んで、助けを求めやすくなる。さり気なく、気安く、手を貸せるようになる――『カフネ』より
家事は、あまりに現実で、あまりに果てが無い。なのに、家事無しには生きていけない。
だからこそ、家事の悩みや苦しみをもっと吐き出せていれば、SOSを気安く出せていれば、助け舟に出会える確率はぐっと上がる。どんな選択肢があるか見えてくる。声を上げていればいつしか社会の側も問題に気づき、少しずつでも状況は良くなっていくかもしれない。朱野帰子さんと阿部暁子さんからの、励ましとエールがみっちりつまった二作です。ぜひ書店で手に取ってみて下さい。