夫婦で、車を拠点に旅しながら生活する――。思いっきり自由な生き方をエンジョイしながら、ライター、YouTuberとして活躍している「えりキャン△」こと、菅原恵利さん。いったいどうして、この斬新なライフスタイルにたどり着いたのでしょうか。率直に尋ねてみると、「ルーティンをこなし続けた先の未来にはワクワクしないし、なんだか不安になるんです」とあっさり答えてくれました。パワフルな笑顔と明るさが印象的な菅原さんの、「自分らしく生きる」姿に迫ります。
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出会った翌月プロポーズ。夫婦で旅に出た理由
――最後に定住されたのはどこですか?
2年半くらい前まで、新宿に住んでいました。でも家賃が15万円と高いし、だんだん都心の生活に疲れてしまって。ある時、当時流行っていたこんまりさんの影響を受けて、部屋を断捨離してみたところ、家じゅうがすっからかんになりました(笑)。ぽっかり空いたクローゼットを前に、これに毎月何万円も払っているんだ……って、唖然としたんです。それならもういっそ家も断捨離してしまえと思って、不動産屋さんに契約解除を申し込みました。とにかく、捨てれば何か新しいものが入ってくるだろうと思って、次は何も決めず。そこで思い立ってシンガポールに旅立ち、アドレスホッパーになったんです。
――いきなりすごい決断力ですね! 旦那さんとはどうやって出会ったんですか?
歯医者さんに行くために日本に一時帰国しないといけないことがあって(笑)、たまたまその初日にTwitterを通じて今の夫と出会いました。その後すぐお付き合いするようになり、翌月にはプロポーズされて、一緒に暮らすようになりました。最初はシェアハウスを転々としていたんですが、意外とお金がかかるしどうしよう……と考えた結果、夫婦で車に乗って日本全国を旅することにしました。
――旅先には、海外ではなく国内を選ばれたんですね。
結婚前は香港やタイにも行こうと思っていたんですが、海外より先に日本を回りたいという夫の希望があったんです。私も海外の方から日本について聞かれたとき、母国のことなのにちゃんと説明できず歯がゆさを感じた経験がありました。それで、2人で日本一周しようと決めたんです。それが2019年4月、私たちのバンライフの始まりでした。
ずっと同じことをやり続けて、ただ歳をとるのは怖い
――今まで1年半ほど旅されて、とくに思い出に残っているところを教えてください!
去年の夏、2ヶ月間過ごした北海道ですね。函館から入り、洞爺湖、小樽、富良野、札幌などを周りました。美瑛町では、iPhoneのデフォルト待ち受け画面で有名な「青い池」も見ましたよ。
――いわゆる“安定感”とは真逆の生活ですよね。不安を感じることはありませんか?
私はむしろ、ずっと同じ生活を続けていくほうが不安になりますね。毎日同じことを繰り返していった先の未来には、どうしてもワクワクできないんですよ。家も環境も、転々とする生活が性に合っているんだと思います。これまでいろんな世界を見てきましたが、不安を感じたことはありません。
これには、子どもの頃の経験が影響していると思います。もともと私は勉強もスポーツもできず、友達もいなくて、よくいじめられていたんです。一方で、舞台女優になるという夢があって、演劇を頑張っていました。それが、あるときミュージカル「アニー」に子役で出演することが決まると、周りの態度や視線がガラッと変わったんです。それ以来、「普通」でいることが怖いというか……。突出してしまえば、叩かれないんだと感じたんです。無理に自分を押さえつけるよりも、好きなことをして自分が輝く道を見つける方がいいと考えるようになりました。
――その方が、菅原さん自身も生きやすくなるということですね。
はい。母からもそういう教育を受けました。今ではメディアに出る機会が増え、YouTubeもたくさん見てもらえるようになりました。多くの方に認められるのはうれしいし、頑張ってきてよかったです。
仕事仲間との「補い合う」関係性が大事
――今はライター・編集業に加え、YouTuberとしても活躍されています。
もともとライティングや編集の仕事をしていて、今年の6月頃からYouTubeを始めました。夫が1人でYouTubeをはじめたので、「じゃぁ私も!」というノリと、バンライフという新しい暮らし方を多くの人に知ってもらいたくてスタートしたんです。
――1人で動画の撮影、編集をされているんですか?
はい、私1人でやっています。webデザイナーである夫の能力に依存するのは嫌で。始めるときは、コンテンツの方向性や編集の仕方をとことん考えましたよ。応援してくれる人が日に日に増えていくYouTubeの仕組みが好きです。また収入も増えてきたので、今後はYouTubeを軸にしていくつもりです。
――ライティングや動画編集など、クリエイティブなことが得意なんですね。
アイデアを出したりものを作ったり、創造的なことをするのは好きですね。結婚するとき、夫と「子どもを産まない代わりに、クリエイティブに生きる」というテーマを決めました。逆に私、細かい事務作業やタスク管理は苦手で……、ミスをして怒られることもありますね。
――苦手なタスクは、どう対処しているんですか?
