日本テレビのアナウンサーとして、テレビで見ない日はないほどの活躍ぶりだった青木源太さん。青木さんは2020年、「日本一のイベント司会者」を目標にフリーアナウンサーに転身しました。現在は、局アナ時代にはできなかったお仕事にも挑戦し「いろいろな可能性が広がった」と笑顔で話します。青木さんのキャリアについて、さらにはParanavi読者も活用できちゃうコミュ力up方法について、じっくり教えていただきました!
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キャリアプランは、30代になってから考え始めた
――青木さんは約15年間、日本テレビでアナウンサーとしてご活躍されました。その中で印象に残っているお仕事はありますか?
入社した直後はスポーツ実況を担当することが多く、オートバイ世界最高峰レース「MotoGP」の中継をやっていました。もともと全然知らない分野でしたが、やってみたら楽しくて勉強になる部分も多かった。自分のやりたい仕事ばっかりじゃないけど、業務命令を受けてやってみることで、新しい世界に出会って見聞が広がる。これってサラリーマンの醍醐味なんじゃないかなと思います。
――確かにそうですね!お忙しい中で新しい知識をたくさん身につけるのは大変だったかと思います。何か工夫していたことはありますか?
とにかく、担当している番組の競技を好きになるように意識しました。やはり「MotoGP」を見ている人は、バイクレースが好きな人が多いんですね。だから僕も視聴者の方々と同じ目線を持てるように、同じくらい好きにならなきゃっていう気持ちでやりました。
でも、仕事で関わる対象物を好きになるっていうのはとても大事で、営業職の方だって、営業している商品を好きになったほうがプレゼンテーションに身が入ると思う。仕事で関わるものや、一緒に仕事をする人を好きになることで、モチベーションアップにもつながりますよね。
――会社員からフリーへとキャリアを展開された裏側には、どんな気持ちの変化があったのでしょう?
「MotoGP」がそうだったように、20代の頃はとにかく、目の前の仕事をこなすのが精いっぱい。30代になってからやっと、今後のキャリアをどうしていこうかなと考える余裕が生まれました。そこで至ったのが、30代のうちに自分の専門性を確立し社内で存在感を発揮して、40〜50代は会社の枠を超えて社会に価値を提供できる存在になりたい、という発想でした。
自分の強みは「成果から逆算するしかない」
――現在はイベント司会をお仕事の軸にされていますが、ここを青木さんの専門性としようと思ったのはどうしてなんですか?
イベント司会はすごくやりがいがありましたし、周りから高い評価をいただいているという自負もあり、自分の強みなんじゃないかなと思いました。強みとか適性って、成果から逆算するしかないと思うんです。何もやっていないのにわかるものじゃなくて、いろいろやってみて、成果が発揮できたところが自分の適性。アウトプットすることで社会からの評価も出てくるので、そこから逆算して見つけるべきだと思います。
――成果から逆算、その通りですね。ちなみに、イベント司会のどういった部分をやりがいに感じていたんですか?
イベント司会の役割は、異なる立場の人の利害を調整することだと僕は考えています。映画の舞台挨拶を想像するとわかりやすいんですが、俳優さんや映画関係者の方は映画の話をしたくて壇上に立っています。でも、そこに取材にきているマスコミは、その俳優のプライベートな話を聞きたいかもしれない。お客さんは、その俳優のかっこいいところを見たい。この場合、集まっているみんなの利害は異なりますよね。
――むしろ、相反する場合もありそうです。
そうなんですよ。誰かだけが満足してもいいイベントとはいえなくて、異なる利害を持つ人たちみんなに「いいイベントだった」と思ってもらうことが成功だと思うんです。そこの調整ができたときは、僕もうまくいって楽しかったし、高い評価をいただけることも多かったので、やりがいを感じました。
――青木さんのその調整力、具体的にはどうやって発揮されているんでしょう?
イベントは生き物だから、「空気を読む」ことが一番大事。台本は用意されているけど、その通りにやったからといって必ずしもいいイベントになるわけじゃないんですよね。俳優さんが話したそうだったら、台本になくても突っ込んで聞く。いざイベントが始まってしまったら、そのさじ加減を判断するのは司会者たる自分にあるので、空気を読んでバランスを取ることが大事ですね。
フリー転身のきっかけは、桝アナとの“流氷の絆”
――自分の専門性を確立し、「いざフリーへ!」と決意されたタイミングはいつだったのでしょう?
2019年2月にプライベートで、同期の桝太一アナと北海道に流氷を見に行ったときです。流氷って、読んで字のごとく流れているんですよ。それを見ていたら、自分の悩みなんてちっぽけだなと思うと同時に、流氷のように生きてみるのもいいかなと思ったんです。
――実は私も、オホーツク海流氷クルーズの「ガリンコ号」に乗ったことがあります(笑)。ちょっと人生観が変わるというか……。
まさにそうです! 隣にいた桝太一アナが「源太はフリーのほうが合ってるんじゃない?」と背中を押してくれたこともきっかけになりました。僕はこれを、「流星の絆」になぞらえて、“流氷の絆”と呼んでいます(笑)。その後東京に戻って、会社に退職の意思を伝えました。
――それから約2年間の準備期間を取られていますが、この間はどういったことをされていたんですか?
