柚木麻子さんの長編小説『BUTTER』が、刊行後8年経って世界で大ブレイク中です。特にイギリスでは英国推理作家協会賞(ダガー賞)翻訳部門の最終候補作にもノミネートされ話題に。実際に発生した殺人事件をモチーフにしたこの小説、改めてその魅力を深掘りする第1回をお送りします。
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あの『BUTTER』が、イギリスで爆発的に売れているらしい!
SNSで検索すると、そこには日・英それぞれのバージョンの黄色いカバーがずらり。著者の柚木麻子さんはイギリスに飛び、6都市を巡るオーサーズツアーに参加したそう。確かに画期的に面白い本だったけれど、刊行されたのは結構前のはず。いったい何が起きているのでしょうか?
『BUTTER』(柚木麻子/新潮文庫)
週刊誌の記者として、ハードワークに身を投じる町田里佳33歳。付き合っている同業の彼氏とは完全にすれ違いで、マンションには寝に帰るだけという、仕事中心の殺伐とした生活を送っている。「おいしいネタ」を追い求め、40代から70代の男性を殺害したとされ収監中の梶井真奈子(カジマナ)に接近する里佳。手料理と女性らしい気遣いで男性たちを翻弄し、強烈な自己陶酔の中で生きるカジマナに、いつしか惹かれていく里佳。不妊治療のために仕事を辞めた親友・玲子と共に、カジマナとはいったい何だったのかを探り始める……。
実際に日本で起きた連続殺人事件をモチーフにした、ミステリー×グルメ小説。女性の生きづらさ・ミソジニーの問題もふんだんに盛り込まれた、柚木さんらしいカロリーの高い物語です。刊行直後(2017年)に読んだときは、とてもとても“日本らしい”と感じましたが、情感たっぷりな食の描写・リアルな感情表現が魅力的な「フェミニズム小説」として、特にイギリスで一躍ブームが起きているというのです。
長年のファンとしては、名作『BUTTER』と柚木麻子さんの名前がグローバルになっていくのは嬉しい驚き。今日は改めて、『BUTTER』の魅力について掘り下げていきたいと思います。
「男の規範」を内在化する女たち
柚木麻子さんといえば、フェミニズムをテーマにした小説家の代表選手。女性が主人公の作品が多く、いろいろなタイプの女性が登場してぶつかったり労わりあったりしながら連帯していく……。そんな、いわゆる「シスターフッド小説」の旗手として知られています。
『BUTTER』にも、個性豊かな女性がたくさん登場します。
まず、主人公の里佳。週刊誌の記者として毎日ネタを追い、「いつか、女性初のデスクになれるのでは?」と期待されているホープ。家事や恋愛はちょっと苦手で、見た目にも無頓着なキャラクターです。そのすらりとした長身と精悍な雰囲気で、高校時代は女子学生たちの王子様的存在だったとか。
里佳の学生時代からの親友、玲子は料理上手な完璧主義者でこうと決めたら突っ走ってしまう性格。妊娠を切望しており、天職のような仕事を潔く辞めて、わき目もふらずに不妊治療に邁進しています。里佳のカジマナ調査の相棒のような存在。
2人共、仕事相手や恋人・パートナー・世間の目といった存在から不躾な視線とハラスメントを受け、女性であるがゆえの苦しみを抱えています。
それに対してもう一人の主人公、カジマナこと梶井真奈子はフェミニストが大嫌い。「女性は殿方に愛されてなんぼ」と公言し、20代の頃から年上の男性を相手にした愛人業で生計を立ててきました。そして、「ダイエットほど無意味でくだらないものはない」という信条をそのまま具現化したような体型は、逮捕時の報道写真を通して世間から反響を受けました。
ミソジニーの権化のような女としてカジマナに嫌悪感を覚える里佳でしたが、カジマナの自信に満ちた言動や相手のコンプレックスを巧みに突いた話しぶりに、徐々に翻弄されていきます。そんな里佳を責める玲子も、いつしかカジマナの毒牙にかかり……。
ともすれば「女性同士が蹴落とし合っている」ように見えかねない構図。しかしこの3人をよく観察すると、それぞれが「男性が作った規範を無意識に内在化している」という共通点が見えてきます。つまり三人とも、「男の皮をかぶった女」なのかもしれないということ。
里佳は典型的な「大企業勤務の総合職女性」で名誉男性的だし、玲子の不妊治療にかける執着は「家庭を持って一人前」という価値観の反映と言えるのではないでしょうか。そしてカジマナは3人の中でいちばん女性的に見えて、「男性が求める女性像」をなぞるだけの空虚なキャラクターに思えてきます。
梶井さんは女っていうより、男だったのよね。あ、言い方が悪いか。男っていうか、強者側。でも、仕方ないよね。金で若い女を買うようなおっさんとばかり付き合ってたら、誰だってああなるんだと思う。実際、私もそうなりかけたことあったし。――『BUTTER』より
『BUTTER』を読んで、「やっぱり女って怖いな」と感じる人がいたらそれは浅慮であると言いたいです。そうではなくて、男の規範をインストールされてしまった女たちが、その副作用に苦しみながらぶつかり合い、摩擦の苦しみの中で自分を開放する道を探していく物語なのです。
(第2回に続く)