Paranaviトップ お仕事 地方/海外 専業主婦→NPO立ち上げ→ブランクを経て起業。長谷川由香さんが金沢で見つけた、「地方の女性と世界をつなげる」夢

専業主婦→NPO立ち上げ→ブランクを経て起業。長谷川由香さんが金沢で見つけた、「地方の女性と世界をつなげる」夢

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金沢でパラキャリをエンジョイしている長谷川由香さんは、子育て&女性支援のNPO「子育て向上委員会」代表、アスタリスク 代表取締役として大活躍中。結婚・出産にともなって金沢に移住してきたころを振り返り、「専業主婦になって、社会との断絶、孤独を感じちゃっていました」と語ります。さらに3人の子育てとパラキャリを頑張りすぎて倒れてしまったという経験も持つ長谷川さん、どうやって自分だけのキャリアをつくってきたのでしょうか?

専業主婦になったばかりの頃、「孤立した感」がすごかった

――3人のお子さんがいる長谷川さん。ママになったのはいつでしたか?

24歳のときです。早いですよね(笑)。私はもともとキャリア志向が強くて、アメリカの大学を出て国際的な仕事に就きたいと思っていました。1996年に大学を卒業して日本に帰ってきて、就職氷河期の中でなんとか、地元の新潟県の食品メーカーに就職しました。東南アジアに事業展開している会社だったので、海外出張を含め世界に関わる仕事ができると思ってうれしかったです。

当時の彼氏(今の夫)は金沢で、私は新潟で就職したので遠距離恋愛だったんですが、ある日妊娠がわかって。産婦人科に行ったら、すごく小さい心臓が動いているのが見えて……結婚してこの子を産もうと決意しました。それで会社を辞めて、金沢に移住してきたんです。

――ご実家が新潟とはいえ、金沢への移住に抵抗はなかったですか?

里帰り出産を終えて金沢に戻ってきてからは、私の人生におけるいちばんの暗黒期でしたよ(笑)。金沢に友達もいないし、街のどこに何があるかも全然わからず、子どもと2人きりでずっと家にいて……。そのころは今ほどネットが普及してなかったこともあり、社会と離れて孤立した感覚が強かったです。

同級生はみんな楽しそうにキャリアを謳歌したり、海外旅行に行ったりしてるわけです。私だけ取り残されちゃったっていう孤独感が強くて、今思えばちょっと鬱っぽかったかもしれません。

――行政の支援制度は使わなかったんですか?

子育てに追い込まれると、支援の存在にも気づけなくなっちゃうんですよね。私も自分が情報発信するようになって初めて、いいサービスがいろいろ用意されてるんだって知りました。本当にもったいなかったですね。今はスマホやSNSがあるから、昔よりは情報に手が届きやすいかもしれません。

専業主婦→NPO立ち上げ→ブランクを経て起業。長谷川由香さんが金沢で見つけた、「地方のママと世界をつなげる」夢

娘さん2人と、BBQにて。3姉妹のようです……!

「完全なる素人」から編集・制作のNPOをスタート

――そんな中、「子育て向上委員会」をスタートされます。どうやって始めたんですか?

とにかく情報がほしくて、毎日いろんな雑誌を見ていたら、ママ向けの情報誌が全然ないことに気づいたんです。孤立しがちなママたちにこそ、たくさんの情報が届くべきなのに。少し調べたら、ママたちが情報発信する活動が日本各地で持ち上がっていると知って。仙台や福岡で事例があったので、その金沢版を私がやりたいと思いました。

――とはいえ、編集のプロではなかったんですよね。

むしろ、まったくの素人でした(笑)。近所の公園で知り合って賛同してくれたママたちを集めて、4人で活動スタートしました。みんな素人だったけど、素人なりに取材して記事を書きましたよ。スポンサーを見つけて、ポケットマネーの40万円と合わせて印刷費をまかなって……。冊子ができあがったら、書店を1軒ずつ回って数冊ずつ置かせてもらいました。

――なかなか地道な苦労ですね。読者の反応はどうでしたか?

