Paranaviトップ お仕事 働き方 NYの監査法人からインドに仏教修行へ、新しい道へ飛び込んで気づいた「本当の幸せ」とは?

NYの監査法人からインドに仏教修行へ、新しい道へ飛び込んで気づいた「本当の幸せ」とは?

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アメリカで監査法人に就職。その後、東京で組織開発コンサル勤務などを経て、アリゾナの国際経営大学院へ留学……という目覚ましい活躍のキャリアを辿ってきたササオルーフゆうきさん。誰もが羨む成功の道を歩んでいくのかと思いきや、次に選んだのは「インドに仏教修行へ行く」という驚きのルート。画一化された成功や幸せではなく、仏教という直感を信じて入った道だからこそ得ることができた「キャリアの切り口」について聞きました。

白人男性エリート社会だった職場に幸福感はなかった

――福岡からNYの郊外の大学に留学されたきっかけは何だったのですか?

私は福岡県のど田舎の出身で、地元から出たいとかお金をかけて大学に行きたいという発想をする人も周りに全然いないようなエリアだったんです。将来のことを考えて頭に浮かぶのは、スーパーのレジ打ちか市役所勤め、介護職といった限られた仕事しかないような感じで……。もちろんそういった仕事もやりがいはあるのですが、自分にとっては、明るく生きる3040代の自分が想像できなくて、10代の頃から人生に絶望していたんです。

でも、世の中にどんな選択肢があるか一度は見てみたいと思って、思い切って自分が入れる中でいちばん安い海外の大学に行かせてもらったんです。それで入学したのがニューヨーク州立ジェネシーコミュニティカレッジという、これまた「人の数より牛の数が多い」というNYCからは想像もつかない郊外の2年制短大4年制大学への転入後も周りは白人だらけで、8,000人の学生中日本人は2人だけでした。

アリゾナ州の国際経営大学院・サンダーバード大学院の卒業式にて

しかし留学予算に限りもあり、卒業まで5年間かかるところを必死にがんばって4年間で卒業しました。大学の時に会計のクラスを取り、卒業後は24歳までNYCにある世界的な会計監査法人の本社にCPA(米国公認会計士)として勤務しました。

――NYで監査法人勤務というとすごく華やかに聞こえますが、西海岸に移られたのはどうしてですか?

NYでの監査法人はいわゆるバリバリ仕事をこなすエリートが多くて、おとなしく従順に務めているとやる気がないのかと怒られるような雰囲気が合わなかったんです。西海岸の田舎であれば環境が変わるかもと思ったわけです。

それで、競合の関係監査法人に転職し、24歳から26歳までポートランドで過ごしました。ポートランドに来たの偶然で、転職の際は勤務地がシアトルだと勘違いしていたくらいです。

ただ、アメリカの会計士の世界というのはやはり白人社会で、場所を変えても、自分の幸福感は上がりませんでした。ちょうど2020年の「ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter:黒人のジョージ・フロイド氏の殺害事件で大きな抗議運動が広がった)」があった時期で、職場での多様性や女性の扱いについて考えさせられることになりました。しかし、女性の職場での差別的な扱いやそれによる生きづらさについて、母国語の日本語では話せる相手も環境もなくて、であれば自分が日本でこの話題を広げよう、という気持ちになったんです。

――それで日本に戻って仕事をすることにされたんですね。

はい。日本に帰って、自分でDE&I (Diversity 多様性、Equality 公平性 Inclusion 包括性:企業が人材を活かす上での考え方)を発信しようと思い 、東京で法人向けの組織開発コンサルタントとして働くことにしました。また、まちづくりを通してDE&Iの考え方を広げていこうと一般社団法人「つなげる30人」を立ち上げに関わったりもしました。

しかし、法人向けコンサルタントは数字などを見るような案件が多く、DE&Iによる組織改革は2割以下。そこで、頑張ってプレゼンテーションをしても「若くてシャキシャキしてる」と年輩の方に刺さりはするのですが、行動変容まで促すことは難しいと感じました。それで、影響力を身につけるべくアメリカの大学院に行くことにしたんです。

国際経営大学院で得たこととキャリアの3つの切り口

――そこで入学された「サンダーバード国際経営大学院」はどんな大学院なのですか?

アリゾナ州にあって、世界でもトップの国際経営大学院で、現在のアイスランド大統領であるハトラ・トーマスドッティル氏も卒業生の一人です。実業家としてアイスランド商工会議所の初の女性CEOを経て、2024年に大統領になった人で、ジェンダーにおける平等や平和と公正な社会の実現をアピールされています。

またこの大学院は、自分たちのことを「小さな国連」というほど、グローバルな人材が集まっていて、視点の違いを学ぶことができる場でもありました。仕事で何を重視するかを論じていて、アフリカから来た学生に「ユーキ、アフリカには効率という言葉はないんだよ」と言われて、ハッとさせられたりしたこともあります。

国際経営大学院ということで、かかわる人も外交の仕事をされている国際的な人が多くて、パートタイムで領事館関連のNPOなどからお声がけもいただけるようになりました。ここで、自分のキャリアの切り口として3つの柱を見いだせたと思います。

米国首都ワシントンDCで国際会議運営チームと一緒に

1つ目は、監査法人にも勤務した「会計士」としてのキャリア2つ目は「まちづくり」で、組織コンサルタントを通していろんな業界や組織を見るので、より広いまち全体としての改革にかかわっていくキャリア3つ目は「草の根外交」で、国際経営大学院を通して得たキャリアです。

国際経営大学院を卒業してから仏教を学びにインドへ

――企業勤務や大学院での学びを通してキャリアの切り口は明確になったのですね。それなのに卒業後いきなりインドへ仏教修行に行ったのはなぜですか?

