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バチェラー司会者・坂東工さんを導いた「2つの運命の出会い」、そして「いつも体当たりで挑む」仕事の哲学

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バチェラー・ジャパンの司会進行役として、これまでシーズンすべてに出演している坂東工さん。ダンディーなイケメンっぷりと渋いかっこよさで、女子の心を鷲掴みにしています。そんな坂東さんは、実は「俳優」「アーティスト」そして「経営者」という3つのパラキャリ実践者でもあるんです。小手先の技術に頼らず、体当たりで独自のキャリアを積み重ねてきたと語る坂東さんの波乱万丈な半生を、じっくり紐解いてみました。

「ダンサーの彼女」との出会い、そして絶望

――俳優、アーティスト、経営者。最初にスタートしたのはどのキャリアだったんですか?

まずは俳優ですね。そもそものはじまりは大学卒業後、ライターを目指してNYに留学したことでした。このとき、あるダンサーの女性と出会います。命を燃やして踊るような彼女の姿に衝撃を受けて、お付き合いするようになりました。ある日2人で旅に出ようとしたら、急に「私は日本に帰る」と言われて、僕1人で旅することにしたんです。1年半くらい、車でアメリカじゅうを回りました。

――その間、ライターの仕事はされていたんですか?

いえ、まったく(笑)。それよりも毎日が冒険のように充実していて楽しくて。特によく覚えているのは、旅の途中でとあるネイティブアメリカンと意気投合して、2ヶ月くらい一緒に暮らしたことです。生活の中で、狩猟をして大鹿の革を手に入れたり、珪化木(けいかぼく)と呼ばれる木の化石を見つけ、その魅力にはまって採石にも夢中になったり。僕が今やっている革や石を使ったアートの原点は、このころの経験にありますね。

バチェラー・ジャパン司会進行役・アーティスト・俳優「硫黄島からの手紙」坂東工さん

――そこから、どうやって俳優になったんですか?

旅の最後に流れ着いたサンフランシスコで、ダンサーの彼女が日本に帰国後、亡くなっていたことを知りました。この1年半、僕はいったい何をしていたんだろうと、あまりの衝撃にベッドから動けなくなって、食事も喉を通らない日が続きました。

絶望の中で、偶然American Conservatory Theatre(ACT) という演劇学校のチラシを目にしたんです。それで「少し体を動かそう」と思い立って、ACTに入ることにしました。入学当初は演技どころか英語すら満足にできない状態(笑)悔しくて、1日14時間勉強して、最後の演劇発表では1位を取ることができました。

「硫黄島からの手紙」でハリウッドデビュー

――すごい! ACTって、演劇の名門校ですよね。

本当に頑張りましたよ。卒業後にはNYに戻って、俳優としてのオーディション受ける傍らダンスパフォーマンス集団を立ち上げて、東海岸で公演を行っていました。どうやったら天国の彼女に届くような表現をできるか、そればかり考えていましたね。

バチェラー・ジャパン司会進行役・アーティスト・俳優「硫黄島からの手紙」坂東工さん

――そして2006年、「硫黄島からの手紙」でハリウッドデビューを果たされます。どうやって出演を掴み取ったんですか?

突出した技術や経歴は持っていないから、精神と心で勝負するしかなく、全身全霊でオーディションを受けにいきました。『硫黄島からの手紙』は「この挑戦が最後だ」というくらいの意気込みで挑みました。いざオーディションを勝ち抜いたら、なんと台本を渡されるのは直前、リハも無しという超過酷な現場で(笑)。出演シーンをすべて撮り終わった瞬間、抜け殻になりましたね。自分の魂すべてを使って演じ抜きました。

――その後はどうされたんですか?

初めての日本語での撮影となった『硫黄島からの手紙』で、素晴らしい日本人の役者さんたちに出会って感動したこともあり、日本に帰国することにしました。帰国後は映画や舞台、ナレーションの仕事などをしていました。でも、いくら仕事をしても自分の名前も顔も覚えてもらえない。このままでいいのか? という疑問が少しずつ湧いてきました。行き詰まっちゃったな、と思っていたときに、また運命の出会いをしたんです。

偶然の出会いが、アートの道へ導いてくれた

――ダンサーの彼女に続き、2回目ですね。

はい。ふらっと入った中目黒のギャラリーで、僕自作の革小物を見た女性オーナーに声をかけられました。僕の大好きなバックミンスター・フラー(※)の散文を入れた自分の名刺を渡したところ、偶然にもそのギャラリーの名前が、フラーの建築物の名前から付けられていたことがわかり、縁を感じて連絡を取り合うようになりました

※編集部注:アメリカの思想家・哲学者・建築家・デザイナー。その多才ぶりから“現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ”とも称される

そして、その女性オーナーの計らいで、ギャラリー展示に参加させてもらうことになったんです。自宅には10年前にアメリカで獲った大鹿の革と珪化木がありましたから、今がこれを使うタイミングだ! と思い、さっそくアート作品をつくり始めました。そして作品展示発表の日が2011年3月3日、僕のアーティストとしてのデビューです。その時すでに33歳でしたね。発表が終わり一息ついた矢先、東日本大震災が起こりました。

――アートとかビジネスとか、それどころじゃなかったですよね。

被災地にボランティアに行ったら、圧倒的な現状に打ちのめされましたね。生命って何だろうとか、僕が生かされていることの意味とかを考えさせられました。そんな中、個展の提案をいただいて、僕にできることはこれだと思い、本格的にアーティスト活動をスタートしました。やがて革を使った衣装制作も手がけるようになり、仕事の幅が広がっていきました。渡辺謙さんの衣装を担当したこともありますよ。衣装づくりの知識はありませんでしたから、足りないノウハウはYouTubeを見て埋めたこともありました(笑)

