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28歳、ツテなし英語力なしで単身ニューヨークへ。普通の美容師が現地ヘアスタイリストの夢を掴めた理由

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ニューヨークで売れっ子ヘアスタイリストとして数々の有名雑誌を担当する日本人アーティストYukie Yamasakiさん(ユキエ ヤマサキさん)。28歳までは東京で美容師として働いていた彼女が突然、日本を飛び出し、美容師とは違う形で活動の幅を広げたきっかけやモチベーションについて話を聞きました。

ボランティアの雑誌撮影で得られる経験とつながり

——現在の活動についてお聞かせいただけますか?

ニューヨークを拠点にモデルのヘアスタイリング、雑誌の撮影などをしています。『Numero』『VOGUE』『BAZAAR』などのファッション誌を担当することが多いです。基本的に雑誌撮影はボランティアでやっていて、経験や機会、つながりをつくるベースになっています。撮影で出会ったスタッフの人に次号の撮影や別の撮影で声をかけてもらえることも多いですね。また、クレジットという撮影スタッフの名前が掲載されるので、誌面を通して見た人から声がかかる大事な活動の場でもあります。今は修行中の身ですが、いずれはキャンペーンシュートのような広告撮影などにも挑戦していきたいなと思っています。

——ニューヨークに行く前はどんな活動をしていたのでしょうか?

日本では専門学校を卒業してから、美容師メインで仕事をしていました。あとは、私が所属していた美容室の社長がもともとニューヨークでヘアスタイリストをやっていた人だったので、社長や先輩のヘア撮影の現場に同行したり、自分でもカタログの撮影を担当したり、作品撮りなどはやっていました。

高校の頃の夢を思い出し渡米、世界的アーティストへの挑戦

——美容師として活躍されている中、28歳で日本から単身でニューヨークに行かれたそうですね。きっかけはあったのでしょうか?

就職して5年ほどはアシスタントとして美容室で働いていて、6年目でスタイリストに合格して、晴れてスタイリストになりました。スタイリストになって2年ほど働き、お客さんもついたころ、ふと高校生のときに宣言していた「世界のヤマサキになる」という言葉を思い出したんです(笑)。アシスタントの頃はスタイリストを目指してがむしゃらに働いていたので、スタイリストになってなんとなく自分が停滞しているというか、先が見えてしまったような感覚があって。ちょうどその時期に、周りの人に「海外に挑戦しないの?」と言われることも多くなってきていたので、自分でも意識するようになりました。

——夢中で働いていた時期を経て、年齢的にも少し立ち止まってみるときですもんね。そこからニューヨーク行きの計画が進んでいったのでしょうか?

それが、日本でスタイリストとしてすでにお客さんがたくさんついてくれていたので、現実的ではないかと一度は思い留まったんです。でも、その夏に旅行で行ったカンボジアで出会ったバックパッカーの方に「ニューヨークにいる人は目がキラキラしている」と聞いてニューヨークに行くことを決意しました。

——運命の出会いが後押しになったのですね。

そうですね。あとは、やはり当時のヘアサロンの社長がヘアスタイリスト(セッションスタイリスト)としてニューヨークにいたことは大きいですね。美容室での日常的なヘアスタアイル以外に、撮影でつくる非日常のスタイリングを見ていたので、自分はそっちのニューヨークスタイルのほうが好きだなと思っていました。

不安よりもワクワクが勝つ場所。ニューヨークが教えてくれる”挑戦”の価値

——仕事をやめてニューヨークに行くことに不安はありましたか?

それが不安はまったくなくて、夢と希望しかなかったんです(笑)。しかも、特にツテもなければ、英語も話せなるわけじゃなかったんですけどね。向こうに着いて最初の1か月は撮影も何もなくて泣いたりしていた時期もありました。でも、たまたまルームメイトの彼氏がヘアスタイリストをやっていたので、そのつながりから徐々にアシスタントとして活動させてもらえるようになってきたんです。実はニューヨークで活躍する日本人ヘアスタイリストは多いので、日本人コミュニティもあり、どんどんつながりができていきました

——つながりが大事なお仕事ですもんね。アシスタントからだんだんと自分の撮影を獲得していった感じでしょうか?

はい。自分自身の撮影はニューヨークに来て1年くらいはそんな感じでアシスタントをしていました。正直、自分が思い描いていたようには上手くいかなかったんですよね。そして、その頃またターニングポイントとなったヘアスタイリストの人との出会いがありました。彼はかなり売れっ子だったので、自分が行けないような雑誌の撮影を私に振ってくれたんです。それを繰り返すうちに、現場であった人がまた撮影に呼んでくれたり、雑誌の撮影でつくった作品をSNSにのせると声をかけてくれる人がいたりということが増えてきて。大変なこともありますが、ニューヨークにいると身近に切磋琢磨している仲間がいて、刺激を受けたりインスパイアされたりするので私にはここが合ってるなと思います。

——ニューヨークにいる間にコロナもあり、生活が変わったりしましたか?

そうですね。コロナでロックダウンしていた一番ひどい時期は、雑誌などの撮影はほとんどなくなってしまったので、先行きが不安になることもありました。ただロックダウンが明けてからは、比較的早めに活動が再開されたので元の生活に戻っていきました。物価でいうと、コロナが明けて、ここ1年で電車賃や家賃は目に見えて上がりました。私が住んでいた家の家賃も5月くらいから200ドル以上値上がりましたし、スーパーでエノキが4ドルで売っているのには驚きましたね(笑)。ただ、お給料も少し上がったらしいので負担は軽減されているのかなと思います。コロナでマンハッタンのお店は4割くらい潰れてしまった印象でしたが、1年前くらいから観光客が戻ってきて活気が戻ってきた感じはあります

——働き方や今の自分に悩んでいるパラナビ読者の人にメッセージお願いします。

これはニューヨーク特有かもしれませんが、みんな年齢を気にしないし、自分自身も年齢に対して不安を感じないんですよね。日本では28歳から単身でニューヨークに行くなんて! みたいな空気がありましたが、あのとき行動して良かったなと心から思っています。むしろ来てない自分が想像できないし、少しぞっとしますね(笑)。不安や恐怖よりも、何かにワクワクする気持ちがあるなら、その方向に向かうべきだと思います。その結果私の場合、100%良い方に転んだので。あとは、日本でいるより断然チャンスが多いから、ニューヨークで活動していた方が楽しいですね。だから、もしも自分のワクワクに気づいたら、そこにかけてみてもいいんじゃないかなと思います

YUKIE YAMASAKi
:1989年、東京都出身。埼玉県理容美容専門学校を卒都した後、都内の美容室でアシスタントを経てスタイリストに。社会人6年目になるころ渡米を決意し退職、単身NYへ。最先端のヘアーデザイナー技術や感性を磨く。

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杉森 有規
Writer 杉森 有規

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