2024年1月1日に発生し、最大震度7を記録した能登半島地震。なんとそのたった2週間前に 石川県加賀市にある星野リゾートの温泉旅館「界 加賀」では総支配人として当時26歳の森下亜椰さんが着任していました。着任間も無く遭遇した試練や若くして総支配人に立候補した思い、これからのキャリアについて考えていることを森下さんに聞いてきました。
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着任2週間で能登半島大地震を経験
——「界 加賀」に着任したのは2023年12月。その後、年が明けてすぐ能登半島地震が発生しましたが、現地はどのような状況でしたか?
まだ着任2週間で「界 加賀」のことを把握しきれてないぐらいの時期でした。震度5ぐらいの揺れで、幸いにもライフラインは無事。余震が続いたので食事に火を使うのを避けたり、温泉も少し濁りが出たりした程度で通常通り営業できました。揺れが来たときも有事の指示だしやスタッフ対応の訓練をしていたので混乱もなかったのですが、大変なのは交通手段でした。鉄道が止まって目処立たずといった状態で、バスなども一部は運休してしまい、1月2日に帰路につくお客様の交通手段の手配に苦労しました。幸い、小松空港は無事だったので、特別に送迎をご用意したりしてしのぎました。
「界 加賀」のある山代温泉は金沢からさらに南で、実質的な被害はほとんどなかったのですが、地震を「北陸・石川県」というくくりでとらえる方が多く、直前のキャンセルが相次いだことも辛かったです。
——風評被害が大変だったんですね。
はい。年始で満室予定だったのが一気にキャンセルが来てしまいました。もう一つ大変だったのが、3月16日北陸新幹線金沢-敦賀間の延伸開業に合わせてオープンしようとしていた「べんがらラウンジ」の工事です。九谷焼や山中塗など約100種類の器の中から自分好みの器を選び、お酒とおつまみで夕食後にくつろげるラウンジというのが趣旨で、器の一部は能登で作られているものを手配していました。それらの生産ラインが止まってしまったり、工事の職人さんも復興の方で多忙だったりで、無事に新幹線開業に間に合うか、もうまったく余裕がなかったです。
先にオープンしていた金継ぎ工房に加えて、北陸の伝統文化を味わってもらえるようにと計画されていた「べんがらラウンジ」は、オープン前の最終段階で開業を引き継いだばかりでした。代替品の手配に奔走して、無事3月13日にオープンできたときは、本当にほっとしました。
——新しい「べんがらラウンジ」は「界 加賀」の一大事業だったんですね。
フロントがある伝統建築棟の2階で、山代温泉の象徴でもある明治時代の総湯(共同浴場)を復元した「古総湯」を眺められるスペースです。「界 加賀」前身の寛永元年(1624年)に開業した魯山人手掘りの「白銀屋」の看板を飾り、ずらりと並ぶ銘品の器と酒器が並びます。1日4組限定で特別な時間を過ごしていただけます。
——老舗旅館も多い山代温泉の中で、若い総支配人ということで大変に感じることはありますか?
経験や総支配人になって日が浅いことは事実ですが、能登半島地震の後、山代温泉を全体で活気づけていきたいという思いはみな同じです。多くの歴史や様々なおもてなしを先陣切って行ってきた方々が多いので、自分にはない視点を学ばせていただきながら、一人でも多くの山代温泉のファンを創り出せるよう自分も頑張ろうという気持ちでいます。
マイナーな地域にも進出して集客できる星野リゾートの魅力
——視点がすっかり総支配人ですね!星野リゾートに入社されたきっかけは?
観光地としてまだ知られていないところに集客する魅力づくりの仕組みを学びたいと思ったからです。とにかく旅行が好きで、ホテル・旅館に泊ること自体も好きなんです。星野リゾートには、18歳から29歳限定で特別料金で界に泊まれる「界タビ20s」という特別プランがあるのですが、それで就職前から界を結構回っていて、ファンになってました。今では界のほぼ全施設を回っているほどです。
また、星野リゾートは入社時期が年4回(4・6・10・2月)選べるのですが、私は今しかできないことをしてから入社したいと思い、4月入社ではなく翌年の2月に入社しています。その間は、営業のアルバイトや趣味の旅行をしながら過ごしてました。
——学生時代から、筋金入りの星野リゾートファンだったんですね。早くに総支配人を目指したのは?
