Paranaviトップ お仕事 働き方 起業家・森数美保さん、“やりたい”ことがなかった私が行き着いた“ありたい”姿を叶えるキャリア

起業家・森数美保さん、“やりたい”ことがなかった私が行き着いた“ありたい”姿を叶えるキャリア

SHARE

Xでシェア Facebookでシェア LINEでシェア

キャリアにおいて、やりたいことがない。でも今の会社にずっといたいかというと、そうではない。そんなふうにキャリアにおける「will」がない人は、仕事とどのように向き合えばよいのでしょうか。本記事では、自身もこれまで「やりたいこと」はなかったという、株式会社Your Patronum(ユアパトローナム)代表取締役の森数さんにインタビュー。前編では、やりたいことがない中でこれまでどのようにキャリアを歩んできたのかについて聞きました。

さまざまな職業に触れられる転職エージェントからキャリアをスタート

——2024年に起業した森数さんですが、意外にもこれまでのキャリアで「やりたいこと(will)」はとくになかったそうですね。新卒のときはどのように就職先を選んだのですか?

大学時代は地元の大阪に住んでいて、転勤がない仕事がいいなと思っていたので、最初は大阪で準キー局のテレビ局を受けたんです。しかし結局、新卒で入社したのは転職エージェントでした。自分は何がしたいのかがわからなかったので、たくさんの職業に触れられる仕事に就こうと考えました。

でも入ってみると仕事がしんどくて。1年目で早くも辞めたいと思ったときに、ラジオ局などに応募したこともあったのですが書類すら通らず、もう自分はどこへも行けないし、やりたいこともないし、これからどうするんだろう……と思っていました。そこから2年目に入ると少しずつ仕事が楽しくなってきましたが、自分はこれがやりたいとか、上の役職を目指したいとか、そういった気持ちはありませんでした。

森数美保さん

——結婚と第1子の出産を経験されたのが、この1社目に在籍してるときだったんですよね。

そうですね。結婚するときに名古屋に引っ越すことになって「会社を辞められる!」と思ったのですが、名古屋に支店があるじゃないか!と言われて、退職ではなく異動することになってしまったんです(笑)。昭和のサラリーマン的な発想で「異動させてもらったなら2年は妊娠したらいけないな」と思っていました。

その後、第1子を妊娠したときは「子どもが生まれたら両立は難しいし、もう戻りたくないな」と思っていたのですが、そのときのメンバーから「森数さんの居場所はここだから、絶対に帰ってきてほしい」と言われて。新卒のマネージャーで産休を取得したのは私が初めてだったので、これで戻らなかったら「子どもができたらこの会社で働き続けるのは無理なんだな」とか「マネージャーってしんどそうだな」と後輩に思わせてしまうかもしれない……と考えて復帰しましたね。「出産後もバリバリキャリアを積んでいくぞ!」という思いではなく、義務感だったのが本音です。

結婚と出産を経ても“戦っていけるキャリア”に舵を切った

——そこから第2子を妊娠中に、1社目を辞めたんですよね。

第2子の妊娠がわかってしばらくして退職しました。8月に出産して、翌年4月に子どもを保育園に入れるのと同時に、また働こうとタイミングは決めていました。だけど、すでに退職してしまっている上に、とくにやりたいこともない。おまけに子どももいる。

転職活動をする上で非常に不利な状況になったときに、今後戦っていけるキャリアに振り切ろうと決めたんです。また、やりたいことはなかったけれど「働くことは自分にとって意外と大切なことだったんだな」と気づいたのもそのときでした。

森数美保さん家族

前職では転職エージェントとして「HR業界の人」というキャリアにはなれたので、キャリア戦略上、そこから潰しが利くキャリアとなると採用かなと考え、2社目は人事として入社しました。1社目は今でこそ大企業ですが、当時はベンチャーの規模感だったので、次で大企業も経験しておこうという戦略的な転職でしたね。

その後、第1子が小学校に上がる手前のタイミングで3社目に転職しています。3社目はスタートアップだったので、なんでもやらせてもらえる点が魅力的でした。戦える武器を増やす中で、もしかしたら「これだ」というものが見つかるかもしれないという期待感を持って入社しましたね。

ありたい自分であるために、“消極的な起業”を選択

——3社目まではご家族のタイミングに合わせた転職だったんですね。その後4社目では採用代行サービスの事業責任者や執行役員としてご活躍され、5社目は執行役員として入社して、キャリア構築や組織づくりを推進。その後2024年に起業されていますが、なぜ転職ではなく起業に至ったのでしょうか。

