管理栄養士でフードコーディネーター、カフェプランナーでもある中西純枝さん。子どものアレルギーをきっかけに「Su-balance(スーバランス)」という食品ブランドを立ち上げ、奈良県の名産「大和(やまと)茶」を使った無添加のお茶漬けや、農薬不使用で茶葉を丸ごと微粉末にした粉末茶などの素材を活かしたヘルシーな食品を製造販売しています。実の両親からの昭和的な価値観から始まり、波瀾万丈なライフイベントによって形成されてきたというキャリア遍歴について聞いてみました。
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親からは「結婚して近くに住んでね」のプレッシャー
――「Su-balance」のお茶はどれも美味しそうですね! 奈良県のお茶を使っているそうですが、中西さんご自身は、もともと奈良に縁があったんですか?
私自身は栃木の出身なんですが、最初は親に「女性は四年制大学に行くと結婚が遅くなるから短大に行ったほうがいい。栃木から東京に出してあげるけど、2年で帰ってきて、結婚してスープの冷めない距離に住んでね」なんて今では考えられないようなことを言われて、「昭和のおんな」的に育ったんですよ。
そんなことを言われていたし、食べることが好きだったので栄養士にでもなろうかなと思ったのが始まりです。ですが、国家資格の管理栄養士になるには、卒業するだけではダメで2年の実務経験(※)と筆記試験合格が必要なんです。
※現在は3年以上の実務経験が必要
本当は東京で就職をしたかったのですが、どこの馬の骨に捕まるかわからないと言われ、泣く泣くUターン。そんなとき、東京で出会った方が関西の人だったんです。もちろん親は猛反対でしたが、それで逆に火がついてしまい、25歳で結婚しました。夫は、もともと東京で働いていたので、私も東京に出て、主婦生活の中で派遣やらバイトやらをいろいろやっていました。
――そこから奈良でカフェを開業することになったきっかけは?
夫が地元の奈良に戻って働くというので移住し、夫の両親と同居。1年後に長女が生まれました。知らない土地でしたし、ゆっくり子育てをしたかったので夫の両親と同居したんです。一方で当時、夫は40歳になるのを機に起業をすると決めていて、会社を辞める前提で場所を探していたら、家の近くでテナント募集の物件が出ました。
――でも、小さなお子さんの面倒を見ながらカフェを開業するのは大変だったのでは?
上の子は幼稚園、下の子はお腹にいて妊娠6カ月のときのカフェオープンでした。当時は、夫の実家の3階に住んでいたのですが、キッチンは義両親とは別々で、特に期待したほどのサポートは得られなかったです(笑)。下の子を妊娠していた時は悪阻もひどかったし、大変でした。
それでもカフェは駅から2、3分の商店街の中にあったことが功を奏したのか、トリップアドバイザーで奈良市トップに。飲食業の経験のない2人でしたが、カフェの真っ白な壁を使って、お客さまにサインをしてもらうなどの工夫を凝らしたのがSNSでも拡散されたようです。世界中の言語のサインやイラストが壁一面に書かれ、ある意味アートのような感じになっています。
夫は建装会社に勤めていたので店舗経営はイメージしやすかったし、私も実家が製造業を営んでいたので、独立に抵抗はなかったですね。食関連に興味があったのでカフェを開業しようという話になりました。
奈良のお茶で健康的な食品を作りたい
――カフェと食品製造業は、食関連とはいえ違う仕事ですね。そこから、お茶の販売へはどうやってつながっていったんでしょうか?
奈良市で「うまいものコンテスト」をやっているよとチラシを持ってきてくれた人がいて、そこに出品しようと食品を作り始めたのがきっかけです。奈良は「大和茶」というお茶が名産なんです。その大和茶を使ったラテが私たちのカフェでも人気でした。
また、私の子どもはアレルギーを持っているのですが、その子もお茶漬けや米粉のクッキーが大好きで。そこで、お茶の素材を生かして、健康的で栄養豊富な食品を作ろうと思いました。お茶は飲み物にも食事にもなるし体にも良くて、子どもにも安心して食べさせられます。
まずは商談会に行ってみたら、幸運にも東急ハンズの奈良コーナーに置いてもらえることになりました。 そのときはまだ、自分1人でラベルもデザインして、ビニール袋に入れた商品を缶に詰めて……と手作りで売っていたのですが、それでは本格的な流通には難しいなと感じたんです。やっぱり、モノがいいだけではダメで、パッケージも含め、すべてが良くないと売れないんですね。どうしたらいいかなと思っていたときに来たのが奈良県の創業支援事業である「ビジネスインキュベータ」の話でした。
――いいタイミングですね。情報はどうやって見つけてきたんですか?
