Paranaviトップ ライフスタイル 妊娠/出産 「産まない」ってそんなに特別なこと?産む人・産まない人・産めない人の断絶を考える『母にはなれないかもしれない』

「産まない」ってそんなに特別なこと?産む人・産まない人・産めない人の断絶を考える『母にはなれないかもしれない』

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子どもをほしいと思わない若者が増え、政府の子育て支援策もむなしく出生率は下がり続けています。「子どもを産まない」生き方を選ぶ人が増えているのに、その当事者がこんなにも生きづらいのはなぜでしょう。令和になってもなお「子どもを産むか、産まないか」を基準に人々が分断し、揶揄し、傷つけあっているように見えます。そんな現状について、1冊の本からひも解いてみました。

未婚の若い男女は、過半数が「子どもを欲しいと思わない」

若者の間で「子どもを欲しいと思わない」割合が高まっているーー。そんなニュースが注目されています。

実際、ロート製薬が発表している『妊活白書』(2023年版)によると、18~29歳の未婚男女のうち「子どもを欲しいと思わない」人の割合は55.2%を記録しました。これは2020年以降4年連続で上昇しています。女性よりも男性の方が、より「子どもが欲しくない」割合が高く、59.0%にのぼりました。

こうした潮流に対し、よく言われる見解は「子育てにお金がかかりすぎるからだ」「子育て世帯に優しくない世の中だからだ」「キャリアと育児の両立は難易度が高すぎるからだ」というものです。たしかに円安・物価高に加えて税率も上がり、働いても手取りは増えない昨今。独身もDINKSも可処分所得が減り、生活は年々苦しくなるばかりです。妊娠・出産について慎重に考えた末、「子どもが欲しいけど、お金がないから難しい……」と諦める夫婦はたくさんいるでしょう。

でも、経済力の低下やキャリア志向の強まりだけが「子どもを欲しくない理由」なのでしょうか。ただ「そうしたいから」では足りないのでしょうか。そもそも、子どもを産みたいと思わないことに、なぜ理由が必要なのでしょうか。

親になった人に「なぜ産んだの?」と問う人がいないことを思えば、ここには大きな非対称性があります。どうして、子どもを産まない女性ばかりがこの問いを投げかけられるのでしょうか。

たくさんの「どうして」が針になって突き刺さり、苦しい思いを抱えながら生きている人が、日本全国にいるはずです。

過去の自分がした「産まない決断」に縛られる必要はない

そんな止まらないモヤモヤに居場所を与えてくれたのが、『母にはなれないかもしれない―― 産まない女のシスターフッド』(若林理央著、旬報社)です。

この書籍には、若林さん本人を含め全9名の「産まない/産めない女性」のインタビューとエッセイ、対談が載っていて、各自の体験とそれに対する思いが赤裸々に語られています。妊娠そのものの話だけではなく、幼少期の体験や夫婦間の会話なども交えて一人ひとりの人生を深堀りしているところが、本書の深みにつながっています。

『母にはなれないかもしれない―― 産まない女のシスターフッド』(若林理央著、旬報社)

『母にはなれないかもしれない―― 産まない女のシスターフッド』(若林理央著、旬報社)

とくに印象的だったのは、書籍の冒頭、若林さんの独白パートです。「子どもが楽しみだね」「子どもはかわいいよ」といった、周りから無遠慮に投げつけられる“呪いの言葉”について。

呪いの言葉は発する側に悪気がないからこそ、受けた側はいやな気持になるし、時に傷つく。
特に「産まないとあとで後悔する」と言われると返す言葉がなかった。後悔しないと断定できないからだ。――『母にはなれないかもしれない』p38

もちろん、生きていくうちに、子どもを持つことへの考えが変わる可能性だってあります。事実、『妊活白書』によれば、「子どもが欲しいと思わない」と回答した女性のうち25.5%が「子どもを授かれる可能性を残しておきたい」と答えています。「今は欲しくない、でもいずれ欲しくなるかもしれない」という人生の余白を持つのは、自然のことでしょう。