バチェラー・ジャパン司会進行役・アーティスト・俳優「硫黄島からの手紙」坂東工さん

「体当たりでやってきた」ことが自分の強みになった

――いつも、感性第一で動いてきたんですね。

僕はテクニックを知らないからこそ、思うことを思うままに表現できるんだと思います。アートは僕の人生そのものを映し出す鏡ですし、既存の常識に捉われたくない。何かに寄せるより、自分の感性をを研ぎ澄ませたほうが、ずっといいものをつくれます。

これは、実は経営者としての活動でも同じで、おそらく僕の常識に捉われない生き方で「周りの人を巻き込む力」が生きています。僕のやっていることが社会にどんな衝撃を与えられるか考えるのが面白いんですよ。芝居もアートも、いつも体当たりで挑んできたし、結果的にそれが自分の強みになりました。

――オンラインギャラリー「iiwii(イーウィー)」は斬新ですね。どこから着想したんですか?

アーティストたちの「自分の作品を世界に発表したい」「そのための場所がほしい」という切実な想いに応えるためです。彼らに不足しがちなプロデュースの面で、僕の力を出せればと。スタートから1年ほど経ちましたが、いちばんうれしかったのは、キャリア1年ほどの新人アーティストの絵が売れたときです。初めて彼女の作品を見たとき衝撃が走って、iiwiiに出してみたところすぐに買い手がついたんです。

――どういう方が買われていくんですか?

アートコレクターさんなどもいますが、もともとは僕のファンだったという方もいました。それまでアートに興味のなかった人が、僕のキュレーションしたアートを感じてくれるということは、自信にもなりましたね。アートを通して誰かに感動を伝えられることは、僕にとって新しい喜びですし、挑戦への原動力となっています。

バチェラー・ジャパン司会進行役・アーティスト・俳優「硫黄島からの手紙」坂東工さん

「アーティスト=食っていけない」を変えたい

――坂東さんは今後、どこに向かうんでしょうか?

表現することの追求と、アートが世の中に広まり循環していくためのサポートを目指しています。日本は欧米と比べて、芸術に対する理解が希薄なんですよ。絵は一度売れると、その後どんなに高値で取り引きされても、アーティストには1円も入らない。映画でも音楽でも絵でも、時間を超えて何回も反芻されるような作品が、人間の生きる力、命の根源になるはず。そういう価値を持つものが、社会の足切り対象になってしまうのはよくないと思います。業界全体の構造を変えるために今、ブロックチェーンを使ってアーティストを守る方法を実践しています。

――ブロックチェーンとアート……どう結びつくんでしょうか?

作品に、ブロックチェーン情報が入ったICタグを装着するんです。その作品が2次流通で売買されるたびにアーティストに売上金が入る仕組みをつくりました。7月から、クラウドファンディングでこのシステムを使った“つながるピース(PEACE×PIECE)プロジェクト”がスタートしています。これは、僕が描き下ろした1つの絵(「謳歌」)を25ピースに分けて、プロジェクトに共感してくれた25人の方々に1つずつ販売するというもの。これを通じて、僕が「謳歌」に込めた、人とつながることへの想いや祈りを感じてもらえればと思っています。

バチェラー・ジャパン司会進行役・アーティスト・俳優「硫黄島からの手紙」坂東工さん

――売り上げはいかがでしょうか。

発売日になんと25枚、即完売いただきました。追加した25枚も完売となり、現在はセカンドゴールに向けて動き出しています。ちなみにこのプロジェクトでは、2次流通以降で入る売上還元金を全額、コロナ禍で大変な思いをされている医療機関の方々へ寄付することになっています。作品が誰かの手に渡っていくほど、社会貢献につながるという意義があるんです。僕自身、絵画の価値を上げるためにも、引き続き積極的に表現活動を行なっていきたいと思っています。

――アートや演劇に興味を持っている人は、どうしたら坂東さんみたいになれるでしょう?

まず、年齢は関係ありません。僕も俳優としては26歳、アーティストとしては33歳でデビューしました。スタートはいつだっていいんですよ。それから、日本人って「うまくやろう」と思いがちですが、そういう固定概念を捨てることが第一歩だと思います。3日坊主だっていいんです。少しずつですが、「思うがまま」に生きることが許される社会になりつつありますから、それに乗っかってはどうでしょう。やりたいと思うことに、ぜひチャレンジしてください!

坂東工(ばんどう たくみ)●1977年生まれ。 大学卒業後渡米、サンフランシスコにて演技を学び、2002年より俳優としてのキャリアをスタートする。『硫黄島からの手紙』のメインキャストに抜擢されるなど、ハリウッド映画にも出演経歴を持つ。 2007年より東京へ活動拠点を移し数々のドラマや映画に出演する。アメリカ在住中に自ら狩猟・採掘した革や石などを使い11年よりアーティスト活動を開始。 映画や大河ドラマの装制作を担当するなど、「生きる実感」を通して作品を生み出すことに情熱を注いでいる。2017年Amazon Prime VIdeo『バチェラー・ジャパン』シリーズにて司会進行役を務めている。 20年10月9日より配信スタートする『バチェロレッテ・ジャパン』にも司会進行役として出演。 TwitterアカウントはこちらInstagramアカウントはこちら

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椿 萌
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