メンタルダウンを経験するビジネスパーソンは増えています。それまで思い描いていたキャリアが断絶されてしまったり、“腫れ物扱い”や“二軍扱い”をされたりと、社会からの孤立を感じてしまう人も少なくありません。
そんな現実に対して一石を投じるのが、株式会社Mentally代表取締役の西村創一朗氏です。自身も過去3度にわたるメンタルダウンを経験し、一度は事業のクローズという挫折も味わったという西村さん。大きな挫折を経てもなお新しい挑戦に向かっている西村さんが、今どんな未来を描いているのか、詳しく聞きました。
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独立後、3年間で3度のメンタルダウンを経験
――西村さんご自身、これまで複数回のメンタルダウンを経験されているんですね。
私は2017年1月にそれまで勤めていたリクルートキャリア(当時)を辞めて独立し、「複業研究家」としての活動を本格的に始めました。初めてメンタルダウンしたのは、その年の11月頃です。半年間ほど、ベッドから起き上がれない日々が続きました。独立して周りの方々からお仕事をいただき、順風満帆なスタートを切ったものの、それでも底知れない将来不安に襲われていたんです。
翌年の5月頃からは、なんとか元気を取り戻していき、完全復活といえる状態になりました。でも同じ年の冬には再び落ち込んでしまい、その翌年3月頃にまた復活。今度はその年の夏に2カ月間ほど動けなくなってしまいました。結果的に、約3年間で3回メンタルダウンしたことになります。
19歳で学生結婚をして父親になっていたので、当然家族を抱えているうえ、勤め先という後ろ盾がない状態でのメンタルダウンです。3回も繰り返すので、当時は妻から「またやってるよ」「本当にロボットみたいだね」と呆れられていました。
株式会社Mentally代表取締役
西村 創一朗さん
病院にかかり、最初は「うつ病」と診断されましたが、何度も繰り返すことから、最終的にはうつ病ではなく「双極性障害II型」という診断を受けました。比較的軽い「躁状態」と「抑うつ状態」を繰り返す、いわばジェットコースターのような状態です。
正直、自分でも驚きました。私の母親が重度のうつ病を患っていたので、僕にとって精神疾患は身近なものでした。でも自分自身はずっと心身ともに健康に生きてきたし、メンタルダウンなんて関係ないと思っていたんです。むしろ、母が治療のために薬を何種類も飲んでいるのを見て、僕はそうなりたくないとメンタルクリニックを敬遠していました。
ですから、診断を受けた時は戸惑いとショックが大きかったですね。今思えば「自分は母親みたいに弱くない、強い存在だ」と過信していたのだと思います。
――メンタルダウンの原因には、起業家という仕事の特殊さもあったのでしょうか。
そうだと思います。起業家というのは、上司もいなければ労働基準法のような概念もないので、いくらでも働けてしまいます。特に躁状態のときや、躁になりかけているタイミングは自己効力感がどんどん高まって、まるでマリオでいうスター状態のような“無敵感”が生まれるんです。
「いつまでも仕事できるぜ! もっといける!」という変な全能感に襲われて。1日に20時間くらい働けてしまうし、睡眠は3時間でも平気でした。その状態が続くと、ある日突然プツンと心身の電源が落ちて、ベッドから起き上がれなくなるという感じです。
メンタルダウンした自分を認め、事業家として再挑戦
――その後西村さんは、2021年10月にMentallyを創業されました。どんな経緯があったのでしょうか。
「仏の顔も三度まで」と言いますが、次にメンタルダウンしたら妻に愛想を尽かされてしまうと思い、本気で自分を変え、メンタルを整えようと決意しました。
双極性障害は簡単に治る病気ではなく、いかに根気強く、うまく付き合っていくかが重要です。どうすれば自分の心と体をうまく乗りこなせるか考えた結果、躁状態にならないように徹底管理するのが大事だという結論になりました。
双極性障害を車に例えると、最大スピードはしっかり出るけれど、スピードを出しすぎて事故ってしまう車のようなもの。いかにスピードを出しすぎないか、つまり躁状態に突入しないかが鍵だと気づきました。
その結果、2020年は丸1年間、一度もメンタルダウンすることなく元気に過ごせましたし、2021年に入ってからもいい状態をキープできました。「これでようやく次のステージに行ける」と思えたんです。
――完治することで病気を乗り越えようとするのではなく、病気とうまく付き合っていくという発想ですね。

はい。もともと僕が起業したのは、事業を大きくしたいというより、家族と過ごす時間を増やしたいという想いからでした。僕はリクルート時代にプライベートでマイクロ個人事業を立ち上げたり新規事業開発を手がけたりした経験もあり、事業家気質の人間なのだと思います。
