Paranaviトップ ライフスタイル 暮らし 【小説「喫茶クロス」第5話】紬の過去 〜高校生時代と穂乃果との出会い〜

【小説「喫茶クロス」第5話】紬の過去 〜高校生時代と穂乃果との出会い〜

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俳優業の傍ら執筆にも取り組む奥野翼さんが、複数に分岐していく女性のキャリアとライフステージをテーマに小説を執筆。喫茶店「クロス」を舞台に、正解のない人生を迷いながら歩んでいく女性たちを描きます。
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2018年 8月4日

心が落ち着かないときがある。喫茶クロスで働き始め様々なお客さんと出会う中で、紬は自分の人生への向き合い方を考える機会が増えた。人にはそれぞれ世の中との関わり方がある。自分のやりたいことで人に貢献する人生や、誰かを応援したいという気持ちだったり、お互い歩み寄って愛を育む恋愛感情。そのどれもが素晴らしくそこに在る。輝かしい他人の人生を羨ましく思いながら、自分で自分の足を踏み出す勇気はなく、そして本当のところ私はどう在りたいか、考えていてもなかなか見つからない。世界の外れから指を咥えて人びとを傍観している感覚が、私にはある。

———それでも私は今、確かに生きている。

喫茶クロスという素敵な場所で日々を重ねることができている。外の天気に左右されることのない喫茶クロスは、いつでも居心地が良い。銀色のエスプレッソマシンとガラスの扉に反射する蛍光灯が輝く。今日もまたここで一日を始めることができる幸せを噛みしめていると、店前を女子高生2人組が歩くのが目に入った。片方は身長の低い子で、もう片方は身長が高めで、長い髪の毛が風に吹かれ揺れていた。紬はふと高校時代の彼女を思い出した。強くて優しい女の子だった。 

忘れられない過去の思い出

高校2年生の2学期が始まる暑い夏、富士山が見える空気の澄んだ町の全校生徒は200人ほどしかいない小さな高校に、彼女は転校してきた。身長が高く端正な顔立ちで、転校初日から校内で話題になるほどの存在感があり、休み時間になれば男女関係なく人が集まった。地元のことやこの学校で部活は何をするかなど、皆から聞かれていた。紬の斜め前の席に座っていた彼女は、四国の徳島県出身でその独特な喋り方が特徴的だった。教室で目が合って会釈をする程度の関係が1週間続いたある日の休み時間、彼女から話しかけてくれた。

「その本、私も好き。なかなか展開が読めんからワクワクする。再来年の夏に完結するらしいで」

私が、知ってる。楽しみだよね。と答えたら彼女は嬉しそうに笑って、

「紬ちゃん、て呼んでいい? うちのこと、穂乃果でも、ちゃん付けでもええから」と言った。

部活に所属していなかったので、授業で先生に槙原(まきはら)さんと呼ばれる以外は自分の名を呼ばれることなどなかった。中学校までは、ある程度活発に友人と遊んでいたが、高校に入ってから友達を作るのが苦手に感じていたため、彼女の唐突な紬ちゃん呼びには驚いたが嫌な気はしなかったのでそのまま受け入れた。

「じゃあ私も穂乃果ちゃんて呼ぶね」

彼女の名は、大迫 穂乃果(おおさこ ほのか)というので、私は穂乃果ちゃんと呼ぶことになった。

穂乃果ちゃんは部活に所属しなかったのでそれからほぼ毎日一緒に帰り、朝は駅近くの文房具屋で合流して登校した。帰り道にあるコンビニでアイスを買って地元の話を聞いたり、穂乃果ちゃんが肩を落としながら、学校のみんなは関西弁って言うけど全然違くてこれは阿波弁で、みんなが分かりやすいように関西弁に近い言葉を使っているんだとか、お互い知らない土地で生まれ育ったことで話題は尽きなかった。そんな日々の中で、なぜ引っ越してきたのかを改めて聞いてみたことがあった。

「うちは父子家庭やったんやけど、お父さんが病気になってもうて色々と大変やったんよ。うちは早死する人が多い家系で親戚も近くにおらんかって、そんな時にお父さんの従兄弟と連絡取れたし、高校卒業までは住ませてもらえることになって引っ越してきた。って感じかな。編入とかいろいろ手続きが大変やったわ」

今も徳島県の病院にいて心配だから、月に一回はお見舞いに行かなきゃ。と棒アイスのハズレの文字を見ながら穂乃果ちゃんは言っていた。家庭について聞くと、どこか喋りたくなさそうな、辛そうな空気が流れることがあったので、紬はこの一回で家庭の話を聞くことを控えた。もし話したくなったら自分からするに違いない。それにしても、編入手続きなどを自分で調べてやったというのだから驚いた。