お便りコーナーにすごく大きな反響が寄せられました。「こういうのを待ってた!」という声をたくさんもらえて、うれしかったですね! TVや新聞にも取り上げられたことで、行政が私たちの存在を知ってくれて、「例えばこんなことはできないか?」など声をかけられるようになったのもプラスでした。

――逆に、マイナスなことはありました?

取引先が増えると、「しょせんママさんサークルでしょ?」とか嫌味っぽく言われることが本当にありました(笑)。言葉に出されなくても、態度とか表情で丸わかりなんですよね。難癖をつけられた上に、訴えられかけたこともありました。

「ママたちの力」が、日本の地方を救うかもしれない

――大変……。そんな中でも、ママたちのスキルを総動員してやり抜いたわけですね。

そうなんです。たまたま「専業主婦」という立場にいるけど、実はいろんなスキルを持っている人は多いです。おしゃれなイラストを描けるとか、DTPを使えるとか。

それから、せっかくいいスキルを持っているのに、それに気づいていない人も多いです。いったん家庭に入って専業主婦になると、自分には社会的な価値がないとか、社会復帰するときには周りの足をひっぱっちゃうんじゃないかとか、思いがちなんですよね。自分で自分の評価を下げている人が多くて、すごくもったいないと思います。

――埋もれちゃっている才能を見つけだすのも、社会の役割かもしれません。

はい! むしろ、今の私はそういう立場にいると思っています。ママたちが自分の力を存分に発揮できるようになったら、今地方が抱えている課題のいくつかは改善できるんじゃないかな。かんたんに答えが出るものじゃないけど、仕組みをつくっていきたいですね。

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長谷川さんが、NPOや会社として制作に携わった冊子など。このほかにもたくさんあります!

3人の子育て+パラキャリで、倒れちゃった」経験

――3人目を出産されてからは、パラキャリの道をスタートされたと伺いました。

はい。30歳で3人目を生んでから、育児に奔走しつつ、「子育て向上委員会」以外にも翻訳の仕事やHPの制作をやっていました。毎日すごく充実していたんですけど、自分が思う以上にオーバーワークだったようで……。

だんだん食欲のない日が増えて、軽い頭痛や不眠に悩まされるようになりました。慢性疲労なんてよくあること、と思ってやり続けていたら、ある日倒れちゃって。いったんほとんどの仕事をストップしました。それから1年くらいは精神的にひきこもって、こまごました仕事だけやっていました。31歳のころですね。

――仕事が楽しいからこそ、オーバーワークになっても自覚なく、突っ走っちゃうんですよね。

はい。でも、1年経ったらそういう生活にも飽きてきて(笑)。子育て以外の分野でもキャリアを積みたくて、どこかに再就職しようかと思ったけど、誰も雇ってくれない。じゃあ、自分で会社つくっちゃえばいいじゃん! と考えついて、ママ友と2人でアスタリスクを立ち上げました。夫も起業して会社を経営しているので、まったく反対されず。

――ブランクを挟んでの起業、大変だったんじゃないですか?

むしろやりやすいことのほうが多かったです。それまで安く見られがちだったのが、いち企業の代表取締役になったことで対外的な仕事をやりやすくなりました。社会貢献だけにこだわらず、利益を追求できるようになったのもメリットでしたね。それから夫とも、お互いの悩みを相談しやすくなったかも。夫婦それぞれが自分で会社を経営していることで、いろいろ共有しやすいのはいいところかな。

――今でパラキャリを続けられていますが、大変なこと、やっていてよかったことを教えてください。

昔の私のように、オーバーワーク気味になっちゃう人は多いはず。仕事量やスケジュールの管理を、自分の中でどう整理していくかは課題ですね。メリットは、複数の顔を持つことで、発言に説得力が出ます。私なら、経営者の顔があるから安く買い叩かれなくなったし、逆にNPO経営者でもあるから、企業の社会貢献に対して発言できる立場にいられます。

それから、自分の可能性がぐんぐん広がっていくのもいいところです。仕事をやりきるために準備したり調べたりしていくうちに、どんどんできることが増えていく。そうやって守備範囲を広げると、さらにチャンスが降ってきやすくなります!