キャリアの切り口は明確になったのですが、卒業後にまたフルタイムで勤めたいと思える組織が見つからなかったんです。確かにコンサルタントも会計監査も給料などの条件はすごくよいのですが、それでまたフルタイムで働き始めて果たして自分にとって価値のある時間の使い方ができるのだろうか?という疑問を感じたんです。

会計監査や大学院では、結果も出せてキラキラに見える一方で、中身は幸せでないことも多かったんです。英語一つで5歳児扱いされて自己肯定感をズタズタにされる場面もあったりで、鬱になったこともあったんですね。しかし、一方で収入や社会的地位ということへの執着や今まで頑張って得たものを果たして手放せるのか?と思ったのです。それでインドのお寺に入って質素な生活を経験してやっていけるかを試そうと思いました。

――なぜそこで仏教だったのですか?また、実際にインドとチベットまで行かれてどうでしたか?

それまで、「安心する、自分の居場所を確保する」ために「強く生きていかねば」という姿勢でいて、自分でも強いと思いこんでいたのですが、実はセンシティブでずっと常に周りからどう思われているかばかりを気にしていたんですね。新社会人時代にはそんな気持ちをどうにかしたいと相談しようにも、社内で信頼できる相手がいなかった。日本でも身近な大人は町を出たこともないという閉鎖的な考え方の人ばかりのなかで、唯一NYで相談できたのがお寺のお坊さんだったのです。たまたま週末の座禅会に一度参加して、そこからお坊さんに話を聞いてもらうようになりました。

静かに自分の向き合ったチベット寺院のゴンパ

仏教は、宗教ではなくて東洋の心理学だと思います。それまで、私は肩書や属する組織など周りから認めてもらうための道具集めに終始していたのですね。特に訪れたインドとチベット亡命政府のお寺で学んだ仏教は、それは意味がないよというのをロジックで答えてくれたのです。

お寺での生活は私語が一切禁止で、電子デバイスもすべて金庫に預けて触れない生活です。早朝に瞑想、午前中に禅問答を介して講義、午後に少し講義を続けた後、午後~夕方にかけて学んだ内容を瞑想で実践する、の繰り返しでした。

ただ、だまって自分で考えよというのではなく、問答や講義にはきちんと論理的な答えがあって「道具を集めないと生きていけないと思っていたけれど、結局は中身がなければ価値がない」というのが腑に落ちました。自分の中に実は価値積もっていることを認識したら、身につけようとしていた道具の鎧は落とせるようになました。

一本の柱ではなくいろんな柱を持って生きていく

――今まで獲得したものを手放せるか試すために行かれたのですが、逆に仏教から得たものが大きかったですね。今後やりたいことは?

フルタイムで勤めるのではなく、所属するところを複数維持しながら自分の人生をデザインしていきたいと思っています。

まず、以前の私のように生きづらさを感じている人の居場所と仕事を作りたいと思っていて、そのために事業を始めたいと思っています。安心できる居場所となるには仕事が必要だと思うので。

以前、NYで住む場所を見つけるのに苦労したことから、発想を変えて自分が大家さんになって低所得の移民や留学生の人に貸し出すというアパート経営をしていました。その第2弾も考えています。

また、教員職に戻ろうかなと考えていて、まちづくりについての研究が盛んなポートランド州立大学の職員に応募しようと思っています。以前の私のように周りにサンプルが少ないがゆえに視野が狭くなってしまっている大学生を連れ出せる職員になれればいいなと。社会課題をビジネスで解決することに取り組む「ボーダレス・ジャパン」の「ボーダレスアカデミー」にも社会起業家として参画する予定です。

――一つの組織に自分を当てはめるのではなく、いろんなところに居場所を持つというのはいいですね。そのためにどんなことを心がけておられますか?

家を建てることとよく比較するのですが、柱が一本だけだとその柱が折れれば終わりですが、柱が多ければ多いほどしっかりと支えられますよね。何かしらうまくいかないことは常に起こるので、柱が多ければそんなリスクも分散できます。

これまでの経験に基づいてこうした生き方のデザインを考えていますが、ちゃんと収益の得られるビジネスになるかという点はドライに考えていて、ニーズとマーケットについては厳しく見た上で取り組んでいます。

そして、取り組む先を見つけるには、フットワーク軽く面白いと思ったらすぐ動くことを意識しています。興味のあるイベントはすぐカレンダーに書き込んで、一人でどんどん参加します。

今まで引っ越しが多かったので、街になじんでいくための自分なりのルーティンができました。それは友達をつくったり取り組むことを見つけたりといったことにも当てはまりますが、まずは「自分の興味分野を把握すること」そして「それに関連して活動する団体を探す」、「団体が見つかったらインスタグラムやニュースレターなどをフォローする」そして「実際に団体のイベントに行く」というルーティンです。

そこで、みんなと話すとなると内向的な私は疲れてしまうので、「少なくとも2人の人と話す」というのを心がけています。そうしていると「これも面白いよ」というそれが次に繋がっていきます。月にこうしたイベントを10個行くのが目標です。また、素敵だな面白そうだなと思う人たちと週に3回は、コーヒーにお誘いするように心がけています。

そして、自分が何に興味があって何をしていきたいかを「しゃべる」ということが大事なんだと実感しています。そこで合わなければご縁がなかったと思えばよいので。「興味のあることを話す」ことでこれからも機会を広げて行こうと思います。

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小野アムスデン道子
Writer 小野アムスデン道子

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