カフェ開業時代、下の子は生まれてすぐアトピーで血液検査。その後も負荷テストなどをする必要があったり、体が弱く、ぜんそくで入院したりと大変な時期でしたし、カフェも秋の行楽シーズンで繁忙期。そんな中、たまたま奈良県の起業家支援を目的とした「ビジネスインキュベータ」(奈良県創業支援室)への入居・参加者を募集しているから申し込みしてみませんか? と案内をいただきました。
それまで事業計画書なんて書いたこともないし、忙しかったので申し込みは諦めていましたが、締め切り日にその場でサポートしていただき、提出したら通ってしまい、プレゼンをしました。次第に、インキュベータに参加すれば人脈も広がり、チャンスになるぞと、気持ちが前のめりになっていって、二次審査では絶対受かりたいという気迫で合格。経営指導の先生やデザイナーが付き商品とHPも作りあげ、EC も立ち上げてと1年間で目的を達成することができました。
プライベートも仕事もやれるところまでやりきる
――今もカフェ、製造業と子育てを全部されているんですか?
実は、1年半ぐらいまえに離婚しておりまして……。カフェの2階にあった製造室も引き払い、別に事務所を構えて、仕事は製造メーカー1本でやっています。そんな時に、先ほどの奈良県の「ビジネスインキュベータ」とは別で、京都の「イノベーション・キュレーター塾」(運営:京都市ソーシャルイノベーション研究所(SILK))というビジネスコミュニティを主宰している塾長に勧められました。そこで、「そろそろ自己投資した方がよいのでは?」と言われ、今は奈良だけではなく全国や海外に販路を広げるため、世界と人脈を広げるようと勉強しているところです。
――離婚されたんですね! プライベートでも大変なときに、塾にも参加して、ビジネスを前向きに進めようというエネルギーがあるのは素晴らしいことです。
スタート時の昭和的な女性観からは、かなり方向転換していますよね。私自身の行動原理としては、まず「そのときに自分がいちばんいいと思うことを選択する」ということに尽きます。将来、その選択が良かったかどうかは、そのときにわからないんですから。
もともと義両親との同居も、そのときはいいと思って始めました。結果的には、上の子が不登校になってしまったことで、別居することになったわけですが。
――過去の自分がベストだと思った選択をやめるのは勇気がいりませんか?
離婚については、我慢していた「溜めの期間」が10年ぐらいあって。頑張れば頑張るほど、自分が苦しくなって、負のスパイラルに陥っていました。すると、それが伝わるのか、子どもの目も死んだ魚の眼のようになってきて……。結婚生活、やれるところまではやったと自分に納得した結果です。
別居して子どもはすごく明るくなりました! 「この子を守るのは自分しかいない」という強さは持てますね。バラバラには住んでいますが、円満離婚ですし、家族が良くなるための離婚なので、マイナスではなくプラスの離婚で、いまでは良い循環が生まれています。家族の形に捉われず家族がいい形に収まったと思います。
――後悔のないところまでやりきったら、選択肢を変えることにも迷いはなくなるんですね。これからの夢はありますか?
ちょうど今、お茶漬けを差し上げた脳外科医の先生から、推薦文を書いてくれるという申し出があったんです。海外に医療施設を作った医師の先生に粉末茶の魅力を感じてもらえたのは心強いです。粉末であれば、急須も必要なく体に良いので、発展途上国の人に飲んでもらいたいというのが目標です。「粉末茶で世界中の人を幸せに」というと言い過ぎかもしれませんが、このお茶の文化を日本以外にも広めていきたいと思っています。