実は起業したいと思ったことは一度もないんです。「ここまで来たらもう起業するしかないか」という消極的な起業でした。きっかけは、4社目を辞めて5社目に来たときに「私は自分で決めて、自分で責任を取りたいんだな」と気づいたことです。

4社目は事業責任者として、自分で意思決定して事業を作っていて、それはすごくしんどいことでしたが実は自分に合っていたんですよね。だけど、そこにいるときには気づけなかった。5社目は10〜20名程度の会社で、社長と私の2人で経営の話をする体制であったものの、意思決定者は当たり前だけど社長でした。

そんな状況に身を置いて初めて「あぁ、私は自分で決めたかったんだ」と気づいて。でも自分で決めたいなら、それはもう自分でやるしかないと思って起業に至ったんです。

森数美保さん

——森数さんの場合は“やりたいこと”よりも、こういう自分でありたいという“あり方”が大切だったのかなと、お話を聞く中で思いました。

確かにそうですね。何かを手放したり、別の場所に行ったりするたびに、自分にとっての心地よさや大切な物事への解像度が上がっていった気がします。その渦中にいるときには「自分にとって実はこれが大切だった」というものに気づけなかったんですよね。そういう意味では、5社目のキャリアがなかったら起業はしていなかったと思います。

やりたいことはないけれど、関わる人が幸せであってほしい

——「決められる自分」というあり方から出発して、代表という役割も先に決まっている。だけどやりたいことはない、という中で事業内容はどのようにして決めましたか?

自分のスキルセットを活かして1人でやれることの中で、世の中の役に立てることをさせていただこう、という感じで最初は考えていました。だけど、気づいたらスタート時から周りに人が集まってくれていたんです。これはみんなを食べさせていかなきゃいけない、と思いました。

そうなると自分がやれることではなく、みんなも含めて提供できるものに変える必要がありました。なので事業内容も私のやれることだけではなく、みんなでやれることになりました。私のベースにあるのは、目の前にいる人の役に立ちたいとか、一緒にやると言ってくれた人を幸せにしたいという気持ちなんだと思います。私自身にやりたいことはないけれど、せっかくなら関わってくれたみんなを幸せにしたい。それはずっと変わっていません。

一緒にやろうと言ってくれてる人がいて、この人も幸せにしようと思った瞬間に、自分の選択は変わっていくんです。だけどそれは私にとって、嫌なことじゃないんですよね。それがもし、私の中でやりたいことが決まっていたならば、一緒にやろうと言う人が出てきたとしても断っていると思います。

——自分自身にやりたいことがないからこそできる、柔軟な考え方や動き方ですね。頑固な人にはできないことである気がします。

それでいうと、頑固な部分も実は持っていて。私は、“すごく悪いことではないけれどちょっとしたチートやグレーになりかねないこと”も絶対やらないと決めているんです。そういう、自分を裏切らないというか、自分との約束みたいなものはあって、それだけは守りたいという頑固な部分はあるかもしれません。そんなにずるいことをせずとも、圧倒的に勝ってやる!みたいな気持ちでやっています(笑)。

——自分の中の美しさやポリシーを守ること、ぜひ同じ女性として真似していきたいです。続いて「先が見えないキャリアとの向き合い方」については、後編で!

森数 美保(もりかず みほ)● 株式会社Your Patronum(ユアパトローナム)代表取締役。新卒で人材紹介会社JACリクルートメントに入社。最年少マネージャーを経験。大手企業で人事を経験した後、株式会社Misoca(現:弥生株式会社)にジョイン。ゼロからエンジニア採用を推進し、人事制度構築、広報PRなどを担当。2018年11月 株式会社キャスターに入社。翌3月に採用代行サービスCASTER BIZ recruitingの事業責任者に就任。2021年4月 同社執行役員に就任し複数事業を管掌。2022年5月 株式会社ミライフに執行役員として入社。キャリアコンサルタント/人事/事業経営の経験を活かして、本質的なキャリア構築や組織づくりを推進。2024年に株式会社Your Patronumを創業。社会保険労務士有資格者。

SHARE

Xでシェア Facebookでシェア LINEでシェア

Keyword

Miyu
Writer Miyu

VIEW MORE

Page Top