Paranaviトップ お仕事 地方/海外 鎌倉からポートランドへ移住。海外から2つの会社経営をリモートワークするおかえり株式会社CEO兼みずたまラボラトリーCEO松原佳代さん

鎌倉からポートランドへ移住。海外から2つの会社経営をリモートワークするおかえり株式会社CEO兼みずたまラボラトリーCEO松原佳代さん

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2019年に鎌倉からオレゴン州ポートランドへ2人の子どもとともに移住。スタートアップのPR支援と竹で作ったトイレットペーパーを主軸としたサステナブル事業の会社という2つの会社をアメリカからのリモートワークで経営している松原佳代さん。育児をしながらの会社経営、海外移住、そして海を越えてのリモートワークと、どれもがハードルが高そうに思えますが、一つひとつになるほどと思えるステップがありました。

PCさえあればどこでも働けることは15年前から実証済み

――ポートランドに来られる前はどんなお仕事をされていたんですか?

鎌倉にある面白法人カヤックという会社で、広報・ブランディングと新規事業開発の事業責任者をしていました。2014年に東証マザーズに上場するまで在籍しましたが、まだ社員が20人ぐらいの立ち上げのときから入っていたので、なんでもしなくてはいけなくて、会社の広報をしながら事業の責任者もこなすという、社内パラレルワークのようなものでしたね。

カヤックは、自社アプリをはじめとするウェブサービスの開発と運営などを幅広くやっている会社です。パソコンがあれば仕事ができるということに20年以上前からチャレンジをしていて、時間と場所にとらわれない働き方を私自身も模索していました。社員全員が海外に行って仕事をするいう実験を会社でしていたりもしましたし。出社もしていましたが、コロナ禍のはるか前から家で仕事をするというのは普通のことだったんです。

カヤック在職中には出産もしました。鎌倉に住んでいたので、家にいてもオンラインでどこにでも繋がっていますから、打ち合わせなどに片道1時間かけて行くより在宅で働くというほうに徐々にスイッチしましたね。

海外移住は仕事とは関係なく、やってみたかったから

――いつでもどこでもという働き方がすでに確立されていたんですね。ポートランドへの移住は環境にかかわるお仕事をするためですか?

ポートランドに来たことと、仕事は100%関係ないです。そもそも、前の会社を辞めたのは、10年間働き続けて新しいことにチャレンジしたいと思ったから。海外に来たことと、会社を辞めたことも関係なくて、いつでもどこでも働ける確信が自分の中にあったから。また、強いていうなら子どもができたことにも理由があります。1人目を妊娠中、自分は海外留学も海外に住んだこともないけれど、子どもの世代にはそんな経験があったほうがいいなと思い、だったら私も一緒に行きたいと思いました。

松原佳代さん

ポートランドはバイクレーンが整備されていて自転車で走りやすい街。こちらは通学風景。

とはいうものの、具体化しないままぼんやり考えていたのですが、夫もソフトウェアのエンジニアなので、どこでも働けることから海外に暮らすことを目標にしていたんです。ちょうど私が勤めて10年の節目にいよいよ実行しようということになりました。そこで、まず必要となるのが滞在と就労のための“ビザ”です。就学や居住ビザが取りやすいオランダやアーティストビザのあるドイツのベルリンなどいくつか候補があったのですが、アメリカのビザ(グリーンカード)が抽選で当たったんです。

移住先を決めるときは比較しないことが大事

――確かにビザは最重要ですね! アメリカの中でポートランドを選ばれた理由は?

ライフスタイル系コンテンツの仕事をしていたなか、ポートランドについてはいろいろ耳にしていました。「サステナブルでローカルにこだわってる」、「かわいいタイニーハウスが多くて暮らしやすい」とか。夫も西海岸がいいと言っていたこともあり、試住することにしました。

ポートランドは街の真ん中に川が流れており、東西を繋ぐ複数の橋があります。車は通れず、電車などの公共交通と、自転車、徒歩だけの橋があり、こんなところからも環境配慮されていることがわかります。

移住する前には、お試しで「暮らすようにその土地で過ごしてみるべき」というのが持論で、ポートランドのサウスイーストエリアに来て、10日間、観光はせずに街並みや小学校を見たり、生活するための買い物をしたりなどしてみました。移住先を決めるときには、ほかの場所と比較はしてはいけないと思います。過去と未来の比較もしないこと。比較すると決められなくなります。自分と街とで相対して、「この街は住めるな、暮らせるな」と思えれば合格なんです。

2017年にポートランドに試住して、いいなと思っていたときにちょうどアメリカのビザの抽選に当たりました。次男が生まれたタイミングで家族計画もはっきりしてきたので、時期と場所を決めなきゃと思っていたときでもあり、これは「行け」ということだなと。それから移住したのは2019年8月で、子どもが2歳半と5歳半の時でした。移住してから半年でコロナ禍になって、2年間は人に会いづらい状況もあり、こちらでの生活はようやく波に乗って来た感じです。

――それはすごいタイミングですね。それから、移住されるまで不安はなかったですか?

海外移住をする際に「仕事があるから」「子どもの医療が不安」などいろいろ考えてしまいがちですが、それは「行かない」という理由探しでしかありません。海外移住でいろんな不安があるのは、人それぞれだと思いますが、それは枝葉であって「できないことがあるから行かない」という判断はありませんでした。「行こう」と決めている自分の価値観を最重視するという哲学があったので。

2017年に当たって実際にビザが降りた2018年まで、いろいろ考えましたが、外部にある阻害要因をいかに解除するかが大事。夫婦でひとつずつ解決して整理していきました。ビザが手に入ったので、現在はウェブのエンジニアをしている夫は転職してこちらの会社に勤めています。

国内移住支援事業で得ていた移住の決め手とは

――移住にあたって、松原さんご自身のお仕事はどうされたのですか?

