ファッションと美容の分野を主戦場に、ニューヨークの地で3つのパラキャリを実践しているMIKIさん。会社では「グローバルマーケティングディレクター」として、個人としては「Webデザイナー」「デジタルクリエイター」として、COACHやNYX、Sephoraなど数々の有名ブランドとパートナーシップを組み、活躍しています。着実にキャリアを積み重ねているMIKIさんですが、華やかな見た目とは裏腹に、壮絶な体験を乗り越えてきたんだとか。「アメリカの空港で、移民局の手違いで牢屋に入れられた」「3万人以上のフォロワーがいたインスタがハッキングされて、仕事がいくつもなくなった」と笑って話すMIKIさんの“強さ”は、いったいどこからくるのでしょうか。
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自分の世界観に自信を持てたら、強い
――今、どんなお仕事をしているんですか?
3つのパラキャリをしています。1つは海外教育コンサルティング企業にてフルタイム社員、個人ではWebデザイナーやデジタルコンテンツクリエイターとして、企業とタイアップしてファッションや美容に関するコンテンツを発信しています。Webデザインのお仕事は、10年間書いていたアメーバブログを卒業して「海外ブロガーのように、自分の世界観を出せるサイトを作りたい」と思い、独学でワードプレスを学び、自分のブログサイト「What Miki Loves in New York」を立ち上げたのが原点です。そしてデジタルコンテンツクリエイターとしては、ソーシャルメディアを通して写真や動画でのクリエイションをメインにやっていて、ブランドのプレス、インフルエンサー向けのイベントにご招待いただき出席したりもしています。
――デザイナーもインフルエンサーも世の中にたくさんいる中で、MIKIさんならではの魅力はどんなところでしょうか?
クライアントさんには、私の世界観やセンスを好きになっていただけることが多いと思います。Webデザイナーとしてのスキルも、インスタのフォロワー数も、私を上回る人はたくさんいます。でもその中でも、私の発信している世界観や個性を気に入っていただき、オファーを貰えるというのはすごくうれしいことですね。
――情報発信するのは、もともと好きなんですね。
はい。2009年から数年間、アメーバブログで「ニューヨークで夢を叶えるまでのブログ」というテーマで記事を書いていました。当時は日本で大学生だったので、日記帳のような感覚で好きに書いていたのですが、続けるうちに自然に読者がついてきました。
インスタを始めたのは2014年ごろで、こちらも日々コツコツ投稿していたところ、COACHから「75周年のアニバーサリーアンバサダーをしないか」とオファーをいただいたんです。この時はインフルエンサーやデジタルクリエイターというお仕事についてまったく分かっていなかったんですが……このお話をいただいたことで、ソーシャルメディア上で『発信する』ことがお仕事になると知り、現在につながっています。
――いきなりCOACHですか!
COACHの方には「アカウントの世界観がCOACHのブランド感やターゲットにぴったりマッチしているから選んだ」と言われました。当時、私はインスタのフォロワー数も1500人ほどと少なくて。インフルエンサーなんて遠い世界の人だと思っていました。でも、有名ブランドCOACHのPRの方にお声がけいただいたことですごく自信がつきましたし、そこから写真の撮り方や編集方法、色合いもより工夫するようになりました。
企業で学んだことは、パラキャリにも絶対生きる
――COACHはアメリカのブランドですよね。日本からアメリカに渡ったのもそのころだったんですか?
はい、2015年にニューヨークに来ました。私は幼いころから海外への憧れが強かったんですが、高校生の時に所属していたブラスバンドの海外公演でヨーロッパを訪れたり、また日本の大学に通っていた頃にロンドンに短期留学したことで、将来は海外でキャリアを積みたい! という想いが加速しました。
またロンドンで出会った友達がみんな、夢を持って自由に生きているところがすごく素敵で。私もファッションが大好きという強い思いがあるので、その「好き」を生かして自分のブランドを立ち上げるのを目標にしようと決意しました。大学卒業後は、一度企業に就職してお金を貯め、ニューヨークに渡って、ファッション名門校・FIT(ファッション工科大学)を受験しました。でも思うようにTOEFLの点数が伸びず、受験に落ちてしまって、一度日本に帰りました。
――日本で、どんなことを始めたんですか?
