Paranaviトップ お仕事 働き方 60歳で2度目のジュエリーブランドを立ち上げ。「CAFERING」を全国80店舗に導いた青木千秋「キャリアは何歳でも拓ける」

60歳で2度目のジュエリーブランドを立ち上げ。「CAFERING」を全国80店舗に導いた青木千秋「キャリアは何歳でも拓ける」

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29歳で起業し、35歳で未経験のままジュエリー業界に飛び込み、60歳のときにはZ世代の一人娘とともに新たなジュエリーブランドを立ち上げた青木千秋さん(61歳)。新卒で入社した営業会社での挫折、20代後半に痛感した「女性は長く働けない」という組織の現実、さらには詐欺被害など、若いころは何度もキャリアの壁にぶつかったと言います。それでも立ち止まらず、自分の人生を自分で選び続けてきました。

営業で3か月成果ゼロから最年少トップになるも……

——ジュエリーとは異なる業界からキャリアをスタートしていますが、1社目では、どのような仕事をしていたのでしょうか。

青木千秋さん

CAFERINGの創業者である青木千秋さん

20歳のとき、新卒で英会話商材を扱う営業会社に入社しました。個人・法人向けに商材を販売していましたが、最初の3カ月は契約がまったく取れず、とてもつらい日々でした。「来週こそ辞めよう」「営業は向いていない」と毎日のように思いながら出社し、精神的にも綱渡りのような状態でした。

それでもやる気だけはあったので、あるときお客様から断られる理由を細かくメモするようにしました。すると、相手が違っても断られる理由は3つほどしかないことに気づき、原因は自分の伝え方にあるとわかりました。そこで資料の見せ方や説明の順序を見直すなど、事前の準備を徹底したところ、ようやく成果が出始め、21歳のときには最年少で年間トップの営業成績を収めることができました。

——キャリアがうまくいっている中で、なぜ詐欺被害に遭ってしまったのでしょうか。

営業会社でいい成績を残せたので、1500万円ほど貯金ができました。そこで、20代前半のとき、営業には自信があったので、このお金を元手に起業することにしようと思いました。しかし、事業を応援すると言って近づいてきた人物から約1500万円の詐欺に遭い、さらに借金まで背負うことになってしまいました。

営業が少し得意なだけなのに何でもできるような気になり、社会の仕組みもわからないまま無知であった自分に原因があったのだと気づいたのです。その後は借金を返すために営業会社に就職し、20代はとにかく働きました。

——借金を完済するも、今度は、職場で「女性が生涯、働き続ける難しさ」を感じるようになったんですね。

20代後半になると、先輩の女性社員が30歳前後で職場を去っていく現実を目の当たりにしました。女性が結婚や出産でキャリアを諦めることが前提とされていた時代だったため、私も会社から、長く働くことは期待されていないと感じました。当時、一度目の結婚をした直後だった私は、「結婚後も年齢関係なく働き続けたい」と考えていたので、この職場では、それが叶わないと思いました。

29歳のときITで起業し、35歳でジュエリー業界に参入

——その状況の中で、なぜ起業という選択に踏み切れたのでしょうか。

転職しても状況は大きく変わる可能性はあまり高くない時代でしたので、自分で環境をつくったほうが確実だと考えました。ただ、一か八かの挑戦は向いていないので、29歳のとき、ソフトウェア開発のフランチャイズで起業することにしました。IT知識はあまりなかったのですが、フランチャイズなら仕組みやノウハウを学びながらリスクを抑えた経営をすることができると思ったんです。

青木千秋さん

今思い返すと、フランチャイズという道を選んだのは、詐欺に遭った経験も大きく影響していたと思います。あの経験をしたことで、「儲け話には安易に乗らない」「値段より質や価値を重視する」という自分なりの判断基準ができました。その結果、事業との向き合い方も、自然と堅実になっていきました。

