Paranaviトップ ライフスタイル ジェンダー/フェミニズム 「どうして言うことがコロコロ変わるの?」NHK番組で脚光を浴びた上間陽子さんとベテラン臨床心理士が見つめる「被害者の語り」

「どうして言うことがコロコロ変わるの?」NHK番組で脚光を浴びた上間陽子さんとベテラン臨床心理士が見つめる「被害者の語り」

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セクハラや性被害を訴える場面でよく見かけるのが、「なぜすぐに被害を告発しなかったの?」「女性は言うことがコロコロ変わるから…」といったコメント。被害者の「語り」がなかなか出てこない・変化するのは一体なぜなのか。教育学者の上間陽子さんと臨床心理士の信田さよ子さんが「被害者の語り」に向き合う対談集をご紹介します。

 「言うことがコロコロ変わるから、女は信用できない」

 「前は『気にしてない』と言っていたのに、急にセクハラだと騒ぎ始めた

女は感情的で、言うことがコロコロ変わるから参るよな」

自分の身の回りで、またはネット上で、こんなコメントを見たことはないでしょうか。

誰かがセクハラや性被害を告発するニュースが出ると、必ず出てくるのが「事実特定班」。つまり、関係者と称する人のコメントや当事者の過去の言動から、告発内容の真偽や正当性を検証しようと躍起になる人々です。

もちろん、えん罪かどうかの事実の検証は必要です。ただどうしても違和感を覚えるのが、「被害直後に告発しなかったのに、後から言い出すのはおかしい」「しかるべきところに訴えなかったのは、そもそも彼女が被害だと感じていなかったからだ」というロジック。

事実として加害行為があったとしても、当時沈黙していたことや「たいしたことではない」と本人が語っていたことを取り上げて、「被害はなかった」「後から告発するのは不当」と被害者を攻撃する。あまつさえ、「女性は感情的で、言うことがコロコロ変わるから信用できない」と結論づけようとする暴力性を前に、委縮する人は多いのではないでしょうか。 

一方で、「告発者の言うことがコロコロ変わる」ことは、犯罪被害の検証において大いに障壁になることも事実です。今日は、こういった「被害者の語り」をどう考えればよいのか、助けになる本をご紹介します。

 「被害者の語り」には時間がかかる

言葉を失ったあとで

『言葉を失ったあとで』(信田さよ子、上間陽子/筑摩書房)

著者の一人は、年始に放映された、NHKの「100deフェミニズム」にも登壇した上間陽子さん。上間さんは教育学者として10代で妊娠・出産した少女たちの話を聞く社会調査に取り組んでいます。彼女たちの話から明らかになるのは、性暴力を含むDV、風俗業での仕事の実態……。本書は、過酷な環境に生きる女性の話を聞くことを生業としている上間さんが、依存症やDVを専門にする臨床心理士である信田さよ子さんと、「被害者の語りと、それを聞くこと」をテーマに語り合った対談を一冊にまとめたものです。

セクハラや性被害の深刻化は、地震の揺れのようにその瞬間に起きるわけではない。その経験がどのように聞かれるかによって、つまり周囲の誤解と無理解によってどんどん雪だるまのように膨らみ、倍加していく。限界が訪れて告発するまでに長い時間がかかるのは、彼女たちの経験を聞き、被害を認め、言葉を与えてくれるひとが少ないからだ。

――『言葉を失ったあとで』

まえがきで信田さんが書いている通り、セクハラや性被害が「語られる」には適切な環境と時間が必要。特に日本人は長きにわたり、性被害を語る「言葉」を持たなかったと2人は指摘します。強烈な男尊女卑の価値観が「被害者の言葉」を封じ込め、同時に、勇気をもって語られた言葉を「聞く」準備もできていなかったことが背景にあります。

「体を使って起きることを甘く見ない方がいい」

「性被害者の語りは変化する」

「体を使って起きることは甘くみない方がいい」

100deフェミニズム」で、上間さんはそのように指摘していました。

被害直後は、衝撃と混乱によって言葉が見つかりません。そして、防衛本能から無かったこと」「何かの間違い」にしてしまう。「この人にセクハラされるなんて」「私がレイプされるなんて」という受け入れがたい事実を前にして、加害者から「これくらいコミュニケーションの一環だよね」「僕たちは大人の関係ってことで」と共犯関係に入ることを匂わされるとついそれに乗ってしまう。

その後もフラッシュバックに悩まされますが、周囲に適切な相談相手がいない場合、「こんなことがあったんだけど、まあよくあることだよね」「私は気にしてないんだけど」と、わざと事態を軽く扱うような、自己暗示をかけるような発言をしてしまう……。 

セクハラ・性被害について落ち着いて向き合えるようになるのは、心理的安全性が確保されてから。世論がある程度成熟し、議論する場が設けられ、支えてくれる人・理解しようとしてくれる人がいると思えなければ、人は事実と本音を素直に話すことなどできないのではないでしょうか。

セクハラ・性被害は、ある意味「新しい犯罪」なのだと思います。つまり、新しい価値観の萌芽のもとでやっと「それは被害・犯罪です」と名乗れるようになったということ。法律や、事実を明らかにする事務プロセス・社会の価値観は、この「新しい犯罪」に適応できているのでしょうか。今まさに被害に苦しんでいる人の様子を見るに、答えは残念ながら「NO」と言わざるを得ません。

まず私たちができるのは、「被害者の語り」の性質をより多くの人が理解し、「聞く姿勢」を身に着けること。その先に、被害者が何重にも苦しめられることのない社会が待っているのではないかと思います。

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梅津奏
Writer 梅津奏

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