会社員として企業で働きながら、海外で流行っているアクセサリーを買い付けて、日本人向けのセレクトショップとしてオンラインストアを立ち上げました。ありがたいことにたくさんの反響をいただいて、スタートから3ヶ月で月商160万円に成長しました。これには自分でもびっくりでしたが、1日で100件の注文が入った日もありましたよ。
――急成長ですね! 1人で運営していたんですか?
そうですね。パラレルキャリアとして会社員の傍らで始めたので、商品の仕入れからブランディング、在庫管理、カスタマーサービス、経理まで全部自分でやりました。会社では9〜18時で働いていましたから、睡眠時間はほとんどなくなりましたね(笑)。ストレスがすごくて、体を壊しかけたこともありました。それでも、全部を自分一人で回せたのは、会社での就業経験が生きたからです。
――そこからどういう経緯で、今に至るんでしょうか?
そうしているうちにFITを再受験し、合格しまして。オンラインストアを畳んでアメリカに渡り、FITに1年間通って、ファッションビジネス全般をじっくり勉強しました。英語は喋れましたが、ローカルなコミュニティに入っていったり、授業中にたくさん発言しないといけないところはかなり苦労しましたね。でも、ファッション業界で現役で活躍している教授たちからアメリカのファッションビジネスについて学べたことはとても大きな経験や知識になりましたし、社会人経験を経てからの学びは実践的なスキルになり、本当にFITに行ってよかったなと思います。
「人間関係のあたたかさ」が、糧になっている
――FITの卒業後、今の会社に就職したんですか?
いえ、その前に米国オンワード樫山さんでPRインターンをしたり、ランウェイモデル向けの会員制シェアラウンジでのPR業務をしたり、子ども服メーカーのPR、E-commerce managementをしたりなど、いくつかの仕事を経て今に至ります。今はアメリカでキャリア経験を積みたい方向けに留学やインターンシップのコーディネーションと、日本を含めたアジア、ヨーロッパ、南米などの各国のマーケティングを担当しています。また国連本部と連携して、研修プログラムの提供もしています。
――最近は、HISとのタイアップもされていますよね。
HISとは、動画と写真でニューヨークの街を撮影しながら、私のおすすめブランドやブランドの状況、今季のファッショントレンドを紹介するバーチャルツアーをやっています。コロナによって生まれた、新しいHISさんの企画ですね。たくさんの人が、コロナ禍で海外旅行に行きたくても行けない状況ですが、このツアーを通してオンライン上でも大好きなニューヨークとファッションを日本のみなさんに届けることができてうれしい限りです。
また、かねてからグローバルに活躍したいと思っている人、活躍している人をつなぐコミュニティを作りたいと思っていて、今年6月に私のオンラインサロンを立ち上げました。アメリカや日本を始め、韓国、マレーシア、ニュージーランドに在住のメンバーがいて、みんなでお互いの夢を応援しあっています。また月に1回、各業界のスペシャリストの方をゲストスピーカーに招いて、ビジネスミーティングもやっています。さまざまなバックグランドの人とつながることで未来の可能性が広がりますし、世界を舞台に夢に向かって頑張る人たちはやっぱりみんな素敵で。この場を持てて本当によかったと思います。
――人とのつながりは、パラキャリをする上で1つのキーワードかもしれませんね。
本当にそう思います。ニューヨークのファッション業界ではコネクションがすべてと言われるほど、人とのつながりは大事です。私自身、これまでを振り返っても、知人からの紹介でいただいたお仕事やご縁はたくさんあります。
実は今年7月、6年間投稿していた私のインスタアカウントがハッキングに遭って、予定していた仕事がいくつかなくなるという事件がありました。一時はすごく落ち込みましたが、たくさんの友人やフォロワーが新しいアカウントを拡散してくれて。その時に改めて、周りの人達に助けられていることを実感し、人の温かさをつくづく感じました。
「アメリカの空港で牢屋に入った」壮絶体験
――これまででいちばん苦労されたことはどんなことですか?