専業主婦→NPO立ち上げ→ブランクを経て起業。長谷川由香さんが金沢で見つけた、「地方のママと世界をつなげる」夢

フォーラムに登壇して、子育て支援について話すことも!

実は「子育ては苦手」。だからこそやれることがある

――ママとしての生活についても教えてください!

私、そもそも子育てが苦手なんです(笑)。自分のやりたいことを追求して好きなように生きていきたいという志向が強くて。でも、子育てに向いていないからこそ、向いていない人の気持ちがわかるんです。子育てに対して辛さや孤独を感じて、家庭以外の世界を求めるママたちの気持ちが、すごくよくわかります。

――今や長谷川さんのホームタウン・金沢。とても子育てしやすい街だそうですね。

金沢は、とにかく子どもを育てやすい環境だと思います。自然豊かで、海にも山にもすぐ行けるし、マリンスポーツとウインタースポーツが両方できます。ご飯もおいしいし、渋滞が少なくて移動が楽。公教育がとても質が高くて、のびのびできます。中3で塾に入れても受験に間に合うくらい(笑)。

――趣味のランニングでは、毎年フルマラソンを完走されているとか!

ランニングを始めて、メンタルも体調も安定しました。みなさんも、30歳を過ぎたら体を動かす習慣をつけておくといいですよ。私は一度倒れたあと、BBQしただけで筋肉痛になって(笑)。これはまずいと思って、ランニングを始めました。シューズとシャツさえあれば一人でもできるし、もともと陸上部で走ることは好きだったので。ランニングしたって悩みが解決するわけじゃないけど、「まあいっか!」って前向きに考える姿勢が生まれます。

専業主婦→NPO立ち上げ→ブランクを経て起業。長谷川由香さんが金沢で見つけた、「地方のママと世界をつなげる」夢

金沢と姉妹都市になっている韓国の全州で。ハーフマラソンを走って3位入賞したそう!

――ポジティブになれる趣味、素敵ですね! 長谷川さんの将来の夢を教えてください。

3人の子どもたちがそろそろ独り立ちするので、私はもう一度、海外にからむ仕事をしたいと思っています。具体的にはこれから考えていこうというところです。今は、東京や大阪にいなくたって国際的な仕事をできる時代。日本の地方と海外をつなげる仕事をしたいです!

――パラナビ読者に応援メッセージをお願いします!

1つ言えるのは、「安定をもとめると不安定になるよ!」ってこと。じっとしていると、ささいな揺れが気になりますよね。思い切って気になるほうに飛び込んでいくと、必ず手を差し伸べてくれる人がいて、自然と地盤ができあがり、安定していきます。それに、ちょっと脇道に逸れてみると面白いものが見えてくることもある。軽い気持ちで始めたって大丈夫。長く続けることで、確実に信用が生まれますから!

長谷川由香(はせがわゆか)●米ニューヨーク州立大学ビンガムトン校経営学部卒業。食品メーカー海外事業部に勤務。結婚を機に退職し金沢へ。専業主婦として知らない土地での初めての子育てにとまどった経験から、1998年に地域の育児支援雑誌『子育て向上委員会』を創刊。現在は、金沢市発行の子育て情報誌『金沢子育てお役立ちBOOK のびのびビ~ノ』や、男女共同参画広報誌『るうぷ』などの編集・制作も行っている。子育てをしながら自分らしく働ける環境をと2009年、株式会社アスタリスクを設立。金沢市子ども子育て審議会委員、金沢版総合戦略推進委員会の委員などを務める。

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さくら もえ
Writer さくら もえ

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