少子高齢化が進み、多くの自治体が人口減少や若年世代の流出に悩んでいる中、人口増加率が全国市の中で5年連続1位となっているのが千葉県の流山市です。特に30代を中心とした子育て世代の注目度が高く、都心からの移住者も後を絶ちません。一体なぜ、流山市がここまで人気となったのでしょうか? 自治体では初めて「マーケティング課」という部署を設置し、民間企業から公募でマーケティング課長に就任したという河尻和佳子さんに話を聞きました。
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地方の女性が感じる「地元に住み続けることの恐怖」
――コロナでリモートワークも進み、20〜30代の人たちでも脱・東京をする人が増えてきました。なかでも、流山市はここ数年で「住みたい街ランキング」などでも話題になっていて、注目している人も多いです。単なる「子育て支援」とは一線を画すというか、ママ創業支援や雇用創出など、親自身の自己実現まで踏み込んでいるところが特徴的ですね。
流山市は人口が増え続けているということもあり、全国各地に講演に呼んでいただく機会も多いです。そこで皆さんおっしゃるのが、若い人、特に女性の流出が止まらないということ。地方の小さな自治体だけでなく、ある程度大きな地方都市でも同様です。自治体の方からは「やっぱり雇用ですよね」「子育て環境ですよね」と言われることが多いのですが、私はそれ以前の原因もあると思っています。
先日、地方から流山市に移住してきた大学生の女性と話す機会があったのですが、その時に「地元では、女性は地元の大学に行って、地元で就職、地元で結婚して家庭に入るのがいいという考えがまだまだ根強い。地元に愛着はあるが、住み続けていると枠にはめられてしまうことへの恐怖心や、そこで終わりたくないという気持ちが出てくる」と言っていたんです。首都圏に出てくると、匿名性が高くなり、結婚や子どものことを言われることも少なくなる。その距離感が居心地がいいと。
地域によっては、そういった重圧に悩む女性はまだまだ多くいるのだと知りました。そして、母親になったらなったで24時間子どものために使うのが「いい母親」なんだと、自分自身で鎖をかけてしまう。私自身も第一子の時は、子どものためにすべてを捧げるべきで、自分の夢ややりたいことについて考えるのはダメなことだと思ってしまい、子育てが全然楽しくなかったんです。
そういった経験もあって、環境や制度といった仕組み以上に心理的なハードルを取り除くことが大事だという思いが強くなりました。例えば、保育園をたくさん作っても「保育園に預けてまで働いていいのか」「保育園に預けるのはかわいそう」という空気感があると、自分のやりたいことも我慢してしまいますよね。せっかく作った仕組みがちゃんと使われるためには、私たちが広報をして空気感も作っていかなければいけません。そこに両輪で取り組んできたのが、今の結果につながっているのかなと思います。
――すごくわかります。私も子どもが二人いるのですが、一人目の時は本当にそう思っていました。辛いこともたくさんあって……。
でも辛いって言えないですよね。仕事は頑張れば結果が出ますが、子育ては頑張っても結果が見えづらい。細切れにしか眠れなかったり、ご飯をゆっくり食べられなかったり、自分のタイミングで何もできず、人間としての根本的な活動さえもできない状態が続くのが本当に苦しくて。欲しいと思って子どもを産んだはずなのに辛いと感じる自分にも嫌気がさして、挫折感を味わうこともありました。周りは当たり前にやっているのに……と。子どもによって個人差もあるから、悩みも共有できないんですよね。
「親としてだけ」じゃなく自分自身の夢を語り合いたい
――みんな辛いと思っていてもそれを出さないですよね。
そうなんです。そして、それが課題だと思っていて。この時点でつまづいていたら、そこから先の働くことや自己実現までのハードルがとても高いですよね。なので、マーケティング課としてモデルケースをどんどん出していくことで、こういう自由があってもいいんだと行動してくれる人が増えるといいなと思ってやっています。
実際、商工振興課主催の「女性向け創業スクール」では、流山市で起業した尾崎えり子さんという女性に講師になっていただいているのですが、彼女に会いたいという理由でスクールに申し込んだという人も何人かいるんです。実際、皆が皆、彼女のように行動できるわけではないですし、すべきとも考えてはいません。ただ、多様な生き方があることを知ってもらうことは大事だし、そのためにも、そういう人たちを見つけてきてスポットを当てていくのが、私たち行政やマーケティング課の仕事だと思っています。
――流山市マーケティング課では、そういった広報やプロモーションのほかにも、地方創生オンラインコミュニティ「Nの研究室」のような市民の人がやりたいことを語り合える仲間を集める場を提供していたりもしますね。河尻さんご自身はもともと、そういったコミュニティ作りが得意なほうですか?
