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夢はスーパースター! 4ヶ国語動画でバズった「フィリピンママ」ブレイクの軌跡

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InstagramやTikTokなどのSNSで20万人以上のフォロワーを持つインフルエンサーのボニーさん。日本生まれでフィリピンとのハーフである彼女は「フィリピンママ」や英語・日本語・フィリピンの公用語であるタガログ語・韓国語で「ティッシュ配り」をする4ヶ国語動画など、特徴のあるキャラクターで一躍大人気に。どんなきっかけでSNSでの人気を広げていったのか?インフルエンサーと経営者の2つの顔を持つ彼女に、そのエネルギーの源について聞きました。

米国留学で英語と挑戦マインドを取得

――ボニーさんは、「もしもフィリピンママが〜したら」など生活のさまざまな場面をフィリピンママで演じる動画が有名ですが、最初からインフルエンサーを目指してSNSを始めたのでしょうか

私は京都生まれで母がフィリピン人、父が日本人という家庭に生まれました。高校まで英語は話せず、フィリピンの公用語であるタガログ語もなんとなくニュアンスがわかるという程度でした。そんなときに、米国カリフォルニアに住んでいた叔父から、「卒業したらこっちに来てみない?」と誘われ、思い切って留学することにしたんです。この2年半の留学をきっかけに、それまでとはマインドが大きく変わりました。

もともとの私は実は引っ込み思案な性格。昔からアイドルが好きで、芸能界に憧れていたのですが、オーディションに落ちるのが嫌で何も行動を起こさないような性格でした。

ですが帰国後は英会話スクールで日本人講師として働きながら、バイトを掛け持ちし、小さな劇団にも所属して、複数のパフォーマンスに出演するほど積極的に。SNSを始めたのは、そのときにX(旧twitter) を勧められたのがきっかけですね。当時、秋葉原の地下アイドルのいる店でも働いていて、その人の応援をするために始めました。バイト先で出会ったシェフ伝いに、シェフ友達をフォローしたり、オフ会の料理手伝いなどにも行くようになったり、SNSを通じてどんどん活動的になっていきましたね。

SNSで出会ったオフ会で運命の出会い

――きっかけはX(当時のtwitter)だったんですね。そこで、ブレイクするようになったのは?

劇団に所属してしばらくすると、主宰者の人間関係がこじれて解散したり、マルチに誘われたりといったトラブルに見舞われ、少し人間不信になっていた時期もありました。そんなときに参加したオフ会で、自分がインフルエンサーになるきっかけとなった2人との運命の出会いがあったんです。一人は今の会社でも顧問をしてくれているクロさんという方で、4年前の2020年にすでにフォロワーが1万人もいるような人でした。当時はコロナ禍で、私のほうは当時勤めていたフィットネス関係の仕事が実質なくなってしまい将来を案じていたタイミング。そんなときにクロさんが「オンラインでボニーイングリッシュというレッスンを始めてみたら?」と勧めてくれたんです。

もう1人は、WebとSNSのマーケティングが得意なアッポーという人でした。クロさんとアッポーの2人がビジネスの仕組みも考えてくれて、私が社長となり、3人でボニーオンステージという会社を設立しました。最初は、SNSを活用して「ボニーイングリッシュ」に人を集めるというマーケティングから始めたんです。発音と文字の関係を学ぶフォニックスという学習法を使ったボニーイングリッシュなら楽しく英語を学べる、という宣伝の動画で集客をし、元気でユーモアのある動画をアップしていたらチャンネル登録者も徐々に増えてきました。もともと人を笑わせるのが好きだったので、まずは楽しませることができて、おまけに英語も学び続けてもらえる、そんな存在になれればいいなと思ってモノマネも始めました。

それで当初は、モノマネやコントといった動画に英語を混ぜて演じていたのですが、だんだん英語だけでは物足りなくなってきて、使える言語は全部混ぜてみようと思って作ったのが、英語・日本語・タガログ語・韓国語の4ヶ国語動画シリーズです。これがめちゃくちゃバズって、5000人ぐらいから一気にフォロワーが増え始め、活動開始から4年間で20万人にまで増えました。 

――4カ国動画の後にフィリピンママでさらに大ブレイクしたんですね。動画づくりのコツなどありますか?

