Paranaviトップ お仕事 地方/海外 余命半年宣告から20年、「明日が来るのが当たり前じゃない」からこそできた自分らしく生きて働く方法

余命半年宣告から20年、「明日が来るのが当たり前じゃない」からこそできた自分らしく生きて働く方法

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シンガポールを拠点に、人材紹介会社で働きながらスポーツフォトグラファーとしても活躍する永見亜弓さん。20代にして末期がんで余命半年と宣告されるも、治療しがんと共存。その後、国際結婚によりシンガポールへ移住。離婚後も、そのままシンガポールで暮らしているのは、その豊かな生活環境や多様性に惹かれたため。幼少時からのF1好きが高じて始めた趣味の写真を、39歳にして仕事にした永見さんが語る、後悔しない生き方とは?

末期がんを経験するも「自分を信じて」ポジティブに

——シンガポールではどんな働き方をしているんでしょうか?

現在はおもに3つの軸で活動しています。まず、移住した2007年から16年間働いてるのが人材紹介会社です。入社して5年間人材コンサルタントを経験した後、日本人部門の部門長に就任。18年からは会社全体の営業やマーケティングを担っています。

2つ目は、個人が入れるビジネスコミュニティ「シンガポール和僑会」の6代目の会長を務めています。シンガポールで起業する人やビジネスで事業発展を目指す人たちの交流や市場への挑戦をサポートするコミュニティです。私が就任する以前はビジネスオーナーが会長でしたが、初めての現役会社員として会長をやらせていただき、現在400名ほどまでメンバーを増やし日々成長しています。

もう1つは、スポーツフォトグラファー。イベントやスポーツをメインに撮影していますが最近は企業写真、ポートレート写真のご依頼も増えました。19年からは、サッカーチーム・アルビレックス新潟シンガポールのオフィシャルカメラマンを務めています

——シンガポールを選んだ理由は何だったのでしょう?

いちばん最初に来たのは2002年、専門学校の1カ月研修で訪れたのがきっかけです。宗教も人種も違う多様な人達が手を取り合って仲良く暮らしている、そんな理想郷のような平和な姿に感銘を受けました。ですが当時SARSが流行していて、内定が出てもビザが下りないという状況で現地での就職が難しかったんです。それでも、「ここで働きたい」という気持ちが強かったので、シンガポールで就職活動をしていました。

——それに加えてこの時期に「余命半年」と宣告されたんですね。

専門学校2年目、25歳のときに胸のあたりに息苦しさを感じて、しばらくして病院へ行ったら肋骨と肺の間に腫瘍が見つかりました。ステージ4の末期がんでした。あと、どれくらい生きられるのかと聞いたら、何もしなかったらあと半年しか生きられないと宣告されました。でも、「何かすれば半年以上生きられるんですよね?」と再確認したら「そうです」と。そこからできることはなんでもやろうと決めて、手術をして抗がん剤治療が始まりました

家族や親せき、お友達はとても心配してくれ、大好きなおばあちゃんに至っては泣き崩れていましたが、私ぐらいは私を信じてあげないとなと思って、「何があっても大丈夫」という根拠のない自信を持ち続けていました。もちろん、最初は落ち込んで、悲しむだけ悲しもうと思いましたが、1日落ち込んだら悲しむのに飽きてしまって(笑)。周りからはかわいそうなことが起こった人に見えても、自分自身はかわいそうな人にならない、となるべくポジティブでいようと思って過ごしました。あとは、メイクやコスメで気分をあげたり、治療の副作用で髪の毛が抜けてしまっていたので、せっかくならかわいいヘアスタイルを楽しもうとウィッグを3〜4個ぐらい集めたりしていましたね。

治療を経て、奇跡的にがんを乗り越えることができました。その後、シンガポール人の男性と結婚。オーストラリアで2年間の新婚生活を送り、2007年に念願だったシンガポールへの移住を実現しました。

永見亜弓さん


——そのまま今もシンガポールで暮らしているんですね。

パートナーとは14年間の結婚生活の後、お互いのためを思って円満離婚しました。彼からは離婚指輪をもらって、自分自身には結婚指輪をあげたんです。ほかの誰でもない自分自身が自分を幸せにしてあげると覚悟を決めました。シンガポールはいちばん私らしくいれる場所。永住権を持っていたことから、シンガポールに住み続ける決意をしました。

サッカー観戦からオフィシャルフォトグラファーに


——フォトグラファーのお仕事はどんなきっかけで始められたんですか。

もともとはF1が好きで、シンガポールF1の1年目にコンパクトデジカメや携帯電話カメラを駆使してあの速いマシンをなんとかして撮りたいと思って頑張ったのですがだめで。本格的な撮影機材を揃えないとダメだと思って、思い切って一眼レフを買いました。でも10年くらいは1年のうちシンガポールのF1くらいしかその機材を活用できていなくて。ちょうど離婚もして自由な時間も増えたタイミングで、彼の代わりに自分の人生の軸のひとつとなるものはなんだろう。あ、私には写真がある、と思って、フォトグラファーとして活動を始めました。そのときにサッカーチーム・アルビレックス新潟シンガポールの会長、社長に出会い、試合を見るうちに誰よりも夢中になっていって。ホームゲームもアウェイゲームも両方応援に行く強力なサポーターになっていました。

