俳優業の傍ら執筆にも取り組む奥野翼さんが、複数に分岐していく女性のキャリアとライフステージをテーマに小説を執筆。喫茶店「クロス」を舞台に、正解のない人生を迷いながら歩んでいく女性たちを描きます。
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Contents
次の交差点
「正樹さん、喫茶クロスの新しい名前、決まったんです」
私がそう言うと、正樹さんは少し驚いたような顔をした。隣の栞さんも、優しい眼差しでこちらを見ている。
「『カフェ・レーヴ』にしようと思います」
その名前を口にした瞬間、私の胸の中に温かいものが広がった。フランス語で「夢」を意味する Rêve(レーヴ)。
「カフェ・レーヴ……夢のカフェ、ですか。素敵ね、紬ちゃん」と、奈々さんが真っ先に微笑んでくれた。
正樹さんは、ゆっくりと頷き、静かに言った。「レーヴ……。喫茶クロスの意味は『交差点』だったね。人が出会い、人生が交差する場所。……そして、『カフェ・レーヴ』は、夢や希望を持って、それぞれの道へと向かっていく、『次の交差点』になる。……とても、いい名前だね」
「正樹さんが私に夢を託してくれたから、私もここで自分の夢を見つけられました。これからも、あの場所で誰かの人生と交差し、その人がまた、次の夢へと進んでいく。そんな場所でありたいと思っています」
「紬ちゃんの夢、私たちが応援するよ!」沙耶さんが力強く言ってくれた。
「もちろん。また、すぐに寄らせてもらいます」と緒方さんが穏やかに笑う。
「新しいお店のロゴ、私がデザインしようか?」とハスミさんが冗談めかして言って、みんなの笑いを誘った。
杏奈さんもTシャツの【Stay Young】の文字を指さしながら、「もちろん!私の人生の続く限り、応援する!」と笑った。
それぞれの道を見つけ、また一歩を踏み出している皆の姿が、今の私を支えている。
「正樹さん、改めて本当にありがとうございます。私には越えなくちゃならない壁があって、それを乗り越えることができたのは、ここで、喫茶クロスで働くことができたからだと思います。正樹さんが入院した時、私、もうダメかと思ったんです。これまで当たり前のようにやっていたことができなくなって、正樹さんがいないと何もできない自分にも嫌気がさして、全てを投げ出したくもなったんです。
だけど、正樹さんの大切な場所である喫茶クロスを守ることだけは忘れずに、自分が今できることをできる限りやってきました。結果的に、なんとか乗り越えることができた時に思ったんです。人生を嘆いてばかりではなく、何があってもこれからできることを探し続け、夢を追い続けたら、最後にはしっかりと蕾は綻ぶんですね。新しいお店、カフェ・レーヴも、どうぞよろしくお願いします」
私がそう言うと、正樹さんは満足そうに微笑んだ。
「ああ、もちろん。……ありがとう、紬さん。本当に」
私は、正樹さんの顔を見て、涙が溢れてきた。あの頃、自分の人生に絶望していた。穂乃果ちゃんを救えなかった後悔から、誰とも深く関わろうとしなかった私。正樹さんは、そんな私を救い、喫茶クロスという居場所を与えてくれた。そして今、その想いは継承され、次なる居場所へと代わっていった。
私たちの夢
2024年12月3日
カフェ・レーヴの開店準備などに忙しく、充実した日々を過ごしている中、季節はもう冬になっていた。お店の広告やマグカップなどを新しくして、来週から正式にオープンができそうだ。店内の大きなガラス窓はそのままで、内装は喫茶クロスの頃よりもシックな雰囲気へと変えた。この内装は気に入っている。そして店内には、穂乃果ちゃんと学生時代に見ていた富士山の写真を飾った。
終電間近の駅で、静かに電車を待っていると、スマホに一件のメッセージが届いた。緒方さんからだ。
「紬さん、お誕生日おめでとう!」
開店準備に終われて気づかなかったが、日付が変わった今日は、紬の29歳の誕生日だった。メッセージを開くと、一枚の写真も添えられていた。写真には、新しくデザインされた「カフェ・レーヴ」のマグカップの試作品が写っていた。以前、店前に緒方さんが立ち寄った際に、試作品のマグカップをプレゼントしたのだ。
「新しいお店、SNSで見ているけど、本当に素敵です。来週のリニューアルオープン、必ず寄らせてもらいます。できれば、お祝いに二人でどこかに出かけませんか?」
メッセージを読み終えた紬の胸に、温かく、少しこそばゆい感情が広がった。過去に一度だけ、緒方さんと東京の夜景が見える場所でご飯を食べた。あれから数年経った今なら、緒方さんとももっと深く話をしてみたいと思った。
「ありがとうございます!是非、行きましょう」
紬は連絡を返した。
誰かと一緒に夢を追うこと。誰かを想い、支え合うこと。それがこんなにも素晴らしく尊いものなんて知らなかった。何も知らない少女は、人生に立ち向かい、逃げずにもがき続けた先で、自分らしく生きることができている。彼女の人生の次の交差点で、誰かと共に歩む未来が、ほんのりと照らされ始め、もう過去に引きずられる自分ではないと強く確信している。
紬は、しっかりと両足で立っている。目の前の線路に、夜の街を駆け抜けてきた最終電車が、静かに滑り込んできた。
「私たち幸せになろうね」
電車の窓に映ったのは、穏やかに笑う穂乃果ちゃんと紬の顔だった。