実はこの仕事をやっていなかったら、友達はそんなに作らないタイプです。自分自身も、仕事と家事・育児しかしない生活の中で、交友関係が保育園のママ友くらいになってしまい……。ママ友同士では、子どもの話やパートナーの愚痴とかの苦労話はできても、「起業したい」みたいなことを話すと引かれてしまうんじゃないかと思って、できないんですよね。なので、そういったことを語れる場やきっかけを提供することにニーズはあるだろうなと感じていました。そして、そういう場を実際に作り始めたのが、この仕事を始めて4年目くらいの時でした。
転職をしてきた当初は、自治体としてマーケティング課ができたのも全国初だったので、何をしていいかも、まったく手探りの状態。目標はあるけど、こうすれば上手くいくやり方の前例はないし、「あなたは何をやりたいの?」と言われていました。そんな仕事は初めてだったので、最初の1年くらいは、どうしていいかわからず、だいぶもがいていましたね。言われたことをやる受け身の姿勢が抜けきっていなかったんです。
――完全に0→1のスタートだったんですね。
はい。自分が動かなければ何も始まらない。そうわかってからは、とにかく動き、外向けに認知度を上げるPRをしてきてある程度成果が出ていたんですが、4年経って、市内に住んでいる人向けには何もできていないなと感じ始めていました。「母になるなら、父になるなら流山市」とうたっている以上、子どもを持っても「住み続けてよかった」と思ってもらわないといけない。そのためにも、子育てだけでない生活を楽しいと言ってもらえる取り組みをしようと思って、共感してくれた数少ない知り合い3人でプロジェクトを始めました。
それこそ最初は成功するかもわからない取り組みだったので、予算もつかず、市民プロジェクトとして始めたんです。やる必要があるのかということも1年迷ったんですが、周りの話を聞いていると、やはり「親としての固定概念」でがんじがらめになって、役割と自己実現の間でもがいている人もいまだに多かった。それで始めたのが「そのママでいこうproject」で、流山市の子育て中の女性たちとやりたいことや夢を語り合う場をつくりました。今では、オンラインコミュニティ「Nの研究室」で、父、母に限らず街の方々がやりたいことを仲間を見つけて実現する場をつくっています。
全部揃っているわけじゃない「ベンチャー企業みたいな」街
――そうした取り組みの甲斐もあって、流山市は活気あるファミリー層で賑わう街という印象になってきました。実際にはどういった方が住むのに向いていると思われますか?
最近では自分達が発信する以上に、イメージが先行して、メディアで取り上げていただいくことも多くなりました。ですが実際には、住宅都市で、そんなに財政的に潤沢な街というわけではないですし、例えば、大規模な子ども図書館といった施設もありません。
揃っていない分、余白があるのが魅力とも言えます。人口20万人くらいのコンパクトさなので、自分が動けば、少しずつでも変えていくことができる。足りていないことに面白さを見出して、巻き起こして、それを楽しんでくれるような人にとっては、とてもいい街だと思います。
私自身、初めて流山の駅に降りたとき、「この街はベンチャー感があるな」という勢いと可能性を感じました。ただ単に、働いて寝るために帰ってくるだけじゃない場所ですね。最近では、「流山おおたかの森」なども開発が進み、ベンチャー感よりも成熟の段階に入りつつあります。一方で、街で副業していたり、起業していたりといった面白い方々も点在してきているので、これからは「第二ステージ」ともいえるような、点と点を線でつなげられる取り組みをしていきたいと考えています。
――第二ステージが楽しみですね! こうゆうことがやりたいと思ったときに市に相談するイメージがなかったので、市に相談できるというのはそれだけですごいと思います。
市が乗り出して何かをやるよりも、街の方々がやりたいことをやっていただくための環境を整備することが市の役割なのではないかと思っています。また、よく市民の方からも、市長の存在を近く感じると聞きます。SNSの対応やイベントへの参加など、街の方とつながる接点が多いからでしょうか。市長をはじめ、変化を一緒に楽しめる街になっているんだと思います。
河尻和佳子(かわじり わかこ)●流山市マーケティング課長。大学卒業後、東京電力に入社し14年間、営業、マーケティング等を担当。自身が流山市に移住したことをきっかけに任期付職員公募に応募し、前例のない自治体マーケティングの道に入る。首都圏を中心に話題となった「母になるなら、流山市。」広告展開や、母の自己実現を応援する「そのママでいこうproject」、年間16万人を集客する「森のマルシェ」の企画・運営などを手掛けた。