海外で暮らしていて辛いことは数回ありましたが、みんなに驚かれるのは、シカゴ空港で移民局の手違いにより、入国拒否にあったことです。アメリカに再入国したとき、就労ビザが切り替え途中だったのですが、書類が不十分だという理由で入国NGと判断され、牢屋のような奥の別室に入れられたんです! 地元の北海道から、1日半くらい飛行機を乗り継いでようやく到着したのに……。
悔しくて、オフィサーに抵抗したら「これからするすべての質問にYESと答えないと、目の前でビザを破いてやるぞ」と脅されて。泣く泣くYESと答えると、そのままコンクリートで囲われた、時計もない部屋に連れていかれ、次の日本行きの飛行機が来るまでそこにステイするように言われました。トイレや洗面所にも仕切りなどなく24時間監視されており、寝るのは冷たいコンクリートに敷かれたヨガマット。寒いからブランケットをというと、ゴミ袋を渡されました。ご飯も不味すぎて食べられず、水とピーナッツで空腹を凌ぎました。
結局36時間ほどそこにいて、寝ているところを突然起こされ、パトカーに乗せられて。飛行機の裏口から一番最後の乗客として搭乗させられ、気が付いたら東京だったという感じでしょうか(笑)。精神的にも体力的にもすごく疲れていて、東京に着いた瞬間すごく平和に感じました。アメリカでは私は移民ですから、どんなに正しい意見を言っても正当に扱われにくいということをまざまざと見せつけられて悲しかったですね。でも大学が全面的に協力してくれ、移民局に異議申し立てを行った結果、私の正当性が認められて、無事にアメリカに戻ってくることができました。
――壮絶……。すごい経験をされてきたMIKIさんですが、今の目標を教えてください。
私がもともとアメリカに来た目的は、ニューヨークでファッションビジネスを学び、自身のファッションブランドを立ち上げるという夢を叶えることです。かねてから「ヨーロッパのラグジュアリーブランドに肩を並べて認知されていく、また世界中から憧れられ、愛されるグローバルブランド」を作りたいと思っており、現在パラキャリしながら、ブランド立ち上げに向けて準備しています。もっと言うと究極の夢は、私が亡くなった後もそのブランドが後世まで受け継がれていくことです。現在は、コロナもあってファッション業界は岐路に立たされていますが、もう一度自分の方向性を見つめ直すいいきっかけになったと思います。
成果は小さくても、胸を張って堂々とやろう
――MIKIさんは3つもパラキャリされていますが、アメリカでは普通のことですか?
ニューヨークでは、パラキャリの人がほとんどです。むしろ1つの仕事に絞っている人は珍しいかもしれません。日本では完璧にやっていないと仕事って言えないような雰囲気がありますが、アメリカでは最初から収益化できていなかったり、活動時間が短かったりしても、みんな堂々としています(笑)。スモールビジネスとして始めて、市場を読みながら変化し、だんだんと軌道に乗せていく人が多い印象ですね。
――最後に、パラナビ読者に応援メッセージをお願いします!
いちばん伝えたいのは、「何かを始めるのに年齢は関係ない」ということです! よく20代後半の人から「新しいこと始めたいけど、今からじゃ遅い?」と聞かれますが、絶対にそんなことはありません。逆に、その時の自分だからできることがたくさんあるはず。実際に私は、20代はがむしゃらに頑張ったし、30代に入ってからは少しずつ心の余裕が生まれ、どんなことでも全体像を見渡して考えられるようになりました。21歳の自分にはできなかったことが、28歳の自分ならできる! と考えてほしいですね。私は日本にいるときからずっと、自然にパラキャリしてきました。最初から無理に完璧を目指さないで、うまく自分をマネジメントしながらやっていきましょう!
MIKI●コンテンツクリエイター/ デジタルマーケティングスペシャリスト。ファッション名門校・FITにてファッションビジネスを学び、世界に愛されるファッションブランドを立ち上げるため準備中。グローバルに活躍している人をつなぐオンラインサロンを運営。Twitter、Instagramでも活躍中。MIKIさんのSNSなどリンクまとめはこちら