新卒で入社してから2つ目の任地で開業準備に入った「界 ポロト」で女性総支配人の遠藤美里さんに出会ったことが刺激になりました。遠藤さんもParanaviに登場されていますが、ポロトに着任する前の「界 津軽」で当時の最年少の26歳で総支配人になられていたんです。そこで遠藤さんの組織のつくり方にも触れ、マネジメントの方に興味がわいて、明確に総支配人を目指したいと思うようになりました。
星野リゾート内で開催されている「麓村塾」という社内研修で未来のマネジメントを育てていくというプログラムに参加したことも本格的に総支配人を目指すようになったきっかけです。その1つは「再生マネジメントプログラム」を考えていくもので、通常業務をしながら、半年間オンラインで学びました。星野リゾートが他社から運営を引き継いで、どのように組織・経営・魅力醸成をしていくかという事例にとても興味引かれ、ますますマネジメントに取り組みたくなりました。
——具体的にはどのようにして総支配人になるのですか?
まず、マネジメント職になりたいと立候補してプレゼン大会に臨みます。立候補は1年目でも10年目でも可能で、プレゼン大会は年2回、オンラインで開催します。持ち時間は25分間。15分間で所属施設の戦略を発表し、残り10分間が質疑応答です。
戦略発表は、いかに自分らしさを出して、この人にならマネジメントを任せたいなと思わせるかがポイントだと思います。本番の前にいろんな人に壁打ちでプレゼンを聞いてもらった際に「一般論で面白くない」「森下さんが見えてこない」と言われ、自分だからこそという部分が大事なんだと気付かされました。
このプレゼン大会は、全社員が見ることができてアーカイブも残ります。プレゼンに対するアンケートなどがあり、その結果や人事での検討を経て、マネジメント職になれるかどうかが決定されます。
400年の歴史を次の100年に繋げていきたい
——そのプレゼン後に「界 阿蘇」の総支配人となられて、1年後に「界 加賀」に移られたのですね。
両施設とも、長い歴史をもつ施設の運営を星野リゾートが引き継ぐ再生案件ということで共通点があるということもあったかと思います。「界 加賀」は、「白銀屋」という400年の歴史ある旅館を星野リゾートが引き継いで、金継ぎ工房や「べんがらラウンジ」など新しい取り組みなどが、まさに「王道なのに、あたらしい。」という「界」のコンセプトそのものので、とてもワクワクしたのを覚えています。
着任すぐの能登半島大地震、新幹線延伸に合わせての「べんがらラウンジ」のオープンと目まぐるしい毎日のなかで、試行錯誤しながらも未来につなげていきたいという思いで今日にいたってますが、まだまだ道なかばというところです。
——森下さんの仕事のなかで考える「未来につなぐ思い」とはどんなことですか?
2024年「界 加賀」は、「白銀屋」から数えて400年を迎えるので、次の100年につなげていくという大きな夢を持てる節目です。「王道なのに、あたらしい。」という「界」ブランドの先頭を走っていきたいと思っています。「界 加賀」としては、連泊をしてランチや体験なども含め、地域を味わっていただく旅を提案していきたいです。
自分としては、観光地としてまだ有名ではないけれど、実はその魅力が知られていないだけという地方がたくさんあるので、新しい形で魅力の発信を手伝い、持続的に発展できるようなサポートをしていきたいです。それが昨今の後継者不足問題の解消や希少な伝統工芸の継承につながると思います。
「地域への集客を増やし、地域経済を回していく存在に」というのが、私の星野リゾートに入社した思いなので、総支配人としての役割だけでなく、星野リゾートのなかで地域経済活性化のためのチャレンジをしていきたいと思っています。