秋になり黄色く色づいた銀杏の葉っぱが綺麗だったある日、穂乃果ちゃんは学校に来なかった。

いつも通り高校の近くにある文房具店で待ち合わせをしていたが、その日は時間になっても現れなかった。これまで遅刻をするような子じゃなかったので心配になったが、紬はもともと1人で学校に馴染んでいたような学生だったので、またいつも通り坂を上り1人で学校へ行った。紬ちゃんと呼んでくれる穂乃果ちゃんが居ないのはやはり心寂しいなと思ったが、そう思えることが幸せにさえ感じた。私は独りぼっちじゃないと思えた。学校が終わるころ、穂乃果ちゃんから連絡が来ていた。

『連絡しないでごめんね、紬ちゃん。放課後会える?』

穂乃果ちゃんに教えられた3つほど離れた町の駅で降りて、住宅街や公園を抜けた先の緑道で落ち合った。車通りが多い時間帯の秋の夕暮れ時だった。銀杏の木を赤々と夕暮れが照らして綺麗だった。その木の下のベンチに私服で座って待っている穂乃果ちゃんは、制服の時よりも胸の膨らみがよく分かる。いつも一つに結んでいる髪の毛はサラサラと自由に風に吹かれていた。

学校を休んだ理由は、特に聞こうとは思わなかった。穂乃果ちゃんにも色々あるだろうと思ったし、実際いまこうして会ってくれたのだから何も聞かなくてもいい。何かあれば向こうから話をしてくるはずだ。2人が話をするきっかけとなった本の次回作がどうなるのかを、様々な考察を兼ねて2人で話し合った。うっすらと、穂乃果ちゃんの目元に痣があるように見えたが、暗くなるまで話し続けた。地面に落ちている銀杏の葉っぱを集めてハート型を作ったりした。

冬になると穂乃果ちゃんは休みが多くなった。学校ではなかなか会えなくなったが、紬は週2日の習字の習い事以外で空いている日は、あの緑道へ会いに行った。銀杏の木はすっかり枯れ木となり、地面に落ちた葉たちは色が抜けて土に馴染んでいた。少しだけ寂しそうな裸の木々を見ながら、穂乃果ちゃんとの時間を楽しんだ。

その頃学校内では、休みがちな穂乃果ちゃんの噂が立っていた。大人っぽい見た目と転校生だというミステリアスさも相まって、夜の店で働いているのではないかと言われていたのだ。男子たちが訊いてくる幼稚で下品なことばかりではなく、クラスの女子たちからも夜のお店で働いているのではないかとか、売春をしているんだとか、薬物でおかしくなっているなど、訳も分からない噂が回っていた。そんな噂がどこから出回ったのかさっぱり分からなかった。

穂乃果ちゃんは、たまに学校へ来ても紬とも誰とも目を合わせることなく、ただ時間を過ごしていた。家にいるのが嫌だから出てきた家出少女のようにも見えた。学校にいるときは話しかけることが少し怖かった。

年末が近づいてくると、不登校が続く穂乃果ちゃんに拍車をかけるように、噂は具体的に広まった。クリスマス近い日の夜の繁華街でおじさんと手を繋いで歩いていた。とか、派手なドレスを着て酔っぱらったおじさんたちに囲まれ歩いていた。とか、沢山あった。嘘か本当かはどっちでもよかった。皆は知らない一面を、穂乃果ちゃんの芯の部分を紬は知っているので気にならなかった。

ただ、年末に近づくにつれて穂乃果ちゃんと会える頻度が減っていたので、心配ではあった。紬も噂話の渦中に入れられるかもしれないから、学校では誰とも言葉を交わさずにいた。緑道で、私の前で笑って話してくれる穂乃果ちゃんを知っていたから。

穂乃果ちゃんとの記憶の中で

喫茶クロスで営業終わりに正樹さんと店内の片づけをしながら、紬は昔のことを思い出していた。最近はより一層、大切な誰かを救える人でありたいと思い悩み、その為には何をすればいいのかを考える日々が続いている。蓋をしていた過去が、穂乃果ちゃんとの記憶が徐々に顔を出してくる。

——私たち、幸せになろうね—— 2人で誓い合ったあの日の光景が鮮明に沸き起こってきた。テーブルを拭いていた手に感覚がなくなり、気が遠くなるのと同時に視界が外側から暗くなる。

——私たち、幸せになろうね—— あの日はとても寒い日だったけど、2人でいたら寒さも半分だねって笑い合ったんだっけ。お尻を床に付き精一杯の深呼吸をしてみたが、世界が一回転してそのまま床に倒れ込んでしまった。遠くで正樹さんの心配する声が聞こえた気がした。

「え、紬さん、紬さん?大丈夫?」

遠くから聞こえる正樹さんの声を微かに捉え、また目を閉じてしまった。

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奥野翼
Writer 奥野翼

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