たとえば「産みたくないと思っていたけど、やっぱり産みたい」と考える人も、それとは別の経緯をたどる人も、数多くいるだろう。一度決めた自分の選択に縛られる必要はない。むしろ自由で柔軟性のある生き方こそが、最も大切なのではないだろうか。
――『母にはなれないかもしれない』p61

ここまで読んで、「産むか産まないか」という二者択一で、自分をカテゴライズする必要はない。そう気づかされました。揺らぎを認めず、自分を画一的な枠に当てはめて苦しめているのは、ほかでもない私自身なのでは? そう思い至ったときの、一気に靄が晴れていく感覚は忘れられません。

たとえ将来後悔するとしても、今「産みたくない」と思うなら、その気持ちを大事にする。その勇気が、自分の尊厳を守ることにもつながるのではないでしょうか。

苦しみを認めあう基礎には「想像力」がある

子どものいない人の中には当然、「産みたかったけど産めなかった人」もいます。本書はその立場にも光を当てるべく、不妊治療の末に「産まない人生を選ばざるをえなかった人」のインタビューも載せています。

ウェブデザイナーの藤原莉乃さん(仮名・52)は、40代半ばから5年間、過酷な不妊治療を続けました。たくさんの時間とお金を費やすも結果は出ず、ついには子どもの話が飛び交う職場にいるのが辛くなって、勤めていた会社を辞めた経験も。その壮絶さは、想像するにあまりあります。

「不妊治療に費やした約5年と同じ年数、立ち直るのに時間がかかったよ」――『母にはなれないかもしれない』p113

いつも透明化されがちな「産めなかった人」の存在。職場で、友人同士で、親戚の集まりで、子どもの写真を見ることすら辛い人がいるかもしれません。意外な人が、妊活が思うようにいかず心身の痛みに耐えているかもしれません。

不妊治療には、独特の苦しさや痛みがあります。だからこそ、悪気はなくとも、ふとした発言で誰かを傷つけ「加害者」になってしまう可能性は、誰もが持っています。相手の気持ちや置かれた環境をおもんぱかってコミュニケーションする想像力こそ、加害を防ぐ武器ではないでしょうか。

治療をすれば子どもはできると、単純に信じ込んでいたのかもしれない。
そうではないことを、知る機会がなかったのかもしれない。――『母にはなれないかもしれない』p113

「子持ち様」「無産様」の根底にあるもの

人権のうち「性と生殖に関する権利」のことを、リプロダクティブ・ライツといいます。1994年に国際人口開発会議で提唱されてから30年経ちましたが、その本質はまだ十分に理解されていません。産むか、産まないか、いつ何人産むか。それを決める権利はその人自身が持っていて、たとえ家族にも侵害されてはなりません。

一方で最近、SNSに「子持ち様/妊婦様/不妊様」(妊娠中や産後、不妊治療中だからと、周囲に対して過剰に権利を主張する人のこと)、さらに「無産様」(子どもを産んでいない女性のこと)といった蔑称があふれています。どれも強い悪意が込められたネットミームで、たとえ自分に向けられた言葉じゃなくても、心がキリキリと痛めつけられるようです。

こうしたワードが広く使われる根底には、深い「断絶」があるように思います。そして、断絶を埋めるために私たちにできるのは、「連帯」することではないでしょうか。

まさに、本書のサブタイトルにある「シスターフッド」とは、女性同士の連帯を指す言葉。1960年代にアメリカで生まれ、のちに日本にも波及した女性解放運動(ウーマン・リブ)の中で誕生した言葉です。フェミニズム第2波ことウーマン・リブから現代の#MeToo運動まで、女性運動はいつも「連帯」することで、家父長制や性別役割分担などの大敵と戦ってきたはずです。

子どもがいる人もいない人もみんな、自分が置かれた環境で、自分だけの苦しみや辛さを抱えています。だったら、弱くとも長く連帯し続けることでお互いの生き方を知り、違いを認め合い、手を取り合って生きていきたい。そのための第一歩に、本書を強くオススメします。

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さくら もえ
Writer さくら もえ

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