移住前、カヤックから「移住」をテーマに新規事業を立ち上げるから代表をしないかという話が来ました。それが、ちょうどビザに当たってアメリカに行けるかもというタイミングで。海外移住が実現すると2年で行くことになるけれど、移住がテーマだし、と思いやることにしたんです。

松原佳代さん

自然が本当にすぐそばにあり、車で1時間半ぐらいで山にも海にも行けます。これはレイク。

そこで立ち上げたのは「SMOUT」という地方自治体と都市部の地方に移住したいと人とのマッチングをする事業でした。引き受けたのは、自分なりに「移住先の決め手になるのはこの要素ではないか」という仮説を持っていたので、それを形にしてみたいという思いもあったんです。

――それは気になります!「移住先の決め手になる要素はこれ」という仮説はなんだったんですか?

私は「移住先の決め手」になるのは「仕事」でも「住まい」でもなく、人との繋がり「コミュニティ」であると思っているんです。仕事があっても、人はコミュニティなしにやっていくことはできないなと。誰も知らない街でやっていくのはかなりハードルが高いですが、知っている誰かが「いい街だから来ない?」と言ってくれるような人との繋がり、すなわち自分と繋がるコミュニティがあるのは移住の大きな決め手になると思っています。

私自身もポートランドに来るとき、人との繋がりが大事だと思っていたので、鎌倉の友人や広報の仕事で繋がっていたメディアの人にポートランドにいる人を紹介してもらいました。その人たちに試住の時に会いに行ったり、その後もオンラインで話したりして、ポートランドとの距離を詰めていったんです。

しかし、エリアにもよりますし、誰しもが紹介をしてもらったりできるわけでもないし、いきなりSNSで連絡するのも難しいですよね。それで、移住に関して人と人を繋ぐ事業をしようと思ったんです。移住先を探すためには、仕事や住宅の情報提供も必要ではありますが、地域で仕事や住宅の情報を並べるだけではなくて、住んでいる人の顔が見えるサービスにしました。

ポートランドの環境意識に触発されて、まったく異業種新事業へ

――ポートランドに来られて、その事業やお仕事はどうされてのですか?

この国内移住支援の事業は、ポートランドに来てからも1年間はリモート経営を続け、立ち上げて3年目に退任しました。今は、SMOUTは引き継いでもらっていて、どんどん進化しています。一方、私はまったく違う事業なのですが竹で作ったトイレットペーパーを箱に詰めて、サブスクで定期的に玄関まで届けるという事業を日本市場で展開しています。

竹のトイレットペーパー

竹のトイレットペーパーの定期便サービスで、日本のマーケットで展開しています。

1箱1980円で、好きな頻度で玄関まで届きます。

この仕事を始めたのは、ポートランドに移住してきたのがきっかけです。日本との環境に対する住民の意識の差を見せつけられたんですね。また、自分の暮らしのなかでもプラスチックの量が激変というほど減りましたし。それに比べて、日本は環境に対する意識がどちらかといえば後進国だったのかもしれないと気づき、ひとつの地球、世界としてはみんなが変わらないといけないし、日本のこの意識を変革することにチャレンジしたくなったんです。

それで、テーマを環境にし、サステナブルなアプローチをする事業会社を作ろうと思いましました。そこで、この人とだったら一緒に事業ができるなという人といろいろリサーチする中で出会ったのが竹のトイレットペーパーです。竹は、短期間で成長し耐久性もあって、プラスチックの代替資源として注目されています。こちらに来て絆創膏、テーブルなどいろんな用途に使われていることに気づいたうちのひとつがトイレットペーパーでした。

資源はこれからどんどん枯渇していくなか、代替となる資源に目を向けて 環境への意識を高める機会として、竹のトイレットペーパーがいいなと思いました。トイレットペーパーは日用品の中でいちばん手を触れることが多い品ですし。サブスク定期便以外に、日本全国のエシカル系ショップなど40店舗ほどに卸しもしています。

――竹のトイレットペーパーは生産から手掛けられているのですね。

はい、今は中国の工場に発注(OEM)して作っています。日本の竹で作りたかったのですが、日本では竹を消費財として製造から調達までするサプライチェーンができておらず、まだ工場と交渉中です。まずは竹のトイレットペーパーで代替資源の可能性を示すのが先だと思ったので、今は中国での生産からスタートしました。

これまで、ずっとウェブでの事業にいたから、オンライン上でマッチングすることしかできなくて、暮らしの変化までは関与できないという葛藤がありました。環境に優しいライフスタイルを応援することを事業にしようと決めたときに、環境問題はよりダイレクトにアプローチしないと、時間もないし変化もしないと思いました。買ってもらえるものを作ること、そしてものを玄関まで届けるというのがこのダイレクトなアプローチにはよかったんです。

――目的がまずあって、そのためのリサーチと人材の繋がりが素晴らしいですね!最後に移住しての今後の抱負を聞かせてください。

今やっている事業を育てることもありますが、ポートランドとの関係性をもっと深めていきたいです。自分は、大切なコミュニティとして関係人口となれるのは3拠点までだなと思っています。その3つ、「ポートランド」と、オレゴン州とは姉妹都市で自分の出身地でもある「富山」、そしてずっと住んでいた「鎌倉」、この3拠点との関係性を、仕事でも暮らしでも深めて、その街に対してできることをしたいと思います。自分自身がひとりで事業で何かを成し得たいというよりも、今はそうした大切な場所との繋がりを大事に生きていきたいという思いが強いですね。

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小野アムスデン道子
Writer 小野アムスデン道子

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