それでも、事業の立ち上げ期は猛烈に働く必要があるのでワークライフバランスとの相性が悪く、家族との時間は取れなくなると気づきました。そのため、第3子である娘が小学校に上がるまでは、働く時間を最小限に抑える「ハーフリタイア」という働き方を選択し、複業研究家として活動していました。
そして2021年、娘が小学校に上がるタイミングで、専門家としてのキャリアに一旦区切りをつけ、再び事業家としてチャレンジすることを決めました。では何をしようかと、マーケットの成長性が高く、かつ僕自身の興味関心や適性に合う領域は何だろうと自問を繰り返しました。
答えはすぐに出ました。「メンタルヘルスしかないな」と。自分自身が原体験を持ち、グローバルのマーケットは相当大きく、国内でも社会課題として深刻化している領域です。こうして、メンタルヘルス領域での起業を決意し、Mentallyを創業しました。
原体験ドリブンで生まれたアプリ「mentally」
ピアの経験談を聞いたり、相談したりすることで、症状の改善につなげていくのがmentallyの特徴
――その後、具体的なサービスであるアプリ「mentally」を立ち上げるまでは、どのようなプロセスがあったのでしょうか。
比較的すぐにたどり着きました。僕の思考の癖で、いつも「原体験ドリブン」で考えるんです。僕自身の経験を振り返ると、3回のメンタルダウンからリカバリーできた最大の理由は「ピア」(似た経験や悩みを抱えている仲間、当事者たちのこと)に出会えたことでした。
僕と同じ精神疾患を経験し、それを乗り越えて活躍している先輩の存在があったからこそ、僕も未来に希望を持てましたし、「メンタルダウンしても大丈夫だ」と思えました。リカバリーするための具体的なハウツーや、「躁状態にならないことこそが大事」と教えてくれたのもピアの方々です。
しかし、メンタルダウンした多くの人は、ピアと出会う機会があまりないと思います。それなら誰でもピアと出会える場所をつくろう、と考えて、ピアカウンセリング・ピアサポートのCtoCマッチングアプリ「mentally」を着想しました。海外で同様のサービスがあることも知り、「いけるじゃないか」と。
創業と同時にエンジェル投資家の方々から出資いただいた約3,000万円を元にエンジニアやメンバーも採用し、順調なスタートを切りました。2022年2月にはサービスサイトをオープン、7月にはアプリを正式リリース。前年から始めていたWebメディアも合わせて、2つの主要事業が立ち上がりました。
3カ月でサービス終了。でも「ここでやめたら、負けで終わりだ」

――すごく順調な滑り出しだったんですね。
はい。立ち上げの後、資金調達に向けた活動を本格的にスタートしました。でも、最終的には出資を受けることはできませんでした。そして、9月30日をもってサービス終了という、想像もしていなかった辛い結末を迎えることになったんです。
ピアカウンセリングというアプローチは間違っていなかったと思いますが、急成長を目指すスタートアップがメインで取り組む事業ではなかったんですよね。メンタルダウンした人が、ピアと出会って相談することにそもそもお金を払うのか、いくら払うのかという点の検証が甘かったです。
また、ピアカウンセリングの経済的価値を過信しすぎて、アプリがうまくいく前提でファイナンス計画を立ててしまっていました。2022年7月にサービスをリリースし、8〜9月には資金調達をできる前提で進めていたため、うまくいかなければ10月末には資金が尽きる計画だったんです。
「もし事業が軌道に乗らなかったらどうするのか」をまったく考えられていませんでした。もっとコストを抑えて、ランウェイ(資金が尽きるまでの期間)を確保するべきだったと、本当に多くの反省点があります。
――誰よりも西村さんにとって辛い状況でしたね。当時の精神状況はいかがでしたか。
もちろん自分の至らなさに落ち込みはしたものの、メンタルダウンには至りませんでした。キャッシュが尽き、メンバーの雇用も維持できず、サービスを終了せざるを得ないという状況は、当然ながらめちゃくちゃ後悔しましたし、泣くほど悔しかったし、凹みました。「ゲームセットだ」と気づいてから3日くらいは何も手につきませんでした。
ただ、会社ごと清算する選択肢もあった中で、感じたのは「ここで試合終了したら、負けで終わりじゃん」ということです。Mentallyや僕のことを信じて投資してくれた株主たちに少しでもリターンを返したいという思いもあって、一人になっても戦い続けることを選びました。
――ありがとうございました。次回の記事では、西村さんが挫折を経て新サービスを立ち上げた経緯についてお伺いします!