やみくもに攻めるのではなく、リスクを把握したうえで進む。この姿勢がキャリアの軸になりました。

——35歳でジュエリー業界へ転身しています。異業種へ進む決断には、どのような背景があったのでしょうか。

経営はうまくいっていましたが、ITのソフト開発はテンポが速く、そもそもITが得意なわけではないこともあり、私にはスピード感が合いませんでした。一方で、私は節目ごとに自分へのご褒美としてジュエリーを買ってきた経験から、ジュエリーは人生を豊かにする象徴だと感じていました。

そして、生涯をかけて向き合える仕事は何かと改めて考えたとき、ジュエリーしかないと確信したんです。

とはいえ経営している会社はIT企業です。社長である私が「新規事業でジュエリーブランドを立ち上げる!」と言い出したとき、会社のみんなはすごくびっくりしていたと思います(笑)。

しかも、まったく未経験の業界で知り合いも取引先もゼロの状態でした。そこでジュエリーに関するさまざまな展示会に1年ほど通いました。その中で、安く仕入れるのではなく、間違いのない品質を提供してくれる信頼性のあるメーカーを見極めることに徹底しました。また、私自身もそういったメーカーに信頼してもらえるよう、商談を重ねました。

——未経験で新規事業を立ち上げることに対し、不安はなかったのでしょうか。

ジュエリー業界は男性が多いのですが、私が出会った人は、紳士的な方ばかりでした。新参者にも、業界のイロハを丁寧に教えてもらえたので、あまり戸惑いはほとんどありませんでした。それに、私が大切にしている「品質で妥協しない」という姿勢を貫いたことで、少しずつ道が開けていきました。

CAFERING

“カフェのように、日常で心地よくジュエリーを楽しむ”がコンセプト 出典:CAFERING公式サイト

そして1999年、10万円台から購入でき、日常の中で楽しめるブライダルリング「CAFERING」を立ち上げました。スタートは会社の片隅から始まりましたが、リングの両面にデザインがある「2WAY RING(2面仕様リング)」を開発して特許を取得しました。現在はジュエリーの販売と宝飾店への卸展開の2軸で展開し、全国80店舗まで広げています。

CAFERINGの全国展開後、次の挑戦へ

——CAFERINGが順調に拡大する中で、なぜ60歳のとき、新ブランド「No.(ナンバードット)」を立ち上げるにいたったのでしょうか。

そして59歳のとき、ある勉強会で出会ったある企業の方から「ジュエリーブランドの立ち上げを任せたい」を声をかけてもらい、「数字をモチーフにしたブランドを立ち上げるなら今だ」と確認しました。商品企画に約1年かけ、60歳のときに「No.」をスタートしました。

青木千秋さん

——Z世代の娘・Kyokoさんもブランド立ち上げから参画していますが、どのように携わっているのでしょうか。

若い感性はブランドの表現に欠かせないので、最初から参加してもらいました。「一緒にやる?」と改まって声をかけたわけではなく、「こういうことを始めるよ」と話したら自然に入ってきてくれました。SNSや撮影は娘を中心に20代から30代のチームが担当しており、私は大枠のみを見ています。自由度を持ちながら、商品だけは丁寧に見せる。そんな運営を大切にしています。

——今後、どのようなキャリアを歩んでいきたいと考えていますか。

現在は「No.」の成長に力を注いでいますが、この挑戦を最後にするつもりはなく、70代、80代になっても感覚が鈍って判断力が時代に合わなくなる一歩手前までは現役でいたいと思っています。

青木千秋さん

青木さんの手元には「No.」のジュエリー

今でさえ、「60代になっても事業を続けるのですか」と驚かれることもありますが、最近の60代は一昔前とは比べものにならないほど元気なんです。

母娘でブランドを育てる毎日には発見や学びがたくさんあり、とても充実しています。だからこそ、いくつになっても自分の思いや夢に真っすぐ向き合い続けたい。年齢にとらわれて可能性を小さくせず、前に進む姿勢を大切にしていきたいと思っています。

あおきちあき●ジュエリーブランド「CAFERING」代表。IT企業経営を経て、1999年「CAFERING」を創業。東京・銀座直営店ほか全国80カ所の取扱店で展開する。2024年秋、数字をモチーフとした新ブランド「No.(ナンバードット)」を始動。
青木千秋さんInstagram

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橋本岬
Writer 橋本岬

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