2012年当時に、働く場所を限定しない「ノマドワーカー」として情熱大陸などに出演。元祖パラレルキャリアとして話題となった安藤美冬さんに、キャリアや働き方についての考え方を聞きました。
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自分のやりたいことを貫きたかった
——安藤さんご自身の経歴、今実践されている働き方についてお聞かせください。
今は、フリーランスとして活動しています。コメンテーターや著者などその時々で仕事の内容は変わりますが、肩書きはこれというものを決めずに、自分がやりたい仕事をその時々でやるフリーランサーというスタンスで働いています。
自分は自分の会社の「一人社長」としてキャリアを重ねてきたのですが、それでも、いくつかの仕事を並行するパラレルキャリアという感覚はすごいあります。
例えば、海外に講演に行った時に面白い話があれば連載に書く。こんなバッグがあったらいいなと思えば商品企画もする。イベントの登壇者にもなる時もあれば、主催者側になる時もある。その時々でアメーバのように形を変えながら大好きな仲間と働く、そんな働き方をしています。
——昔から、今のような働き方をするイメージは持っていましたか?
今でこそ、こんなに自由に働いていますが、実際にそういう働き方ができるようになったのは会社を辞めた後からです。
20代の頃は新卒で就職した出版社で働いていて、出版に関する仕事だけをしていたのですが、29歳になった時に、30代になっても今の仕事をしていたいか?という疑問が湧いてきたんです。そうすると、今の仕事は好きだけど、もっと色々なことにチャレンジしたいというのが当時の本心でした。
「どうして宣伝部にいると宣伝の仕事しかできないのか?」というような当たり前すぎて、誰も疑問に思わないことをいつも疑問に思っていたんですね。突き詰めると、それは縦割りの組織に左右されずに、自分のやりたいことや働き方を貫きたいという気持ちがあったんだと思います。
——そこで会社を辞めるのはすごく勇気が要ることですよね?
私が会社を辞めた2011年当時は、いわゆる「副業」というと、飲食店などで働く、もしくは、ものを書いたり、何か内職をしたりというように終業後に自宅でやる「お小遣い稼ぎ」というイメージでしたが、いずれも私がしたい仕事ではありませんでした。
となると、選択肢は2つ。
このまま、チャレンジしたい気持ちを抑えて、「諦める気持ちを起点に」正社員として働く。もしくは、チャレンジしたい気持ち、「喜びの気持ちを起点に」正直に動いてみる。
今なら、正社員を続けながらパラレルキャリアで、やりたいことにチャレンジするという選択肢がありますが、当時はこの2択しかありませんでした。
「生活のための仕事」=「ライスワーク」、「生きがいのための仕事」=「ライフワーク」と考えると、私にとって、正社員の仕事は完全に「ライスワーク」になっていたんです。
「パラレルキャリア」の原体験となったオランダ留学
——当時の環境に疑問を持つようになったきっかけはあったんでしょうか?
2001年、ちょうど20歳の頃にオランダに留学したことがあったんです。オランダではワークシェアリングの概念が当時から進んでいて、単なる制度ではなく実践として市民の生活に根付いていました。
弁護士の方が週末にプロボノでNPOを手伝っていたり、男性が週に3回は正社員として勤めながら残りの日はベンチャーで働いていたり、女性が育児をしながら大学院へ行っていたり、なかには週に1日しか働かない人もいます。
1つの仕事を複数の労働者でシェアして、労働時間を調整し、お互いがやりたいことを補完しあっている社会です。
そんな光景を見てきてしまったため、日本に帰国して就職活動をした時、なぜ、ここではこんなに働き方が固定化されているんだろう?もっと自由に柔軟に働けないものか?ということに疑問を持ちました。
朝何時に出社して、何時まで働いて、週休何日で……。そうじゃなくて、働きたい時は週に7日働いてもいいし、休みたい時は3カ月でも休んでいいと思ったんです。
——集英社というとかなりの優良企業ですが、会社を辞める時、ご家族や友人などの反対はなかったんですか?
「こいつは止めても言うこと聞かないだろう」と思われていたのか、会社を辞めるのに反対されることはあまりなかったです。
ただ自分自身、辞めたうえで、「編集者になる」とか「ライターになる」とか「働き方評論家になる」というのには抵抗がありました。肩書きを規定してしまうと「出版社のOL」時代と何も変わらないんじゃないかと思ったんです。
昔テレビのドキュメンタリーに出演したとき、小説家や劇作家、歌人など、さまざまなフィールドで活躍していた寺山修司の有名な「職業は寺山修司」という言葉をもじって、「職業は安藤美冬」と答えたのが放送されたのですが、当時は随分生意気だと思われて、いじられましたね(笑)。
——安藤さんだから言える言葉ですね(笑)。
ただ、辞めた後、上場されている社長や同じようにフリーランスで働いている知人からは「自分の仕事と料金」だけは決めたほうがいい。名刺に肩書きは入れたほうがいい。と言われることもありました。
確かに、自分でも自分が何者なのかよくわからないなと思って始めたのが、SNSでの発信だったんです。
「海外に頻繁に行っていて新しい情報を持っています」「企画を考えるのが得意です」というように、こういうことならできますという発信をSNSやブログでするようになって、それが、自然と自分のポートフォリオになっていったんです。
恥ずかしさを乗り越えたら行動につながる
——安藤さんというとSNSでのセルフプロデュースの先駆けのような存在でした。
会社員時代、ブログに北陸地方の女性からメッセージが来たことがありました。
「ブログを拝見して、あなただったら私の悩みが解決できそうです。電話で相談させてくれませんか?」
という内容のものでした。そこで悩みながらも、思い切って電話をして話を聞いてアドバイスをしたんです。そうすると、その後実際に、悩んでいた課題が解決したというメッセージが入ったんです。ありがたいことに、どうしてもお金を払いたいと言ってくれて、それならということで、口座に3000円だけ振り込んでいただきました。
これが、本業以外でお金を稼いだ初めての経験です。当時は、肩書きも何も決まっていなかったのですが、この出来事も、SNSで発信をしようというというきっかけのひとつになりましたね。
——SNSをうまく使いこなすのは難しそうというか、ハードルも高いように思う人も多くいます。
いちばんのハードルは、「恥ずかしさ」ですね。当初は私もtwitterをやるのも、プロフィールを作りこむのも、めちゃくちゃ恥ずかしかったです。恥ずかしさがハードルになって、会社を辞めるのにも2年かかりましたから(笑)。フリーになった2011年5月、震える手でブログやFBを更新したのを今でも覚えています。
ただ、恥ずかしさを直視することで、自分がこんなに自意識過剰だったんだということもわかったし、その上で、恥ずかしさ以上に、やりたいことがあるということにも気づけました。恥ずかしさを圧倒するくらいの情熱があれば、カッコつけなくてもいい、完璧じゃなくてもいい、と思えるはずです。私自身、今でも恥ずかしさはずっとありますよ(笑)。
後編につづく
衣装提供:HASUNA
安藤 美冬(あんどう みふゆ)●慶應義塾大学在学中にアムステルダム大学に交換留学を経験。