僕が大切にしたのは、辞めるにあたって日本テレビに迷惑をかけないこと。当時、番組を2つやっていたんですが、1つは後輩に道を譲って、1つは継続させてもらうことになりました。番組は、いわば1つのプロジェクト。円滑に引き継ぐには細かい方向性のすり合わせなどが必要で、僕の場合はそれに2年かかったということです。
――サラリーマンの鑑ですね…! 実際にフリーになってみて、いかがですか?
フリーになって1年弱経ちましたが、体感では2〜3年くらい経っています。というのは、最後の5年間は朝の帯番組の司会をしていたので、ほとんどルーティンワークになっていたんです。開始時間も終了時間も毎日同じで、スタッフの変動もほとんどありません。それもあって、30代中盤からは1年がめちゃくちゃ早いなあと感じていたんです。
でもフリーになると、どの現場でも会う人全員に「初めまして、青木源太です」とあいさつするところから始まります。初めて行く場所で、初めて会う人と一緒に働くということを毎日繰り返しているから、とても濃密に感じています。
――フリーになる前の想定と、ギャップなどはないですか?
人やもの、コンテンツのいいところをわかりやすく説明しながら進行するというのが僕の基本スキルなので、やっていることはそんなに変わりません。ただ、局アナ時代には絶対にできなかった企業の新商品発表会の司会など、いろいろな仕事をやらせていただくようになって、自分の可能性がぐっと広がったという実感はあります。
おすすめの「コミュ力up法」
――先日、著書『口ベタな人ほどうまくいく たった1日で会話が弾む! 話し方のコツ大全』(宝島社)を出版されたのも新しい挑戦の1つかと思います。どういった経緯があったのでしょう?
出版社の方から、話し方について本を出さないかとオファーをいただいたんです。でも、僕は特段話し方が上手でもなければ、コミュニケーション能力が高いわけでもありません。ただ、話し方がうまいお笑い芸人さんや先輩・後輩のアナウンサーをたくさん観察してきたという自負はありました。そこで、自分のテクニックを語るんじゃなく、質問に答える形で僕が見聞きしたものを書くことならできるかと思い、お話をお受けして、出版に至りました。
――Paranavi読者が明日からでも使えそうな、コミュ力up方法があれば教えてほしいです!
相手の名前を覚えて、ちゃんと呼びながら会話をすること。相手は、「自分のことを理解してくれているんだ」と思うだけで、気持ちよく会話できますから。だから僕は必ず、自己紹介の時に相手の方のお名前を聞いたら「〇〇さん、よろしくお願いします」と返すようにしています。
実は、これには原体験があるんです。学生時代にテレビ朝日でアルバイトをしていたとき、『朝まで生テレビ!』という番組を担当していました。司会を務めていた渡辺宜嗣アナは、僕らからしたら「雲の上の人」。それなのに、学生バイトにも「青木くん、おはよう」ってあいさつしてくれたんです。そのとき自然と、この人のために頑張ろうって思えたんですよね。
だから、相手の名前を呼ぶのはとっても大事。「お疲れ様です」だけじゃなくて、「〇〇さん、お疲れ様です」と言うだけで印象が全然違うと思いますよ。
「10000人に1人の人材」になるには
――ご自身が得意なことをお仕事にして、楽しみながらキャリアを切り開いている青木さん。Paranavi読者へアドバイスをお願いします。
会社員ならまず、会社の看板とお金を使って、スキルを身につけることが大事だと思います。これは会社の利益にも一致するので、ぜひやってみましょう。そこで100人に1人のレベルにスキルを高められたら、また別のスキルをもう1つつくる。100人に1人のスキルを2つ掛け合わせたら、10000人に1人の人材になれるんです。
これを意識するのはすごくおすすめです。さっき名前を挙げた桝アナもそうで、アナウンサーという職種と、生物に詳しいというスキルを掛け合わせて、独自の活躍をしていますよね。
――桝アナの、『ザ!鉄腕!DASH!!』での楽しそうな姿は確かに印象的です。
そうなれたときに改めて、「この“10000人に1人の私”が活躍できる場所はどこだろう?」と考える。僕はたまたまこういう生き方を選びましたが、もちろん自分のスキルを生かして、1つの会社にずっと勤めあげることも素敵だと思います。
――おっしゃる通りですね。最後に、青木さんの今後の夢をお聞かせください!
まずはイベントの司会といえば青木源太、という形で身を立てたいです。僕らの世代だと、結婚式の司会といえば徳光和夫さんというイメージがありますが、同じように「イベント司会といえば青木くんだよね」と言われるようになりたいです。新商品の発表会から舞台挨拶、結婚式の司会もやりたい。その上で、テレビ出演はもちろん、ラジオやSNS、YouTubeなど、何でもマルチに取り組んでいけたらと思っています。
青木源太(あおきげんた)●慶応義塾大学卒業後、日本テレビに入社しアナウンサーとしてスポーツ実況や情報・バラエティ番組を中心に活躍。2020年10月より「日本一のイベント司会者」を目指しフリーアナウンサーとしての活動をスタートさせた。ラジオ番組「青木源太・足立梨花 Sunday Collection」(TOKYO FM)などにレギュラー出演中。2021年8月には著書『口ベタな人ほどうまくいく たった1日で会話が弾む! 話し方のコツ大全』(宝島社)を出版したほか、TwitterやInstagram、自身のYouTubeチャンネル「源チューブ」でも情報を発信している。