フィリピンママのコント動画で、フォロワーが一挙に20万人になって、インフルエンサーとして認知されるようになったんです。動画は2日に1回は出していました。ネタ作りのためにいつも「このシーンは映画の一部だ」と思って生活をしています。いつも、自分は撮られているという意識を持って、何をするにも映画にできるぐらい面白いことをしようと思っています。

――インフルエンサーになって、それを仕事としていくにはどうしたらいいのでしょうか?

インフルエンサーといえど、1人でできることには限界があります。自分を最大限に生かしてくれる誰かがいるという「環境づくり」が大事だと思います。私は、SNSで自分をプロデュースしてくれる2人のブレインをつかんだことが大きかったです。彼らは、SNSを利用してインフルエンサーとしての私を生かしてくれています。たとえば、フィリピン観光省などのクライアントと一緒にお仕事をするときには、私がどういった形でPRの役に立てるかといった提案やアピールをしてくれるのです。

ボニーさん

それが、仕事の展開にも繋がっています。今、拠点としている沖縄でフィリピンの豆腐スイーツであるタホのプロデュースをしていますが、これも、アッポーが観光省の方と食事をしている時に、タホはSNS映えするけど何かできないかなと言われたのがきっかけです。私ももともとタホは好きでしたし、健康的なスイーツなのでおすすめ動画を作ってみることになったんです。そのために豆腐マイスターの資格もとりました。このタホの動画がバズって、ほかにもフィリピン政府観光省のPR動画を作ることになったんです。

昔からの夢は「スーパースター」

――ブレインであるアッポーさんがビジネス化や仕事を広げてくれているのですね。沖縄に住むようになったきっかけは?

タホのプロデュース動画を作っていたときに、大人の文化祭というイベントで何か出しませんかという話があって、知り合いのシェフに頼んでタホを売ることになりました。このお誘いをかけてくれた方々が、ちょうど同じタイミングで沖縄にカフェを出店することになり、タホをプロデュースしてほしいという話になったんです。

タホ

ボニーさんがプロデュースしているフィリピンスイーツ「タホ」

当時は、両親のいる長野にいたのですが、長野での暮らしは刺激が少し足りなくて、ちょうど引越しをしたいなと思っていたところでした。アッポーから「インフルエンサーの仕事はどこにいてもできるから、引っ越すなら沖縄は?」と言われて、行く理由もあるし沖縄もいいなと思って2ヶ月後にはスーツケースひとつで引っ越ししました。と、いうことで自宅があるのは沖縄ですが、拠点は「地球」だと思っていて、仕事ではどこにでも飛んでいきます。

――生活圏の広がりにもブレインの一言が役立ったんですね。今はいくつのお仕事を展開されているのですか?

インフルエンサーとして「ボニーイングリッシュ」のPRから始まって会社を立ち上げ、さらに米国シリコンバレー発の英語学習アプリである「ELSA Speak」のアンバサダーとしてマーケティングをしています。AIにより音声認識技術を使って、英語のスピーキング能力を上達させることができるユニークなもので、195カ国以上で3400万人以上の学生や社会人が使っています。また、フィリピン政府観光省などのプロモーション動画の作成、それにタホのプロデュースですね。

――多方面に活躍されていますが、ボニーさんの今後の夢はなんですか?

夢は、自分の人生をベースにアニメを作ることです。自分の体は1つしかないので、分身であるアニメに働いてもらいたいなと思っています。私は、アニメの「パワーパフガールズ」が大好きなんですが、キャラクターがずっと様々な企業とコラボもしていますよね。そんな息の長いアニメが作れたらいいなと思います。アニメを作ったチームとレッドカーペットを歩くのが夢で、すでに知り合いのイラストレーターにキャラクターをお願いもしています。

夢のベースにあるのは、中学生のときから持っていた「スーパースターになりたい」という思いです。英会話スクールを始めたときも、それがバズってちょっとスーパースターに近づいたように思えたりもしました。でも、スーパースターになるというのは、結局「有名になって周りの人を笑顔で幸せにしたい」という目標だったんですね。今は、それが形を変えてアニメになっています。スーパースターという夢を叶えるために、自分がどんな形で人前に出ていくかは変化していってもいいかなと思っています。

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小野アムスデン道子
Writer 小野アムスデン道子

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