仕事仲間には、「私苦手なんですよね」と、あらかじめ自分の苦手分野も包み隠さず伝えておきます。もし、すごくきめ細かい事務作業が必要な仕事なら、ほかの人に振ったほうがいい場合もあると事前にお伝えしますね。その代わり、ほかの部分でいい仕事するので(笑)。できないものを改善するよりも自分ができる部分を伸ばしていくほうがいいと思っていて。無理に全部抱え込むのではなく、みんながそれぞれ自分の得意なことをやって、力を伸ばして補いあっていくのが仕事だと思っています。
――なるほど。そうした信頼関係を築く上で、大事にされていることはありますか。
とにかく、仕事の質です! 手慣れた仕事でも、クオリティ高くやり続けていればいい関係性を築いていけますし。目の前の仕事に全力投球して、いただいた金額以上のことをお返しすることで、私に仕事を任せたことの意義を感じてもらえるようにしています。
バンライフを始める前、マーケターとして会社に勤めていたんです。ですが、私がバンライフを始めたことでなかなか仕事の折り合いがつかなくなってしまって会社に相談したんですね。すると、もう働かなくていいからスポンサーをさせてほしいと言われて。今は、私が配信しているvoicyというボイスメディアの番組のスポンサーをやっていただいています。それもすべて、目の前のつながりを大切にしてきたからこそ築けた関係性だなと思いますね。
――理想的な関係ですね! これからも仕事をしていくうえで変わらないスタイルというのはありますか。
はい。なので、「人から応援される人でいること」を心がけています。それは、会社員でもフリーランスでも大事。視聴者の方からも、登録者数が増えても調子に乗って芸能人みたいにならないでね、とコメントをいただくことがあります(笑)。ずっと初心を忘れず、見ている人が応援したくなるようなキャラクターを保っていたいですね。代表的なのは金銭感覚。読者や視聴者と同じ感覚を持ちつづけることは、面白いコンテンツをつくるうえでも必要な要素だと思います。
バンライフで見つけた「3つの夢」
――バイタリティ豊かな菅原さん。今後の夢はありますか?
3つあります(笑)! まず1つ目は、バスに乗って全国の児童養護施設を回って、私のような自由な生き方もできるということを伝えたいです。とくに女性は、古い価値観に縛られて生きづらい思いをしている人が多いですよね。結婚しなきゃ、子どもを産まなきゃ、企業に勤めなきゃ……って悩んでいる人に、そうじゃない選択肢もあることを示していきたいです。
――まさに、パラナビも同じ思いです!
通じ合うものがありますね(笑)! あとは、2つ目の夢は車中泊の環境をマッピングするのも目標です。今の日本って、防犯や衛生の面が不安で、女性が車中泊しづらい環境ですよね。潔癖症の私でも楽しめたオススメスポットをマッピングして紹介すれば、その不安をなくせると思うんです。車にクローゼットを積んじゃえばおしゃれも十分楽しめますし、車で旅することの魅力をどんどん広めていきたいですね。3つ目は今の自分でできることとして、この車で子どもたちと遊んだり、夏のキャンプの思い出を一緒につくることです(笑)。
――旦那さんのスキルも合わせたら、いいサイトを作れそうですね。
そうなんです。いろんな発信をしていくにあたって、夫婦2人だといずれ限界がくるでしょう。私たちと同じ思いを持っている人と、チームを組んで一緒にやれたら心強いと思います。
――いつも、新しいことにチャレンジし続けてきた菅原さん。その秘訣を教えてください!
それこそ、私も断捨離からスタートしたんですが、何もないことを怖がらないこと。今思うと、本当に新宿に住んでいたのなんて、見栄でしかなくてバカバカしかったなと思います(笑)。まずは抱えている荷物をおろす勇気を持って、自分を空っぽにしてみることです。
精神的、時間的なキャパをつくって、ほかの世界にアンテナを張ったり、新しいことにチャレンジできる環境を整えましょう。何かを卒業することは、次の何かの第一歩になります。一時的に収入や生活が不安定になっても焦って感情的にならないで、ちゃんと頭で考えること。大きなことをやろうとする前に、今抱えているいらないものを減らしていくことから始めてみてください!
菅原恵利(すがわら えり)●バンライファー、ライター。軽自動車ハスラーで車中泊しながら日本中を旅するバンライファー「えりキャン△」としてアウトドア系You Tubeを開設。開始3ヶ月で登録者6万人に。。幼少期はミュージカル「アニー」出演など子役として活動。東京音楽大学卒業後、両親をなくしたことをキッカケに舞台女優の夢を挫折。31歳で住む家を手放し、フリーライターとして旅生活を始め、Twitterで出会った男性と結婚。