観戦の際には機材を持っていき、撮っていたのですが、客席からはプロ機材は登録カメラマンしか使えず、紆余曲折あって2019年からアルビレックス新潟シンガポールのオフィシャルカメラマンとして登録いただき、しっかりと試合を撮ることができるようになりました。

——一方で、そこから再びがんに罹られるという試練があったんですね。

20年には乳がんが発覚しました。前のがんを患ってから、10年間半年に1回検査をしていたので見つけられたんです。初期で発見できたということもあって比較的生存率は高かったのですが、数カ月日本に帰り、手術と放射線治療に専念することに。末期がんに比べれば軽いものだという気持ちをもてたのは、1回経験していたからこそですね。

2回の闘病を経て、死にはすごく向き合ってきました。何度、自分のお葬式をシミュレーションしたことかわからないほどです。神さまから呼ばれる最期のときに、どんな自分でいたいのか、そこから逆算して今を生きようと行動しています。

永見亜弓さん

「明日朝が来る」ことは当たり前じゃない

——過酷な体験をしながらも気持ちを前向きにもつ秘訣を教えてください。

私自身、過去に2回命の危機を乗り越えてきたので、毎日同じように朝が迎えられるのは奇跡なんだと身を以て感じています。そんな気持ちを忘れないためにも毎朝の日課として、空の写真を撮ってSNSにアップしているんです。私にとっては「今日も無事に朝が来た」証拠で、周りの人へは私の生存確認ツールとなっています。1日の始まりを感じてワクワクできるのって当たり前のように感じていても、実はとても幸せなことですよね。

自分を好きになれないとき、自信がないときは、まず自分自身と向き合って、内観して自分自身を信じる力を取り戻すことに務めています。また自分から半径1メートルくらいにあるモノや人を大切にするだけでも少しずつ変わっていきます。届かない距離にある理想や未来を考えてしまうと、そのギャップに嫌気が差してしまうかもしれません。将来のために今を我慢する、もしなくなりました。明日が来るかどうかなんて保障がないので。

自分の感覚に正直に生きて、自分のいちばん近くにあるものの素晴らしさに気づいて毎日を自分らしく生きる。私の場合は、朝が来るだけで奇跡だということに気がつけたことで変わったように思います。

——まずはそうやって近くのものから自分を好きになっていくことが大事ですね。

以前は自己肯定感が低く、自分の好きところなんて1つも思い浮かばない人でした。人の100倍努力しないと、普通の人レベルになれないとまで思っていた時期もあります。でも、毎日1時間、自分自身と向き合う時間を作るようになって、私の好きなところはなんだろう、1日1個ずつ書いてみようとノートを埋めていくと、だんだん書けるようになってきたんです。自分自身と仲直りするような感覚でしたね。そのままの自分でいい、誰かの期待する何かにならなくていい、人の期待値で生きなくていいんだということがストンと腑に落ちました。親や周りの期待に応えようと思っていた生きていたときよりも随分楽になりましたね。誰かの活躍が羨ましく見えて比べて落ち込んでしまう人もいるかもしれません。でもきっと、SNSなどで輝いて見えるキラキラ女子も常にキラキラしてるわけじゃないし、実はみんな悩んで苦しんで、バタ足でもがいてるところを見せてないだけだと思います。人それぞれに人生があって、ドラマがある。そう思います。

明日も朝が来るのが当たり前だと思っていると、今日は我慢してしまうということもありますよね。でも、その日に自分が喜ぶことをしてあげられないと、もし次の日に起きてこれなかったときに、あのときああすればよかったと後悔してしまうかもしれません。私も39歳でフォトグラファーとして仕事を始めましたし、人生100年時代に何を始めるにも遅いことはありません。明日が来ないとしたら、今日の自分に何をしてあげられるかを考えて行動していれば、きっともっと自分を好きになれると思います。

永見亜弓さん

永見亜弓・ながみあゆみ● 1978年広島生まれ。20代で末期がん、2020年にも乳がんを経験したサバイバー。シンガポール歴は20年。バリキャリではなく、ふんわりしなやかに、をモットーに16年間人事コンサルタント、キャリアカウンセラーをしながら、ここ5年はプロフォトグラファーとして数社のオフィシャルカメラマンを務め、複数キャリアを実現。

永見亜弓さんのインスタはこちら

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杉森 有規
Writer 杉森 有規

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